何故グローバルの方が物やサービスが売れやすいか、日本人消費者の難しさ
京都での全予定を終え、明日から東京に戻る。来月は飲食店開業に向け沖縄、和歌山、岐阜と日本各地の仕入れ先をまわる予定だ。沖縄には琉球ワインを、和歌山には紀州備長炭を、岐阜にはディッシュの装飾に使うマイクロ野菜を。着々と準備は順調に進んでいる。
それと同時にPR戦略の一つであるインフルエンサーとの打ち合わせ、撮影会などの予定も徐々に埋まってきている。特に海外インフルエンサーは重要視しているため、私の知り合い中心に日本によく来ている方々との打ち合わせを急いでるところだ。
何故PRをグローバル視点で行うかの思惑は、至ってシンプルでグローバルの方が物やサービスは確実に売れやすいからである。特に日本のモノやサービスは日本人よりもグローバルの方が格段にウケる。
そこには、日本人消費者の難しさがあると私は考えている。その難しさにも2つの大きな要因があり、まず一つは日本人のパーソナリティである。
なんでもそうなのだが、グローバル外国人は即行動だ。しかし、日本人は特に消費行動を行う時にかなり慎重になる。例えば面白い商品を見つけてもこれがどの素材でできて、どこで作られたなど考えてしまう。考えることは重要なのだが、too muchすぎるのだ。
例えば、私がアパレルをやっていた頃、すべて中国広州の製品を卸していたのだが日本人は中国産に非常にネガティブで「あーこれカッコいいのにmade in Chinaか」となるらしい。いや、どこで作られても同じだろ(笑)貴方方が崇拝してるハイブランドも今や中国生産が増えているし素材が同じなら大して変わんねーよ。と思う。
ワインも同じだ。今はほとんど無くなったのだがSAMURAI SAUVIGNONの第一段の販売当初、フェースブックで日本語オンリーのクソリプが絶えなかった。「これは赤ワインと言えるの?」、「世界初と言ってるけどヨーロッパではやってるの見たことあるよ?」、「色素アントシアニンの濃度をわざわざ下げる必要はあるのか?」など
アントシアニンの色素を下げる必要性なんてたずねてこられた時はもうびっくりした。
「なら貴方、ランボルギーニの縦開き扉の必要性を教えてくれ」と返したのだが、ランボルギーニの扉が横開きと比較して不便すぎる縦開きになっているのは、ラグジュアリーブランドを構築するための異質性、他にない希少性でしかない。
このように物事には何もかも必要性があるわけではない。トヨタにはレクサスのような半ラグジュアリーブランドはあるが、完全なるラグジュアリーブランドにはなれずプレミアムブランドになる理由はこれだ。質が良いのがプレミアムブランド、質をも超え他にない異質性、希少性を求めるのがラグジュアリーブランドということだ。
これを理解できないのが日本人だ。海外発信でクソリプが飛んでこないのはこう言うことだと思う。こう言う文句ばかり言う人たちは、もう少し勉強をしてから発言をして欲しいと思うし、いい加減にきずいて欲しい。
もう一つの要因は、少し上記に通ずるものがあるかもしれないが、日本人はグローバルで見るともう貧乏になってきているという事だ。お金がないというより、使わないためケチな人間がかなり多い。こういう人たちは、真の価値を度外視して安さを最優先する。
そのため、そういう人たちがいる場所というのは必然と民度も悪くなる。そういう人たちが少し高いものを購入するととんでもない理不尽なクレームも飛んでくるのだ。
お金の余裕のある人や真の価値を理解できる人は、その商品やサービスの価値を瞬時に判断して即行動、即購入だ。そういう方々は変な言いつけをしてそんなクレームを言う暇もない。それができるほどの余裕がある人間が今の日本の中では少ないのだろう。だから、クソリプばかり飛ばすだけでお金は動かないし消費が鈍る。結局そういう人たちは質の悪い商品やサービスを手にすることになるため、損をしているのだ。
だから、私は初めからグローバルをみることができる事業をする。その方がシンプルに簡単に経済を動かすことができるからだ。実際、今私がやってる事業の9割はグローバル中心のマーケットで行っている。
今後商売をするならグローバルだ。