この国に既得権益が残るのは国民性に起因するのかもしれない
10月に入り僕がやっている飲食店MATTの予約が急増している。もともと10月はインバウンドが戻る時期でもある為、ある程度想定はしていたが、中でもアメリカからの観光客が倍増し大半を占めている。しかし、日本人はゼロだ(笑)1割程度は来ているのだけれどもやはりインバウンドと比較するとその数は極めて少ない。
聞いた話では、我々は京都で一号店を始めたので京都のワイン界隈では、「日本ワインをとんでもない価格で売っている店」や京都の一見さんお断り文化にあてて「日本人お断り店」なんか言われているらしい。そんな露骨なマーケティングをとっているわけではないんだけどな、、、
私の感覚は、グローバルで見た時の至って普通のマーケティングをしているだけだ。日本ワインの価格についてもしっかりロジックがある。日本国内でのワイン市場を考えると、土壌や気候の制約により、葡萄の生産量にはどうしても限界がある。しかし、その一方で、インフレを嫌う日本人消費者に合わせて、ワインが低価格で販売される現状もある。この矛盾した状況の中で、限られた生産量にもかかわらず利益を削って販売することは、当然ながら生産者に大きな負担をかけることにつながる。さらに言うと、その影響は流通過程のどこかにもしわ寄せがいき、持続可能な市場構築を妨げる要因にもなっていると言わざるおえない。だからこそ、我々は日本ワイン体験の価値を理解しているエンドユーザーに適正な価格で提供している。
この間、僕がやっているワインの話も含めこういう話を友人としていると「そういう人たちはやはり自分のフィールド権益を脅かされるのを嫌ってるんじゃないか」と友人が言っていて、なるほどなぁと思った。例えばワインだったら自分が今まで非効率的にコツコツ養ってきた知識とは全く異なる彼らにとっての非常識なものが登場するのが腑に落ちないのだろう。
でもこれは国民性なのかもしれない。例えば、レストランでいうと新しい店に日本人はあまり行きたがらない気はしている。それよりもミシュラン何年連続とか〇〇で修行した店主。とかそういう言葉に誘導される。でもそれは僕からすれば既得権益を意図的に作っている飲食オーナーの養分でしかない。隣の韓国でさえ、“新しい店の方がサービスが行き届いている”という良いイメージさえ存在するんだけど、この国は何故か長く既得権益にへばりつくが故にどの分野もイノベーションを起こしにくくなっている。
実際、鮨屋とか和食系のお店に限っては特にイノベーションのイの字もないのが現状だ。例えば、未だに江戸前スタイルの白系色の生姜が使われているが、あれ別に赤でも黄色でも良いわけだがどこも変わったことをしようとしない。変わったことをすると叩かれるからだ。しかし、これアメリカや他の国の結構しっかりした日本人が握っているおまかせスタイルのお店でも赤の紅生姜とか出しているお店は多い。消費者が日本人でなければ誰も叩かないからだ。
これ凄く面白いなと思っている、我々の非常識的な日本ワインや日本料理もアメリカ人や他の国々の方々からは素晴らしく評価されている。実際Google mapの口コミは国内でもトップレベルだろう。やっぱり政府やJTCと呼ばれる古い企業がその体制を変えたとしても、国民性はそう簡単に変わらない。これ結構難しい国の課題だなとつくづく実感している。例えば、資本主義である以上株価というのは重要なのだが、PBRこれは企業の株価1株あたり純資産の何倍になっているかという指標なのだが、日本企業はほとんどが1倍前後で推移している。これは何を意味するかと言うと、株価が今企業に残る資産、内部留保以上に評価されていないと言うことだ。要は極論そのまま株式を解散して株主に現金を分配した方が良いと言う評価をされている。
しかし、アメリカではPBR平均で5-6倍はある。企業の資産よりも何倍も高く評価されていることになる。これは言い換えれば期待値だ。既得権益がほとんど存在しない国ではイノベーションのスピードとイノベーション企業による競争激化でそこに富が集中しやすいのだ。
これは考え方が非常に難しいのだが、日本人を相手にしないインバウンド事業は非常に今後もイノベーションという観点では評価はされやすい、しかしこの手のビジネスはアメリカで上場しない限り富は生まれにくい。国民性を変えるのはそう簡単ではない。。。