わたしにとっての事業承継
半年前に書いたアトツギになる覚悟を決めるまでの記事。noteだけでなくオンラインコミュニティ「アトツギファースト」にも掲載したので、おかげさまで沢山の人に読んでいただけました。ありがとうございます。
※会う人、会う人に読みましたと言われて、少し恥ずかしかったです笑
その記事の中で私は自分の心の中に潜むモヤモヤを払拭するべく、藁にもすがる想いで大学院に通い始めたことを触れてました。今、ちょうど入学してから1年半くらい経過していて、順調にいけばあと半年で卒業する予定です。
社会人大学院生活は平日夜遅くまで授業を受けて、帰宅後に予習や課題、グループワークなどが入ってくることになるので、12時を過ぎることもザラにあり、常に何かの期限に追われるという毎日を過ごしています。
ただスタートアップファクトリーの入賞特典でオックスフォード大学でピッチをさせてもらったり、海外のファミリービジネスの後継者10名とお話しさせてもらったりと、個性豊かな同期とともに大人の青春ともいうべき、非常に充実した時間を過ごすことができてます。
そんな大学院生活の中でずっとずっと考えていたことは「事業承継」のことでした。
色んな授業を受けながら、今後の経営における指針をずっと探していました。大学院の入学時の面接では、
「どんな研究テーマを考えてますか?」
というお決まりの質問があるのですが、わたしは
「研究テーマは全然定まっていないのですが、入学したからの2年間で家業の中長期経営計画を考えたいと思います」
と答えていました。
つまりわたしの頭の中では「事業承継=未来を見据えた戦略を考えること」になっていました。しかしここまで1年半ほど経過したのですが、今のところこれといった納得いく指針は見つかっておりません。
ただ唯一、ヒントを与えてくれたのがファミリービジネスの授業でした。もちろん今感じている問題意識を解消してくれたわけではありませんでしたが、いまのフェーズの自分が何と向き合うべきなのか、そのロードマップを示してくれました。
そしてわたしは"あること"に気が付きます。
そこで、自分はなぜ履き違えてしまったのか、最近考えていることを回顧しながら整理してみようと思います。
※毎度のこと、長文になってしまったのでスマホではなくパソコンに切り替えて読むことをオススメします
家業らしさとは
ベンチャー型事業承継の代表・ジルは、アトツギは「家業らしさ」の深掘りが大事だという話をよくしています。なかでもホームページの沿革などには記載できないような黒歴史を調べたほうがいいよとおっしゃっていました。
アカデミックの世界だと、「家業らしさ」は「ファミリネス」という用語で表現されていたりします。
例えば、ファミリービジネスの超有名な論文であるHabbershon & Williams (1999)の「A Resource-Based Framework for Assessing the Strategic Advantages of Family Firms」を読んでみると、「ファミリネス」こそがファミリービジネスの競争優位の源泉であると述べられています。
またファミリービジネスの授業でよく教科書に指定される後藤先生の著書によるとファミリネスの定義は以下のように書かれていました
ちょっと抽象的でわかりづらいので私なりに噛み砕いてみると、
・創業者の精神
・ファミリーのDNA、価値観
・長い年月を通してできた企業文化
・先代が達成したかった想い
・ファミリーのいざこざから学んだこと
などが「ファミリネス」として当てはまるんじゃないかなと思っています。
そしてその多くが、わかりやすく言語化されているわけではなく、ファミリーの中で暗黙知として根付いていて、一朝一夕に生まれるものではないと感じています。
また違う論文と読んでみると、事業承継では「暗黙知の移転」こそが最も重要な要素であり、その移転プロセスを様々な角度を加味しながら、フレームワークとしてまとめています。
つまりアトツギである"いまの"自分がやるべきなのは、先代から「ファミリネス」というべき暗黙知をしっかりと受け継ぐこと。それこそがファミリービジネスの経営学が示してくれてたことでした。
答えが見つからなかった
わたしはいろんな角度から業界分析をしたり、戦略を考えたりしました。けどなんかしっくりこないな…となってしまっていたのは「暗黙知の移転」ができていなかったからではないかと最近、思い始めてきました。
例えば、とある戦略系の授業の最終レポートでは以下の指示がありました。
わたしはこのレポートでかなり良い評価をいただくことができました。ただいくら周りから客観的に筋が良い戦略だと解釈されたとしても、自分でそれっぽく描いたその戦略に自分自身が腹落ちしなかったのです。
特にその瞬間は「良いかも!」と感じても、少し時間が経過するとすぐ「なんか違うな」と、すぐブレてしまっている自分がいました。
冷静に振り返ってみて、「外の世界」ばっかりを向いていくら答えを探しにいっても見つからないのはある意味、当然です。置かれている環境も違えば、性格も違う、自分の想いだって絡んでくる。そんな複雑な"生もの"ともいうべき非合理な問題を簡単に紐解けるほど万能な薬はありません。
結局は「内の世界」にも向き合って、最後は直感で納得する道筋を見つけるしかないのだなあと感じています。
暗黙知の移転
いまの自分の状況を説明するのに、一橋大学の野中郁次郎先生のSECIモデルほど、どんぴしゃりなものはありません。
SECIモデルとは知識の創造プロセスを描いたもので、「共同化」「表出化」「連結化」「内面化」の4つのプロセスで構成されています。また「暗黙知を形式知に」「形式知を暗黙知に」という変換・移転を繰り返しているのが大きな特徴です。
イノベーションの観点から見てみると、このSECIモデル全体がイノベーションを生む知識創造プロセスを表現していますが、より狭義で見てみると特に形式知と形式知を組み合わせる「(3) 連結化」がそれに当てはまると思います。
ただ大きな前提条件があります。「(3) 連結化」は「(1) 共同化」と「(2) 表出化」のあとに設定されていて、SECIモデルの第一歩は暗黙知を移転・共有する「(1) 共同化」であるということです。
わたしのモヤモヤの原因はここにありました。
外の世界に目を向けて、イノベーションのネタを考えたり、戦略を考えたりすることは確かに重要なことですが、「共同化」のプロセスが抜け落ちていました。つまり、いきなり世の中に転がっている外の形式知を取り入れようとしちゃっていたのです (「連結化」)
だからSECIモデルのスパイラルがうまく回っていませんでした。
事業承継は野生への回帰
この「共同化」プロセスの説明として野中先生は稲盛和夫の京セラの例を挙げています。
事業承継の文脈で「共同化」を考えると、それこそがまさに冒頭述べたファミリネスの継承に当てはまるんじゃないかなと思っています。
そしてSECIモデルは各プロセスにおいて「人数の単位」が定義されていて、「共同化」は個人 vs 個人のぶつかり合い、つまり2人でやるというのが基本形になります。そして事業承継だと、その2人とは言わずもがな、先代 vs アトツギになると思います。
Me(アトツギ)とYou(先代)のそれぞれが持っている極めて主観的な本音をぶつけ合い、ときには衝突ながらも、お互いが同じ方向を向いたWe(ファミリー)としての向かうべき未来を導き出していくことこそが「共同化」に当たるのではないでしょうか。
野中先生は、とあるインタビューで次のように述べていました。
まさにこの1年半の自分のことを言われているようで非常に沁みました。
特にここの格闘は第3者の人たちが働きかけて進むような話でもなく、正論が通用するような話でもないので、その瞬間のアトツギと先代、双方の精神状態に大きく左右されるような気がします。言い換えるとどちらか一方でもReadyな状態じゃなかったら、一向に対話が進展せず、むしろ関係を悪化させることになってしまうというトラップがあるのが難しいところです。
またインタビュー記事にもある通り、野中先生は「野生の経営」という本も出版されています。
この本を読んだ時、わたしはあるコンセプトが頭をよぎりました。スノーピークが掲げている「人間性の回復」です。
改めてこのコンセプトを掲げた山井さんってすげえなあと思いました。
この間、父と今は使われていない旧本社の建物に行く機会がありました。そのとき創業者のことや地域のこと、どういった経緯で社長になったのかなど、ビジネスとは直接的には関係のない家業のことをいろいろと話しました。
これこそがわたしの事業承継に対する心境の変化です。
まだまだ暗黙知の移転は全体の10%も進んでいないとは思いますが、感覚的にこの対話の延長線上に未来の会社の舵取りのヒントがあるように感じています。
ようやく事業承継のスタートラインに立てたのかもしれません。