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“心と身体は繋がっている”
“心と身体は繋がっている”よく耳にする人もいるだろう。私がこの言葉を看護の本で見つけた時、色々腑に落ちた。
小学生の頃はひょんなことでいじめの標的で保健室利用の常連だった。学校に行こうとするとなんだかお腹が痛くなる、気がする。現場(学校)に行くと本当に痛くなってくる。病は気から、とはまさにこのこと。
中学生に上がってからも、両親の離婚を皮切りにメンタルの浮き沈みが激しかった。この頃は(誰かに心配されたい、注目されたい)という気持ちが大きかった。後頚部~背部まで謎の湿疹が出たり円形脱毛になったり。気持ちには気づいていないが気配は感じていた。身体にそれ(症状)を発露させるか否かは、最終的に自分で決めていたように思う。
いわゆる心身症気質な私は、のちに看護師になって結婚した。色々全部を頑張ろうと意気込んだ結果、ある日突然思考が回らないよう感覚に陥り、いつも泣いて塞ぎこんでしまう状態になった。それから充電期間があり、“心と身体は繋がっている”ことを深く体験できた。
それからというもの、身体を整えることの情報を受け取りやすくなった。
すっかり元気になった私は、長男を妊娠出産を経てヨガをやるようになった。呼吸を使うヨガは自律神経にアプローチしてくれるので、やるとやらないでは心身状態が段違い。それを自覚してからはもっとヨガを知りたいと思いヨガの勉強もしてみた。人に伝えるスキルも習得して、実際にレッスンする機会もあった。緊張したけど本当に貴重な体験で。今まで自分が心身症気質だったからこそ、この経験ができてるんだなと捉え直せた瞬間だった。
今年10月、季節の変わり目に身体が素直に従うように風邪をひいた。症状が改善したかと思えばぶり返し。そんな中でも我が子の育児は続く。ある日スーパーで買い物した際、三男に抱っこを求められいつもの如く右肩に向かって抱き上げた。だんだん体重も増え、抱き上げるのにも勢いがいる。
その日の夜。睡眠中に右股関節がいつもと明らかに違う感覚になっていることを自覚した。灼熱感と疼痛。気のせいかと思ったけど気のせいじゃない。
その感覚は引くことなく、耐えきれず下の階に足を引きずりながら降りて痛み止めを飲んだ。
それからも痛みは引かず、翌日も、そのまた翌日も痛いままだった。さすがに、と思い病院へ行った。レントゲンで何度も体位変換して撮影した。痛いという症状があると寝返りすらも辛いのか、と患者になって気づく。その日はなぜか、病院のシステムの不具合で写真は反映されず診断してもらえないまま帰宅となった。骨に異常があればご連絡します、と言われその後病院から連絡がくることはなかった。骨には異状ないんだ、と安堵した。幸い普段は自宅での仕事。職場に出勤するのに難儀する、という事もなかった。辛くない体勢で痛み止めを飲みながらで仕事できた。日ごとに定時で痛み止めを飲む頻度も減っていった。けれど、少し活動量を増やすと痛み止めが必要になる。その塩梅がつかめていない現状である。
すっかりヨガをすることも、習慣から抜けてしまった。
ある日電話があった。受診した病院からだ。電話口は対応してくれた先生で、改めて骨には異常がないことを教えてくださった。が、所見として股関節の臼蓋形成不全があると伝えられた。
実は幼少期に左股関節の臼蓋形成不全で装具をつけていた、と母から聞いていた。今回は右。両側ということ。今はいいけど加齢に伴って8割の方は人工骨頭の手術をするとも伝えられた。看護の現場でも耳にする言葉。
聞きながらどこか、違う方から「なんか私言われてるな」と俯瞰している自分がいた。終話してから、やっと自覚した。うん、モヤモヤする。。
普通に運動していいの?
2割の手術しない方側になるには。。?
色々頭に浮かぶ。すぐ何かを解消したくてネットでその所見を検索してみる。先生から説明されたことしか載っていなかった。
このタイミングで受傷して、この所見を知った意味は何なのだろう。
心と身体は繋がっている。
今心は自分的に安定しているのだが、身体を悠々に動かせないこの状況は心の何を反映しているのだろう?
間違いなく自分にとっては意味あること。