saki|青森でフリーランス看護師

㈱セラナースト所属。オンライン秘書とSNS・文章業務。複業で産業看護職等。現役時代は行政・訪問・外来・病棟経験有り。4歳3歳年子双子男の子育ててます。文章書くの好きで色々書いてます。ライター仕事を増やしたい今日この頃です。

saki|青森でフリーランス看護師

㈱セラナースト所属。オンライン秘書とSNS・文章業務。複業で産業看護職等。現役時代は行政・訪問・外来・病棟経験有り。4歳3歳年子双子男の子育ててます。文章書くの好きで色々書いてます。ライター仕事を増やしたい今日この頃です。

最近の記事

〝家族〟っていいね。

もうすぐ5歳になる長男が時折言葉にする。たとえば皆でテーブル囲ってご飯を食べている時。初めて聴いた時は〝なんて幸せな言葉なんだろう〟と、泣きそうになった。 テーブル囲って家族でご飯を食べることが〝当たり前〟になった日常。あちらでは「トイレ!」と途中退席する者もいれば、床に食べたくないものをワザとこぼす者。夜入眠したくないと何度もトイレに駆け込む者。そういったのに対応していると、正直嫌気がさしてくる時がある。 いつになったらこの対応から卒業できるのだろう、と。 嫌気がさすよう事

    • 気付いたら曖昧な世界が好きになっていた

      フリーランスのお仕事をするようになってから気付いたこと。自分は曖昧さの中に丁度いい具合を見出すことが好きだということ。 看護師で現場最前線で働いていた時には思いもしなかったことである。その当時の私は完璧主義、白黒思考の持ち主だったから。もちろん働く環境や仕事内容によって大きく変化する。 でも、今私が働く環境でワクワクする場面に出会うことが多いのは確かである。 こんなにも自分は文章化したり、成果物を創ることが好きだとは思いもしなかった。 でも、思い返せば幼少期はコツコツ黙々と編

      • 過去にまいた種が

        ずっとやろうと思って後回しにしていたこと。 それは、ライターの実績をつくること。 セラナーストに所属してから、ライティング業務を賜った。 初めは言葉が閃かず、誰かの文章や手持ちの本を読み漁ったしていた。 しかし、そうなるとどこかお固い文章になってしまい。 もちろんモデリングすることは大切で、 自己流は事故るとも言われたりしている。 書く内容にもよるのだろう。【テーマ】に沿ったものであれば、なるべく〝自分〟をそぎ落として書いた方が世の人にうけると思う。 わたしが賜った文章業務

        • “思い通りにならない”の先に

          とある日のこと。 携帯の文面を読んで色んな意味で自分に衝撃が走った。 動揺?不安?疑問?期待? どれもそうなんだろう。いろんなものが自分の心の中で膨れ上がっていた。 これは私の次のステージに向かう課題なのだろう。 同時に自分は現状に甘んじたのでは?という考えもよぎる。 人はあっという間に「当たり前」だと、慣れてしまう生き物だ。 丁度タイミングよく読んでいた本があった。 “思い通りのまま”の先にあるのは“退屈” “思い通りにならない”の先にあるのは“ワクワク” 前者の“

          期待を寄せる。

          長男は言語訓練に通っている。 3歳児健診の時、言葉検査の際、場見知り・人見知りが強くコミュニケーション能力・語彙力が平均よりも低いという指摘を受けた。 「徐々に就学も近づいてくる年齢なので、今のタイミングで言語能力を伸ばせれば今後〇〇君(長男)にとって、よりよい学校生活が送れることにつながるかもしれません。」 そのようなニュアンスで言語の先生にお話いただいた時は、二つ返事で「YES」だった。迷うこと等なかった。だって息子の為なのだから。 訓練に通い始めてから半年が経とうとし

          3人からの「ママー!!」

          私は毎日3人の息子達から 「ママ〜!!」「ねぇ、ママ聞いて!」 と求められている。 この絶対的に“私という存在”が求めらていること 相手(息子達)が存在ごと私を承認してくれているから、である。 文章に起こしたらなんて素晴らしい事なのだろうと今感じてる。 現実わたしが連呼されている最中は、少しその事を鬱陶しいと感じている。 だって、皆三様に話し始めるから!何言ってるか分からないの! 一人ひとりの話を聞こうと試みるけど、その順番でも争いが起こる。 最中はしょうがない。。鬱陶

          3人からの「ママー!!」

          「今日どうしますか?」

          先月右股関節を痛めて受診した病院へ説明を受けるために再受診した。 (おかげさまで股関節痛は軽快) 病院に着いて診察券一式を投函し受付。程なくして名前が呼ばれる。 「○○さん(私)、今日どうしますか?」と受付の方が訪ねて来た。 私の頭の中は???だった。 これから私が病院で“したいこと”を尋ねられてるのか? 選択肢が分からず、オープンな問いに思考が止まった。 まるで美容師さんに尋ねられるような質問。 一瞬沈黙を作ったのちに、わたしの口から出たのは、 「どうしますか?」 そう、

          “心と身体は繋がっている”

          “心と身体は繋がっている”よく耳にする人もいるだろう。私がこの言葉を看護の本で見つけた時、色々腑に落ちた。 小学生の頃はひょんなことでいじめの標的で保健室利用の常連だった。学校に行こうとするとなんだかお腹が痛くなる、気がする。現場(学校)に行くと本当に痛くなってくる。病は気から、とはまさにこのこと。 中学生に上がってからも、両親の離婚を皮切りにメンタルの浮き沈みが激しかった。この頃は(誰かに心配されたい、注目されたい)という気持ちが大きかった。後頚部~背部まで謎の湿疹が出たり

          “心と身体は繋がっている”

          やっぱり文章書くことが好き

          ご無沙汰です。 またnoteから足が遠のいておりました。 ですが今日は朝からnoteを開き、色んな方の投稿を拝読しております。皆様有益な発信をありがとうございます。 何故、急にまたnoteを開いたのか? 最近はXの投稿に気合いをいれてるのですが、朝こんなポストをお見かけしました。 「フリーランスでよく実績がないという方がいるのですが、本業外のことでも例えば自主制作のものも実績になります」といった内容でした。 そのポストに対して、他の方が 「毎月本30冊読み、10本not

          やっぱり文章書くことが好き

          どの考え方を味方にする?

          2年前だろうか、心理学を学んで。 心理学は自分の味方になってくれる。 先人の考え方がたくさんある。 --- 最近夫が 仕事の対人関係に頭を抱えている様子。 どこか飄々としている彼は かつての執着心が多かったわたしの背中を 押してくれたり、寄り添ってくれた。 飄々としているから 寄り添い方も粘着質ではない。 サッパリしている。 彼の口からは 「執着ない」 「ノーダメージだ」 という言葉が聴かれていたもんだけど、 そんな彼が これまでとは異質な空気を放っている。 (シンプ

          どの考え方を味方にする?

          信用と信頼。

          今年の春から私のはたらき方は変わって、 会社員という括りではなくて 個人事業主として直接仕事を受けている。 個人の肩書ではたらく上で感じるのは 信用と信頼のカケラをどんどん集めているような感覚。 先日、だれかがスレッズで 「どのように節約されていますか?」と 不特定多数の方に向けて質問されていた。 その前段で世帯収入も赤裸々に記載されていて おお、すげーな。。 と思ったけれどアイコンもなし 名前もランダム英語で 誰なのかわからない。 だから、 こんな赤裸々なこと質問で

          余白だらけの母子手帳

          もうすぐ次男三男、双子の3歳児検診がある。 3歳児検診受けるのは、3歳6ヶ月になった頃で いま彼らは3歳7ヶ月。 検診を受けるにあたって、事前に問診票をいくつか記入する。 3歳時検診は検診項目も多く、前回受けた1歳6ヶ月検診よりもはるかに問診の量が多い。 我が家は2人分のため、さらにその問診票を記入するまでに気合がいる。 まず1人分取りかかった。 ざっと一通り記入しただけでも小一時間経っており(10分くらいで書けると思っていた) その日で2人分を終わらせようと思ってい

          メロンやスイカへ。

          あなた方はとても美味しい。 葉物のようにすぐに冷蔵庫に保管しなくとも、 玄関のタタキに転がしておこうとも、 熟すそのちょうどいい頃まで 寝かせておく。 ついつい その安定感のある佇まいに 頃合いのタイミングを見逃す時がある。 いやそのタイミングの隙間に わたしの面倒くさいが隠れている。 皮を剥くのが面倒なのである。 美味しいのはわかってる。 でも剥く工程がどうも。 まな板を出して その上に登壇してもらい、 入刀してしまえばこっちのものだとは分かっているんだけどね。

          習慣じゃなくなる

          noteのページを開くことも 書くこと自体もだいぶご無沙汰になっている。 なぜだろう。 それはやるべきことが増えてきたからだと思う。 やるべきことが増えてきて、 それをスケジュールに 落とし込んでいくのにあたって、 Googleスケジュールや スプレッドでタスク使用したりと ネット環境で完結することが増えた。 あんなにもノートに 細かくつらつらと文字を綴っていたのに、 驚くほど書く行為が減った。 毎日のやるべきタスクにかまけて 自分の心の動いたところを 少し見過ごし

          また始めました。

          最近またヨガを本格的にやり始めた。 きっかけは、ヨガを提供する機会ができたからだ。 ヨガの学びをしてから気づくともう1年経とうとしている。 去年の6月から8月まではヨガに打ち込んで、 真夜中深夜2時3時まで練習をしていた時もあった。 4日間のプログラムで最終日は発表。 カンペ作りに一生懸命になりすぎて、 でもカンペがないと、どうやって伝えればいいのかもわからなくて。 初めてヨガ始めたのは4年前だろうか。 長男が生まれた頃。 からだがボロボロというか なんだかスッキリした

          作ること

          作ることが好きである。 作るものの形はさまざま。 作ることが好きだからといって、例えば絵が上手に書けるとか、とびっきり傑作なものを作るというわけではない。 その評価だって、一体何を基準にしてるかって「他者」が自分より美しく形にしていること。 でも、作って無我夢中になっている過程が好きなのである。純粋に楽しい。次にこれとこれをこうして、、と考えていると、ワクワクしてくる。 その過程の先で完成したものは、自分の充実感と満足がいっぱいにつまったものである。その外観が美しいとか