『霧笛』(1952年3月5日・東宝・谷口千吉)
谷口千吉監督と三船敏郎コンビによる、明治初期の横浜を舞台にした恋愛活劇『霧笛』(1957年3月5日・東宝)をスクリーン投影。『霧笛』というとすぐに『原始怪獣現わる』や赤木圭一郎『霧笛が俺を呼んでいる』を連想するが、この『霧笛』と『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年)は、ほとんど舞台が同じというのが面白い。
ヒロインは李香蘭こと山口淑子演じるお花。彼女が許嫁者を、横恋慕した荒くれ男に殺されてしまい、その男を刺殺してしまうところから物語が始まる。お花の本名はお千代で、由緒ある旗本の娘だったが、幕末の動乱、廃藩置県で全てを失って天涯孤独。衝動的な怒りで人を殺してしまい呆然としているお千代に、優しく声をかけたのが外国人居留地で貿易商をしている顔役のギム(ボップ・ブース)。お花を、警察の手の及ばない居留地の別宅に匿う。
この頃の山口淑子、実に妖艶というかラナ・ターナーやキム・ノヴァクのような匂い立つ色気がある。ドイツに妻子がありながら、ギムはお花に一目惚れして、お人形を扱うように彼女を別宅に囲う。いわゆる「らしゃめん」である。だけど、お花はギムには、頑なに心を閉ざしている。その世話をするのが中国人のアマ(千石規子)。その別宅を取り仕切っている芳村(村上冬樹)の慇懃さが、なんとなく怪しい。芳村はギムのビジネスパートナーで、洋装の外国かぶれのような風体で、ギムの仕事から甘い汁を享受しているようである。
ギムを演じているボップ・ブースは、昭和20年代から30年代にかけての邦画ではお馴染みの外国人。トニー谷の『さいざんす二刀流』(1954年)や波島進の『姿三四郎』(1954年)、谷口千吉の『赤線基地』(1953年)などでも顔馴染み。ここでは、山口淑子、三船敏郎と並ぶメインキャストの一人で、英語とカタコトの日本語で堂々たる芝居を見せてくれる。
さて、ギムの本宅には、洋行を夢見ている青年・千代吉(三船敏郎)が馬丁として住み込みで働いている。千代吉はかつて外国船に忍び込んで密航を試みたが、見つかって簀巻きにされて横浜の海に沈められそうになったところで、ギムによって助けられて、その庇護下にいる。なので、千代吉にとっては大恩人。こんなに素晴らしい人は居ないと惚れ込んでいる。
千代吉と一緒に、ギムの世話をしている爺さん・左卜全は、危に近寄らずのこと勿れ主義で、ギムの私生活や仕事には一切干渉しない。
というわけで映画は、一見、親切で人格者の貿易商・ギムには、実は裏の顔があって・・・という風に展開していく。そのギムと悪巧みをしているのが、先ほどの芳村と、その配下で横浜の港を仕切っているワルの豚吉(志村喬)。この志村喬がかなり悪辣で、彼らの不正を暴こうとした、千代吉の親友の労務者・柳谷寛を殺してしまう。
そこからギムの悪事が露呈していくのだが、それは後半の展開。大佛次郎の原作と八住利雄が脚色、谷口千吉がさらに手を入れたシナリオは、後半、のちの日活アクションのような展開となっていて「活劇からアクション映画への萌芽」が感じられる。
さて、話は前半に戻る。お花は妾宅で「籠の鳥」状態だったが、ある日、馬丁の千代吉と心を通わして、二人は恋仲となっていく。そのプロセスが、谷口作品らしく、ロマンチックかつリリカル。お花が琴をつまびいていると、窓の外では千代吉がフルートを吹いて、自然と合奏となる。ハリウッド・ミュージカルのような演出で、二人の心が通い合う。この段階で、千代吉は「らしゃめん」のお花が、ギムに囲われているとは知らない。それゆえに、それが分かった時のショック、苦悩。三船敏郎の映画には珍しく、恋に一途な青年の純情が描かれる。
お花は本名が千代であること。人を殺めて逃亡中であることを、千代吉に話す。お互い身寄りのない二人は、千代が警察に自首して服役した後に、結婚しようと約束をする。千代=お花はそのことをギムに告げ、別れを切り出す。ギムは理解を示したようなそぶりをするが・・・
そこからは、のちの日活アクションのような展開。三船敏郎のボディ・アクションも楽しめる。志村喬一味と波止場で大立ち回りをして、満身創痍となるが、血だらけで交番に出頭。警官が「殺人か?」とびっくりしたところで、カメラがパンをすると、三船敏郎が引っ張ってきたのは血だらけの志村喬。このシーンがなかなかいい。
クライマックス。お千代=お花が恋をしたのが、馬丁の千代吉と知ったギムが苦悩した挙句、下した結論は・・・ このラストが『霧笛』の身上というか、意外や意外のエンディングも後口がいい。
明治七年の横浜居留地は、ほとんどがセットを再現しているが、震災前まで横浜のランドマークだったグランドホテルと、山下橋からの横浜港への桟橋のショットは、東宝特殊技術部の合成による再現が良い。ちょうど、のちの『霧笛が俺を呼んでいる』にも登場した界隈である。