『亡霊怪猫屋敷』(1958年・新東宝・中川信夫)
中川信夫監督の怪談映画は滅法怖い。観客が何を怖がるか、何が不気味かがわかっているからだろう。この『亡霊怪猫屋敷』は、サイレント時代から連綿と作られ続けて来た「鍋島猫」ものでありながら、ホラーという点では完璧かも知れない。
冒頭、深夜の病院をコツコツと歩く主観カット。懐中電灯が霊安室に運ばれていく遺体を一瞬とらえる。渡辺宙明の不気味な音楽。ようやくストーリーテラーである<わたし>こと久住(細川俊夫)が登場する。科学者である医者の彼は、幽霊を否定する、しかし・・・とモノローグで6年前のあの事件が語られていく。
『亡霊怪猫屋敷』は<現代篇>と<時代篇>で構成されている異色の怪猫映画。科学者である<わたし>が、結核に冒された妻頼子(江島由里子)の転地療養のため、妻の故郷に戻ってくる。途中、車が猫を轢きそうになって、崖っぷちで寸止めとなる。その恐怖。やがて、いつの間にかロケーションからセットに切り替わって、これから夫妻が住むことになる幽霊屋敷に入っていく。このセットがまたすごい。後年、大林宣彦の『HOUSEハウス』(1977年)に登場する荒れ果てた屋敷のイメージの原点は、おそらくこのセットだろう。長い庭先を歩いていると離れで、不気味な老婆(五月藤江)がたたずんでいる。悲鳴をあげる頼子。老婆の姿は妻と観客にしか見えない。
中川演出の怖さは、こうした不条理な、しかし誰が見てもビジュアル的には怖い<老婆>をポンと出すところにある。テレビ怪談の傑作「牡丹灯籠 鬼火の巻」(1970年)の盲目のゴゼなどもその好例だろう。
ある雨の日、飼い犬が異常な吠え方をする。雨の中、老婆が歩いている。狂ったように吠える犬。診察室で退屈そうに雑誌を読んでいる看護婦にキャメラが寄っていく。不気味な音楽が高まると、そこにくだんの老婆が! このショック演出。
結局、急患を知らせに来たと解釈した看護婦が、<わたし>を呼びにいくと老婆はいない。しかし、その時老婆は頼子の寝室に現れ、彼女に襲いかかる。老婆は、まるで吸血鬼が獲物を狙うように、頼子に食らいつく。
白髪の老婆だけで、相当怖い。演ずる五月藤江は『九十九本目の生娘』(1959年)、『花嫁吸血魔』(1960年)など新東宝怪奇映画には欠かせない怪女優。彼女の存在だけで<現代篇>の恐怖を生み出しているのだ。
なぜ、老婆は頼子に襲いかかるのか? その謎は、僧侶(杉寛)の話で明らかになる。映画はここから<時代篇>となり、画面もカラーとなる。物語はようやく「鍋島猫」の因縁話となり、この幽霊屋敷の由来が明らかになる。
ここからの展開はオーソドックスな怪猫映画となる。何十本と作られてきた怪猫映画だけに、それだけでは恐怖を生み出せないという発想からの現代篇なのだろう。原作は怪奇作家・橘外男。怪作『女吸血鬼』の原作「地底の美肉」も橘の小説だった。
幽霊屋敷にはかつて大村藩の家老・右堂左近将監(芝田新)が住んでおり、小手毬屋敷と呼ばれていた。彼は大変気短かで、碁の師匠竜胆寺小金吾(中村龍三郎)を、“待った”を承知しなかったのに立腹し、斬り殺してしまったのだ。若党の佐平治(石川怜)をおどして、死体を壁に塗り込めてしまう。
盲目の母・宮路(宮田文子)を慮って、無念の小金吾の霊が、彼女の前に現れる。将監のもとへ敵討ちに向かう母・宮路は、逆に将監にレイプされてしまう。自害を覚悟した宮路は、小金吾が可愛がっていた愛猫たまに生き血を吸わせて絶命。
そこからはお約束の展開だが、中川監督ならではのショック演出が連続する。小金吾を塗り込めた壁が、真っ赤な血に染まる。
そして、将監の老母(五月藤江二役!)が、宮路の霊にとり殺され、化け猫の化身と化すのである。ここでようやく<現代篇>の老婆との接点が見えてくる。やはり、この映画の恐怖は老婆なのである。
一時間ちょっとの中に、二つの時代のドラマを展開させる構成の妙は、石川義寛の脚色のうまさにある。因縁話に人間の業の深さ。
将監は、小金吾の幽霊が出現した直後に、息子の恋人・お八重(北沢典子)に手をつけようとする。この業の深さ。結局、八重は錯乱した将監に殺されてしまう。しかしこの映画ですごいのは、やはり五月藤江。深夜、血を舐めている老母を女中が目撃。「みたな!」 化け猫と化した五月が女中を操るお約束のシーンもある。朝まだき、庭の池の鯉を銜え縁の下に隠れ、深夜、あんどんの油を舐める老母。将監は刀を振り回し化け猫に挑み、小金吾の霊に悩まされる。壁からは鮮血がにじみ、お八重や宮路の霊も現れる。このあたりのたたみ掛けは、それまでの化け猫映画にない迫力である。
クライマックス、将監は息子と斬り合い、惨死を遂げる。結局、ほとんどの人間が亡くなってしまったのが小手毬屋敷だったという。
再びドラマは<現代篇>に戻り。僧侶の説明で頼子の苦しみの原因が判明する。さらにダメ押しがあり、鮮やかでショッキングなオチがつくまでの68分。我々は中川信夫の怪談美学に酔いしれることになる。
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