『人斬り』(1969年8月9日・五社英雄)
石原裕次郎の最後の映画ソフトが2022年8月30日、五社英雄監督の命日にリリースされた。待望の『人斬り』(1969年8月9日・五社英雄)である。ちょうどぼくが、6歳の誕生日を迎えた日の公開である。ヨーロッパでDVD化されたが、長らく権利の関係で、日本でのソフト化は叶わなかった。朝日新聞出版「石原裕次郎シアターDVDコレクション」でのソフト化に動いたものの、権利の関係でやむなく断念していた。ところが今年、2022年、ポニーキャニオンからBlu-rayでリリースされたのである。これは、裕次郎ファン、勝新太郎のファン、三島由紀夫のファンにとって大事件である。
勝新太郎の勝プロダクションとフジテレビが提携した時代劇大作『人斬り』に裕次郎が出演することになった。斜陽の映画界で三船敏郎と共に『黒部の太陽』を成功させた石原裕次郎と、『燃えつきた地図』(一九六八年八月・勅使河原宏)で映画製作に乗り出した勝新太郎。
マスコミは「スタープロの時代到来」と華々しく書き立てたが、同時に五社によるプログラムピクチャーを中心とした映画界の斜陽に歯止めがかからなくなってきたことの証でもあった。そして新たに映画製作に乗り出したのが、テレビ局。昭和三十四年に開局した、民放としては後発のフジテレビが、この年の五月一日、東宝傍系の東京映画との共同で『御用金』を製作、同年の年間興行ランキングで一〇位となる大ヒットを記録していた。
さて『人斬り』は、『御用金』に続いて、フジテレビの人気番組「三匹の侍」(一九六三年)のディレクターで同作の映画化で監督デビューを果たした五社英雄が演出。司馬遼太郎の短編小説「人斬り以蔵」に着想を得て、黒澤明作品を手がけてきた橋本忍がオリジナル脚本を執筆。
勤皇か? 佐幕か? 策謀渦巻く幕末で、土佐藩の郷士・岡田以蔵(勝新太郎)が、土佐勤王党の党首・武市半平太(仲代達矢)に見出され、最強の暗殺者となり「人斬り以蔵」と呼ばれ、京の都を震撼させる。殺人をすることは、土佐藩のため、勤皇のための「天誅」と武市に教え込まれ「人斬り」を生き甲斐にしている以蔵と、郷里の親友・坂本龍馬(石原裕次郎)の友情。そして薩摩藩士でやはり「人斬り」と恐れられた田中新兵衛(三島由紀夫)との交流を、徹底的なバイオレンスとともに描いていく。
自分を暗殺の道具としか見ない武市半平太に隷属している以蔵に対して、もっと広い視野を持てとアドバイスする坂本龍馬。大義のための滅私か? 信念のための自由か? 坂本龍馬の行動原理は、日活映画で裕次郎が演じてきたキャラクターの延長にある。殺伐としたドラマの中で、しばしばインサートされる裕次郎と勝新太郎のツーショットは、作品のアクセントとなっている。
また、三島由紀夫の田中新兵衛が実に素晴らしい。勤皇の志士たちが集まる居酒屋「おたき」で、坂本龍馬と出会い、自己紹介をするシーンが、三島にとっては撮影初日だった。
《立廻りの撮影が一番たのしみで、本当はここから入りたかつたのに、スケジュールの都合で、「おたきの店」のセリフ場面からなので、内心これは困つたことだと思つた。撮影に馴れないで、いきなり登場場面のセリフから入るといふことは、役者として大きな負担である。》(三島由紀夫「『人斬り』出演の記・大映グラフ一九六九年八月号)
リハーサルではあまりにも三島の演技が硬いため、五社監督は三島に一度普段着に着替えてもらい、リラクスしてテストをするとうまくいき、改めて衣装をつけての本番はOKとなった。そして徳利から茶碗に酒を入れて飲むシーンがどうもうまくいかない。それを見ていた勝新太郎が「たった今、人斬ってきたばかりの奴が、そんな平然としてられるか」と、監督に最初のカットをOKにしようと提案したという。
三島由紀夫の緊張している姿に、勝はプロの俳優では出せないリアリティーがあると感じ《自分が人斬り新兵衛だと思ったら、もう人斬り新兵衛なんだ。監督がとやかくいったら、冗談じゃない、オレは人斬り新兵衛だといってやれ》(室岡まさる 『市川雷蔵とその時代』・一九九三年・徳間書店)と三島を励ました。
そして石原裕次郎との芝居。田中新兵衛はいずれ「この変節漢を斬ってやる」と思いながら、坂本龍馬に自己紹介をする。そこに流れる緊張感。裕次郎と互角に渡り合う三島由紀夫の存在感が、フィルムに記録されている。
映画は八月九日に大映系で公開され、大きな話題となり、作品評価も高かった。このときには、すでに「五社協定」は有名無実な旧弊と化していた。動員数が激減するなか、映画会社も、スター・プロに頼らざるお得ない状況にあった。
『人斬り』は、昭和四十四年の映画興行収入ランキング(洋画・邦画含む)では、配収二億九千万円で六位を記録している。