もうひとつの愚兄賢妹『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』(1994年・松竹・山田洋次)
文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ
この第四十七作には、想い出が沢山あります。それまでも取材で、「男はつらいよ」の撮影現場にはお邪魔していたのですが、この時に、松竹で豪華プログラムを作成することになり、そのなかで、山田洋次監督にインタビューをさせて頂くことになったのです。撮影の合間に山田監督にお話を伺いました。その時、ぼくは自分が子供の頃から「男はつらいよ」を見続けてきたこと、寅さんへの想いを、監督に一気呵成に話してしまいました。そういう個人的な思いを告げるのは、インタビュアーとしては失格なのですが、監督はニコニコしながら「そう」「そう」と、まだ若輩の話を受け止めてくれました。
前作『寅次郎の縁談』が『愛の讃歌』を思わせるユートピアの物語と感じたこと、寅さんは三年に一歳ずつぐらいのスローペースで歳を重ねているような気がすること、そんな話をさせて頂いたことを、今でもハッキリと覚えています。
山田監督の隣には、ロケから帰ってきたばかりの高羽哲夫キャメラマンがおられて、一緒に話をして下さいました。その時、ぼくは「男はつらいよ」の世界に、少しだけ近づくことが出来た、そんな気がしました。この時のインタビューは、第四十七作の劇場用プログラムに掲載されています。マドンナ宮典子を演じた、かたせ梨乃さんには、キネマ旬報誌上でインタビューをさせて頂きました。
さて、この第四十七作の頃は、大船撮影所のセットにもお邪魔して取材をさせて頂く機会が多く、冒頭に引用した、寅さんのアリアのシーンも、リハーサルから撮影までずっとセットの片隅で拝見させて頂きました。本作では満男が浅草の靴メーカーの営業職について半年、寅さんとしては商売の先輩として、セールスの極意を伝授する場面です。寅さんは、その辺にあった鉛筆を満男に差し出して「俺に売ってみな」「お前がセールス、おれが客だ。さ、早く売れ」とセールス・トークの勝負を挑みます。
満男はあえなく敗退。そこで寅さんが、お母さんと鉛筆の想い出について語り出します。寅さんのアリアに引き込まれる一同、さくらや博たちはいつしか、ものを大切にしていた昔を思い出します。そしていつしか寅さんのペースに巻き込まれて、満男は寅さんとの勝負を忘れて、寅さんの「どう、デパートでお願いすれば六十円はする品物だけど、削ってあるからね、三十円でいい、いいよ、いいよ、只でくれてやったつもりだ、二十円、すぐ出せ」の言葉につられて、鉛筆を買おうとしてしまいます。その鮮やかさ。テキ屋稼業で生きてきた、車寅次郎という人が、どうやって渡世をしてきたか、ぼくらは旅先の寅さんを知っていますが、さくらたちはそれを知りません。ここは、茶の間の家族が初めて目の当たりにするシーンでもあります。
寅さんの「いや、俺の場合はね、今夜この品物を売らないと腹すかせて野宿しなきゃいけねえってことがあってな、のっぴきならねえところから絞り出した知恵みたいなもんなんだよ」に対し、博はしみじみ「だから迫力があるんですよ」と云います。
寅さんの生き方を、受容し賞讃する博の言葉。はっきりと寅さんのテキ屋という生き方を、博が受容しているセリフは、後にも先にも、このシーンだけかもしれません。このやりとりは、いつものように寅さんの「今日はお開きに」で幕となるのですが、例によってタコ社長の不用意な一言で、大げんかとなります。シリーズがスタートして四半世紀、変わらない茶の間の光景が展開されます。レギュラー陣も齢を重ねて、往時のパワーはありませんが、それをリカバリーする演出は見事です。現実的には、かつてのような動きは望むべくもないのですが、寅さんとタコ社長のケンカは、派手に繰り広げられるイメージはそのままで、それが爆笑を誘発するのです。
余談ですが、このアリアの撮影のとき、黒柳徹子さんがセットを訪れて、待ち時間の間、渥美清さんとずっと話し込まれておられていました。黒柳さんと渥美さんといえば、NHKのバラエティ「夢であいましょう」はじめ、テレビの黄金時代に共演されたお二人でもあります。その二人が「男はつらいよ」のセットで久々に再会、ひととき四方山話に興じられている姿に、不思議な感慨がありました。
さて『拝啓車寅次郎様』には「男はつらいよ」のテーマでもある、もうひと組の「愚兄賢妹」が登場します。琵琶湖のほとり、長浜に住む、満男の大学の先輩・川井信夫(山田雅人)と妹・菜穂(牧瀬里穂)です。満男に、信夫から「折り入って相談がある。お祭りに遊びに来い。大歓迎する」と一方的なハガキが届きます。サラリーマンとなって悩み多き満男は、リフレッシュも兼ねて、琵琶湖のほとり長浜の曳山まつりに出掛けます。
長浜に着いても信夫は祭りが忙しく、相手にしてくれません。満男が信夫の家に行くと、菜穂が昼寝をしていて、折悪しく、満男を痴漢呼ばわりしてしまいます。最悪の出会いをした満男と菜穂。不機嫌な菜穂の案内で、観光名所を歩く満男は面白くありません。恋愛コメディの常套である、最悪の出会い。勝ち気な里穂のキャラクターが、この『拝啓車寅次郎様』最大の魅力でもあります。
山田監督が「牧瀬が良いんだよ。勝ち気な感じが」とインタビューのときに話しておられましたが、彼女の初登場シーンから、名所案内するあたりにかけての、ぶっきらぼうな感じが、実に魅力的です。市川準監督の『つぐみ』(一九九〇年)で、牧瀬さんが演じたヒロインもそうでしたが、満男に限らず男の子は、こういう勝ち気な女の子に弱いのです。
さらに、その兄・信夫は、実にテキトーな男です。チャランポランでお調子者。自分の行動と言動に全く責任を持たない、無責任なキャラです。信夫が満男を呼んだ目的は、妹と満男を結婚させて、満男と一緒に、この土地でビジネスを展開しようというもの。あらかじめ、満男にも菜穂にも、それを含ませておいて引き合わせれば良いのに、この手合いはそれができない。自分が判っていれば、あとは大丈夫というタイプなのです。
寅さんも、かつてシリーズの初期は「愚かな兄」として、「賢い妹」さくらの平穏な日々を乱したこともありましたが、この信夫と菜穂の「愚兄賢妹」ぶりもまた『拝啓車寅次郎様』の笑いを支えています。第一作のさくらも、寅さんに言わせれば「相当勝ち気な女」でしたが、その菜穂はその現代的な再生だったのかもしれません。最悪の出会いをした満男と菜穂は、やがてお互い、惹かれるようになりますが、信夫が間に入ってその仲をぶちこわしてしまいます。思えば、さくらと博の時もそうでした。ここで第一作のリフレインがなされているのも、ファンとしては嬉しい限りです。
リフレインといえば、寅さんが長浜で出会ったマドンナ、宮典子(かたせ梨乃)のその後が気がかりで、彼女の住む鎌倉に満男とともに出掛けるシーン。家のそばから寅さんは、彼女の幸せそうな姿を眺めるだけで納得します。若い満男がそんな寅さんの行動が理解できません。江ノ電の鎌倉高校前駅のホームで、満男が旅に出る寅さんを見送るシーンがあります。寅さんと満男が、鎌倉にやって来たのは、第二十九作『寅次郎あじさいの恋』以来です。
駅のホームでの別れ際、恋愛に対して「くたびれるものな、恋するって」と消極的な満男に、寅さんは「くたびれたなんてことはな、何十ぺんも失恋した男が言う言葉なんだよ」と叱責します。そこで「燃えるような恋をしろ。大声出して、のた打ち回るような、恥ずかしくて死んじゃいたいような恋をするんだよ」と、寅さんの最高のエールで、『拝啓車寅次郎様』の幕が閉じるのです。
第二十九作『寅次郎あじさいの恋』で、かがりと寅さんの別れを見つめていた小学生の満男は、寅さんに「燃えるような恋をしろ」と檄を飛ばされるようになったのです。歳を重ねてゆくうちに、寅さんや満男、観客に流れた時間を考えると、ここにも感慨があります。変わってゆくもの、変わらないもの。それがフィルムのなかに刻まれているのです。それもまた「男はつらいよ」の魅力でもあるのです。
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