『雨の中に消えて』(1963年・西河克己)
「ズバリ! 現代娘の心の奥の秘密を見て下さい! そして小百合ちゃんと一緒に考えてください!!」 これは、当時日活宣伝部が考えた『雨の中に消えて』のキャッチコピー。本作は、それまでの学園青春ものから一歩進んだ、女性映画として作られている。城東大学文学部学生の川路あや子に吉永小百合、出版社の編集部員・川原たか子に笹森礼子、洋裁学校に通う桑田きみえに十朱幸代。東北の同じ高校出身のクラスメート三人がそろって上京し、共同生活を営んでいる。恋愛にもセックスにも、強い期待と憧れ、そして戸惑いを持つヒロイン三人のそれぞれの、恋愛感情に悩む様を描いている。ルームシェアをしつつ、お互いの生活にあまり干渉しないようにしている三人は、この映画が作られた昭和38(1963)年当時、極めて進歩的な女性像でもある。
原作は、講談社の「若い女性」に連載され、好評を博していた石坂洋次郎の女性小説。吉永小百合は、昭和38年の正月映画『青い山脈』(1月3日公開)のヒロインで地方都市の女子高生・新子を演じたばかり。それから三ヶ月後の3月17日に公開された本作では、東京の女子大生を演じており、その成長ぶりも大きく注目されていた。
吉永小百合の相手役は同級生の高橋英樹。笹森礼子が心惹かれるのは、中年の推理作家・下元勉。そして、十朱幸代が胸に秘めているのは高校時代の恩師・山田吾一への思慕。それぞれ、まったく違う男性たちとの顛末を、ソフトに描きつつ、彼女達の結婚観、恋愛観を浮き彫りにしていく。
結婚ということでは、さらに三組の夫婦の姿も描いている。あや子たちがアルバイトで応援する代議士・樺山松雄(伊藤雄之助)とその妻・ふみ子(轟夕起子)夫婦。樺山は妾を二人抱えているが、ふみ子が公認している。が、ゆえに樺山は完全にふみ子の尻に敷かれている。ベテランの伊藤と轟が、人生経験豊かな夫婦を巧みに演じている。轟夕起子のおかみさんぶりが実に良い。
さらに、もと貧乏文士で、今は成功している下元勉扮する小説家・高畠南風と、その妻・千代(菅井きん)の不思議な関係も、作品の陰影となっている。貧しさを乗り越えて、現在の地位を獲得した南風が、たか子の若さと美貌に惹かれていることを知った上で、たか子に南風の秘書になってくれと千代が頼む。おおよそ、流行作家の妻には見えない千代とたか子が本音で話し合うシーンは、本作が単なる青春映画ではないことを示す名場面となっている。
青春ドラマのなかで、徹底的に描かれているのが、この中年作家の若い編集者への想い。熱海のホテルにたか子を呼び出し、ラストシーンを考えて欲しいと話し出す小説の筋書き。妻への殺意を持った主人公の感情を淡々と話す南風に、自分への思慕を感じ取るたか子は、中年男の自意識過剰ぶりに対して、冷ややかな目線も持っている。
そして、きみえの意中の先生・渡部(山田吾一)が同僚の女性教師との結婚を告げにやってくるシーンの会話に登場する渡部と婚約者の関係。きみえが胸に秘めている渡部への思いを、踏みにじるような、映画には登場しない女性教師の行為。もはや、憧れの男性としても尊敬すべき教師でもなくなった渡部のみじめさ。純粋がゆえに、きみえの心の傷は大きい。
そうした三人三様の男女のあり方と、三人のヒロインたちの心の成長。池田一朗と西河克己による脚本は、それぞれの人物の心に刻まれる感情までも、見事に描き出している。石坂洋次郎文学の大きな魅力である独特のダイヤローグの応酬が、日活映画の永遠のテーマでもある「アイデンティティの確立」と呼応して、深い印象をもたらす。
「あなた童貞?」とあや子が、栄吉(高橋英樹)になにげなく、強い決意を持ってする質問。つい嘘をついてしまった栄吉から、後で真実を聞かされ、激しいショックを覚えるあや子。セックスに対する期待と失望。栄吉の肉体への強い憧れ。中盤、夜の河原のシーンで、栄吉の男性が浮き彫りになる。「男の力」についての栄吉の言葉は、若い男性の視点でもある。そしてあや子は「男と女って一緒に寝る事は楽しいことなのかしら?」と言葉を投げかける。
そして、ラストシーン。雨の降るなか、栄吉とあや子が、一つの傘に入って交わす会話。お互いの感情を「言葉」として伝える主人公たちのインテリジェンス。このシーンのリリカルさとテンションは、西河克己監督のうまさであり、日活青春映画ならではの魅力である。
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