『兵六夢物語』(1943年4月1日・東宝・青柳信雄)
戦時下に作られたエノケン映画、円谷英二が特殊技術を担当したファンタジー『兵六夢物語』(1943年4月1日・東宝・青柳信雄)を久しぶりに、娯楽映画研究所シアターのスクリーンで上映。
江戸中期、天明四年(1784年)、薩摩の下級武士・毛利正直が書いた戯作文学「大石兵六物語」は、薩摩八代藩主・島津重豪が開化策を行い、権力者や小役人たちが私服を肥す、庶民にとっては辛い時代に書かれた。金が全ての小役人たちを「悪いキツネ」にたとえて風刺したユーモラスな読み物。キャラメルサックに入った「兵六餅」はこの物語に因んだもの。
鹿児島県で語り継がれてきた、この物語を獅子文六が児童小説化。戦時下の小国民たちへの道徳教育の意味もあって映画化された。脚本は、如月敏と志村敏夫。このシナリオがなかなか良い。
青柳信雄監督は、J .O.スタジオ第二回作品『かぐや姫』(1935年・田中喜次)の演技監督として、撮影の円谷英二と共に現場を仕切った。その後、東宝のプロデューサーとして『牧場物語』(1938年・木村荘十二)、『清水次郎長』(1938年・萩原遼)などを製作、監督としても『エノケンの金太売り出す』(1941年)、柳家金語楼の『我が家は楽し』(1941年)などの明朗な娯楽作品を、戦時下も撮り続けていた。円谷英二とは盟友で、この『兵六夢物語』の直前も、高峰秀子主演の『愛の世界 山猫とみの話』(1943年1月14日)を、一緒に撮っていた。
鹿児島県。錬成に励み、武道で心身を鍛えている若者たち。学生服姿で教練に励む、黒川弥太郎、横尾泥海男、榎本健一たち。昭和18年の現在から物語が始まる。学生服のエノケンが、大真面目な表情なのがおかしい。教練を終えて、黒川弥太郎さんが語る「教訓話」。そこから江戸時代へと映画はタイムスリップ。「これは夢ものがたりである」と、味のある書き文字のスーパーが出る。これは製作主任(東宝では助監督のことをそう言った)の市川崑の手になるもの。
国策映画とはいえ、作り手が意識しているのは、ライマン・フランク・ボームの児童小説を映画化した『オズの魔法使』(1939年・MGM)だろう。日本では日米開戦により公開はされていなかったが、日本軍が接収したフィルムで多くの映画人が参考上映で見ていた。本作でも、エノケンの大石兵六が、勇気をつけるために「化け物」が出る森へと向かい、異世界でさまざまな体験をして、自分に自信を持つことの大切さを知る。これをドロシーの「おうちが一番」に置き換えれば『オズの魔法使』と同じ構造である。
なので円谷英二にとっても、エノケンの『孫悟空』(1940年・山本嘉次郎)以来の本格的ファンタジー。巨大な大入道がウルトラマンのようにすっくと立ちはだかったり、海童女・高峰秀子が、『モスラ』(1961年・本多猪四郎)の小美人のように小さくなったり。創意工夫の特撮ファンタジーが展開される。
戦時下、日劇ダンシングチームは「東宝舞踏隊」と改称され、国策舞台、国策映画で国民を慰撫するために舞踏を続けていたが、それは名目上のこと。本作でもハリウッド・ミュージカルもかくや、ワーナー・ブラザースのバズビー・バークレイ監督が『フットライト・パレード』(1933年)『泥酔夢』(1934年)などで展開していた絢爛たるミュージカル・ナンバーを展開。俯瞰撮影で東宝舞踏隊のダンスを捉えての華やかなレビュー場面となった。
大石内蔵助の末裔・大石兵六(榎本健一)は、薩摩郷中の一人として剣の錬成を続けているが、臆病者で、何をやっても気後れがち。早朝から練習しすぎて、師範・吉野一太郎(柳田貞一)の講義にも居眠りしたり。師範の息子・市助(黒川弥太郎)とは親友で、その妹・お光(相川路子)は、そんな兵六のことを密かに愛している。兵六は母一人子一人。早く一人前の武士となり、戦で勲功を上げて、母さんを喜ばせたい孝行息子。
武道大会で好成績を上げたい一心で、奮戦するも、やることなすこと頓珍漢。ついには「足手まといになる」と武道大会への出場を禁じられる。しかし母は、息子のためにお札をもらってきたり、祝いの鯛を用意してくれているので、出られなくなったとはいえない。そこで「母上を喜ばせたい 悲しませたくない」一心で、勝手に武道大会へ出場。大失敗をしてしまい、仲間たちにも責められる。
すっかりしょげてしまった兵六に勇気をつけようと、母は、山の向こうの心岳寺の和尚(中村是好)に、至急、手紙を届けて欲しいと命ずる。吉野山には、夜になると化け物が出るという噂があり「明日でいいでしょう」と怖がる兵六を、母は一喝。叱られて、仕方なく、兵六は「化け物がいる」森の中へ。ここから『オズの魔法使』的には、竜巻に巻き上げられたドロシーがオズの国に入るテクニカラーの場面となるが、『兵六夢物語』では円谷特撮の夢のような世界が繰り広げられることになる。
童謡「♪叱られて」のBGMが流れるなか、エノケンの兵六がとぼとぼ歩いていく。その心細さ。森の中に入ると、笠をかざした少女が座っていて、美しい歌声で歌い出す。
♪風は山から 吹いてくる
夢の吉野に そぼふる 小雨
私ゃ悲しい 親なし娘
父さん 母さん どこで泣く
この歌は、この年1月14日公開のスペクタクル大作『阿片戦争』(マキノ正博)の主題歌で、劇中、高峰秀子さんが歌った「風は海から」(作詞:西条八十 作曲:服部良一)の替え歌。レコードでは渡辺はま子さんが歌って、スタンダードとなっている。なので、観客は大喜びだったろう。
「おじさん、どこいくの?」その少女(高峰秀子)が声をかける。しょぼくれている兵六、気の無い声で「あっちへ」。少女「どこからきたの?」「あっちから」と反対方向を指さす。「おっ母さんに叱られてしょげている」と聞いた少女、「つまんない顔してんのね。そんな顔してると化かされちゃうよ」。この森にはお化けが出るんだよと、人間にイジメられた狐が、復讐するために化けて出てくるのだと「親子狐の話」をする。
少女は人を食ったような感じで「人間に隙があるから化かされるだ」と結構シニカルである。彼女は続ける「あたし、ダメな狐なんだよ。おじさんと一緒なんだよ」。ダメな狐の少女と、ダメな兵六。それでも兵六は、少女を振り切って前に進む。
すると、いくつもの狐火が目の前に浮かび、それがぐるぐると輪を描き出す。シンプルな二重合成だが、当時の子供には結構怖かっただろう。その輪の中から、巨大な入道がぬっと姿を現わす。身長は五メートルぐらい、三つ目の大入道が、兵六の前を立ちはだかる。まるでウルトラマンのようなインパクト! もしかしたら円谷英二が初めて演出した巨人が、この大入道かもしれない。
腰を抜かし、アワアワする兵六。エノケンのこうしたリアションは、抜群である。巨大な大入道と小柄な兵六のツーショット。これも当時の観客にはインパクトがあったろう。その手がヌッと出てきて、兵六の襟首をつかんで、兵六は宙へ。実物大の巨大な手を作り、エノケンを宙吊りにする。「ウルトラQ」の「五郎とゴロー」と同じ手法である。引きの画になると、大入道が人形のエノケンを掴んでいる。この編集も、のちに僕らはデフォルトの試手法としてお馴染み。兵六は、ただひたすら謝る。「すんません」でこのシーンはオチとなる。
狐に化かされたと気づいた兵六。目の前に母上が現れて「この世に化け物なんているわけがない。化かされるなんて、親でも子でもない。久離切っての勘当です!」と、心岳寺の和尚(中村是好)へ届ける手紙も奪われてしまう。これも悪い狐の仕業で、まんまと化かされて、肝心の手紙まで奪われてしまう。
そして再び、少女=怪童女(高峰秀子)の声がする。兵六、ふと見やると、今度は30センチぐらいに小さくなった少女がキノコの上に立っている。このヴィジュアル、どこかで見たようだな。そうそう『モスラ』(1961年)の小美人! 大きなキノコを作り、その上に高峰秀子が立って芝居をしているのをロングで撮影。二重露光でエノケンとの芝居を合成する。シンプルな特撮だが、ファンタジックな雰囲気が楽しく、これも当時の子供たちには驚異の映像だったろう。
「あたいは狐だけど、おじさんの仲間じゃないか。あたいの言うこと聞かないから、(お母さんの)手紙取られちゃったじゃないか!親不孝だなぁ」と少女。それを聞いて頭が混乱している兵六。「ちょっとここへ乗れ」と手のひらを差し出す。巨大な手のひらの造形物にのる少女。これも先程の大入道と同じ手法だが、実に効果的である。
兵六「何がなんだかさっぱりわからなくなっちゃったなぁ。おいが親不孝で、お前が狐。おいは一体なんなんだ? 教えてくれ、大石兵六ではないのか? あんまり化け物ばかりだったんで、自分で自分がわからなくなっちゃったんだ」。
混乱した兵六、アイデンティティが崩壊してしまいそうである。この辺りが面白い。『オズの魔法使』では、「お家が欲しい」ドロシー、「考える頭が欲しい」カカシ、「勇気が欲しい」ライオン、「ハートが欲しい」ブリキ男たちが、冒険を通して、それを得ていくという物語だったが、ここでは「一体自分は何者?」とその存在理由を問うドラマになっていること。
少女は答える。「だっておじさん、自分でそう思ったんだろ? それが自分だって証拠さ」
兵六は気づく。「なるほど、そう思えば自分、思えば自分。つねれば痛い、痛ければ自分・・・」
少女は続ける。「自分は自分さ、そう思って威張ってりゃ、怖いもんなんてないじゃないか!」
これがこの映画のテーマである。「自分は自分」それが迷いや悩みを吹き飛ばしてくれる。えらいぞ怪童女!『オズの魔法使』のグリンダ以上の聡明さじゃないか! しかし、これで終わらないのがこの映画のすごいところ。「自分は自分」に気づいた兵六に、更なる試練を用意して、それがかなり面白い展開となる。
兵六が吉野の山に化け物退治に行ったと聞いた、薩摩郷中の仲間・大久保彦山房(横尾泥海男)が、心配になり探しにやってきたのだ。演じるのは松竹蒲田から巨漢俳優として活躍してきた横尾泥海男だが、おそらく最初は、われらが岸井明さんをキャスティングしていたのだろうが、この頃、岸井さんは病気で休養していた。そこで横尾を起用したのではないか?
兵六、目の前に現れた彦山房(横尾泥海男)を、これまでの経験で狐が化けたものだと思い込んで「貴様も化け物だな?」と斬りかかる。負けじと彦山房も応戦する。見ちゃいられないと怪童女が「本物だよ。化け物はあたいだよ」といくら言っても信じない。殺し合いになってはいけないと、術を使って刀を木端に変えてしまう。それでもポカポカやりあう二人。
少女「それじゃメチャクチャだよ」
彦山坊「うんめちゃくちゃに強い」
結局、兵六は、彦山坊を気絶させてしまう「さすがは化け物じゃ!」と意気揚々、歌い出す。ここで、お待ちかねのエノケン節!
♪大石 バケモンここに討ちとめた
吉野の化け物 彦山坊に
化けて来たのを 退治てくれた
今は母上の手紙を取り返そうと、冒険を再開する兵六。突如、目の前に「吉野茶屋」が現れて、美しい娘(霧立のぼる)立っていて「大石さま」と声をかける。それに振り向いた兵六。
(エノケン)
♪私を呼ぶのは だれじゃ?
はて怪しいぞ これは不思議
はてお前は 何者だ?
(霧立のぼる)
♪われを忘れとは 情けなや
あたくしは その昔
お隣の吉野様におりました
糸でございます
(エノケン)
♪糸が今頃 どうしてここに?
(霧立のぼる)
♪そのご不審は ことわりながら
家路に急ぐ 旅路にて
拾うた文を 貴方様に
兵六「なに?手紙?」
(霧立のぼる)
♪お渡し するために
先ほどより おみつお嬢様が
ここにお待ち申して おりました
オペレッタのスタイルで、二人の掛け合いで、状況が説明される。宝塚歌劇団20期生を経て、映画界入りした霧立のぼるは、昭和12(1937)年にP. C .L. 入り、お嬢さん女優として大人気に。榎本健一さんとは『エノケンのびっくり人生』(1938年・山本嘉次郎)『エノケンのがっちり時代』(1939年・同)二部作や『エノケンの鞍馬天狗』(1939年・近藤勝彦)などで共演。久しぶりの共演となった。
どう考えても狐に化かされているのだが、茶店の奥座敷には、ヒロインのお光(相川路子)が待っていて、自分が何者かがわかった(と思い込んでいる)兵六は、勇気を出してお光に「愛の告白」をしてプロポーズをしてしまう。「もう恥ずかしくない」から! そして(何ぜか)今宵は吉野の山のお祭りで、みんなで楽しく踊りましょう!となる。この辺りは、この前年に発足したばかりの大映(かつての新興キネマが日活を吸収)名物『歌ふ狸御殿』(1942年・木村恵吾)のバリエーション。「狸御殿」ならぬ「狐御殿」ものとなる。
ここで東宝舞踏隊のダンサーたちが登場。円陣を組んで華麗に舞い、歌う姿が、俯瞰撮影で幾何学的に捉えられる。ワーナー・ミュージカルの「バークレイ・ショット」である。この年、2月25日公開の『ハナ子さん』でマキノ正博監督が、トップシーンで演出した東宝舞踏隊の「バークレイ・ショット」のリフレインでもある。敵国のアメリカのミュージカル映画の模倣を堂々としている。作り手のエンタテインメントへの本気度がわかる。
で「狸御殿」同様、この楽しい夜が開けると、朝になっていて、兵六は野原でひとり目が覚める。で、この映画のすごいところは、さらに兵六に最大の試練がやってくること! 朝、兵六の目の前に現れたのは、隣村の庄屋の娘・おきく(宏川光子)。彼女は庄屋・春田主左衛門(大江将夫)の娘と名乗るが、兵六、またしても「狐め!」と有無を言わさずおきくを縛り上げてしまう。
駆けつけた役人に取り押さえられ、兵六はなんと河原で斬首されることに。公開処刑にたくさんの野次馬が集まってくる。兵六、絶体絶命! もうダメだ! と言うときに、野次馬の中から、心岳寺和尚(中村是好)が現れて、急死に一生を得る。
心岳寺にやってきた兵六。自分のしでかしたことを心から反省し、謝罪する。そこで出家を勧められ得度をすることに、髪の毛を剃られて丸坊主になった兵六。和尚から「お前は今日から兵六玉だ」と命名され、観客も、兵六も「あれれ?」と思ったところで、これもまた「狐の化け物」に巧妙に騙されていたことに、ようやく気づく。
ネ タバレになって恐縮だが、ソフト化もされておらず、滅多に観る機会がないので詳細を再現しているが、この映画ファンタジーとしてはなかなか優れている。「自分は一体誰だ?」とアイデンティティー・クライシスがあり、「自分は自分」と気づいた上で、さらに狐が仕掛けたトラップが待ち構えている。現実の仲間と戦い、「狐御殿ミュージカル」になり、不条理な捕縛→処刑→出家という展開となる。それもまた「狐に化かされていた」というオチ。
丸坊主になった兵六は、人間的にも成長。やがて立派な兵士となって、薩摩藩士としていくで勲功を上げることとなる。政府の要請である「忠君愛国」という額縁をきちんと用意しながら中身はMGM『オズの魔法使』やワーナー・ミュージカルを取り入れて、戦時下で娯楽に飢えている子供達に「楽しい楽しいエノケン映画」を、円谷特撮たっぷりに描いている。もちろん青柳信雄監督の娯楽映画演出もあるのだが、製作主任・市川崑が果たした役割は大きいと思う。随所にインサートされる市川崑の書き文字が、それを感じさせてくれる。
このファンタジーの佳作、ぜひD V D化して欲しい!