おい、ハローじゃないか!〜『男はつらいよ 寅次郎春の夢』(1979年・松竹・山田洋次)
文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ
「どうして日本とアメリカが仲良くしなくちゃいけねえんだ。いいか、あの黒船が浦賀の沖へ来て、徳川三百年天下太平の夢が破られて以来、日本はずっと不幸せなんだぞ」
いささか物騒で乱暴なロジックですが、この時の寅さんはアメリカが大っ嫌い、その理由は、黒船来航で「徳川三百年天下太平の夢が破れ」たという寅さんの歴史認識にあります。ここから第二十四作『寅次郎春の夢』の物語が急展開します。
寅さんは「尊王攘夷派」だったのです。このとき、とらやには、アメリカはアリゾナ州からビタミン剤のセールスにやってきたマイケル・ジョーダン(ハーブ・エデルマン)というアメリカ人が居候しています。それを知らずに帰って来た寅さんに、無用なトラブルを避けるために、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長が、事前説明をします。
そこに折悪しく、マイケルが二階から降りてきます。あまりに大きさにビックリする寅さん。マイケルに "HELLO"と挨拶されると、反射的に「ハイ、タイガーデス」と答えてしまう。その絶妙の間、渥美清さんのうまさ、山田監督の喜劇演出が堪能できます。マイケルは仕事に出てゆき、事なきを得ますが、店に来たさくらに「怪獣、怪獣だよ。誰に断って、この家で、あんなものを飼ったんだ!」またまた物騒な発言です。
この『寅次郎春の夢』は、もしもアメリカ人がとらやに下宿したら? というシチュエーションのなかで、寅さんとマイケルが心を通わせていく、異文化コミュニケーションの物語でもあります。
実はとらやにアメリカ人の居候がやってきたのは、マイケルが初めてではありません。テレビ版「男はつらいよ」の第六話(1968年11月7日放送)で、寅さんが、路上で絵を売っているところをチンピラに絡まれているアメリカ人を助けて、意気投合。とらやに連れ帰ってくるというエピソードがありました。
そのアメリカ人・マクナマラ(マーティ・キーナート)は、密かにさくら(長山藍子)に心を寄せ、アメリカに帰国するときに、さくらに一枚の絵を送ります。といったエピソードでした。
VTRが残っていないのが残念ですが、山田監督のなかには「寅さんとアメリカ人」というテーマはこの頃からあったことが伺えます。翌週の第七話では、寅さんと舎弟・登(津坂匡章)は、このマクナマラを見送りにいったまま二ヶ月間行方不明になってしまいます。なんと、一緒にアメリカ行きの船に乗り込んでしまったことが、二人が帰ってきてから判明するという展開でした。
さて、『寅次郎春の夢』で、アリゾナ州からやってきたマイケル・ジョーダンを演じたのは、ハリウッド・コメディで活躍したバイプレイヤー、ハーブ・エデルマンさんです。ニール・サイモン脚本、ジャック・レモンとウォルター・マッソー主演の名作『おかしな二人』(1968年・ジーン・サックス監督)の警官役を演じた人です。ジャック・レモンとは『おかしな関係 絶対絶命』(1971年)、『おかしな二人』主演コンビによるビリー・ワイルダー監督『フロント・ページ』(1975年)でも共演。ニール・サイモン脚本の『カリフォルニア・スイート』(1978年)にも出演。ニール・サイモン脚本、ビリー・ワイルダー監督、しかもジャック・レモン喜劇の常連ということで、キャスティングの妙がお判り頂けると思います。
そのハーブ・エデルマンが演じたマイケルは、いわば「旅先の寅さん。」見知らぬ土地で、人々の親切に触れ、心を通わす。それが異文化コミュニケーションとなり、悲喜劇となります。
関西に行ったものの商売がうまくいかない。そんなとき、寅さんとは昔馴染みの坂東鶴八郎一座の「蝶々夫人」を見て、大空小百合(岡本茉莉)演じる悲劇のヒロインに、さくらを重ね合わせる。この回、寅さんと一座は出会うことがありませんが、マイケルの心を慰撫するために、彼らの芝居がある、というのがいいじゃありませんか!
後半、病気のマイケルが柴又に戻って来て、自分の面倒をみてくれるさくらの親切に、マイケルはついに "I Love You"と自分の気持ちを伝えます。ストレートなアメリカ人の求愛に戸惑うさくら。マイケルにしてみれば素直な感情の発露なのですが、さくらは "Impossible.This is Impossible”と答えるのが精一杯。
マイケルは英語で「博のこと愛しているのか?」と問い、さくらはキッパリと "Yes I Love Him,Yes"と答えます。この作品のもうひとりのマドンナは、さくらだったのです。
マイケルはこうして失恋するのですが、寅さんのように「そっと身を引く」のではなく、ストレートに気持ちをぶつけるのがアメリカ人らしさと描いているのです。寅さんもまたマドンナ、圭子(香川京子)に意中の人がいることを目の当たりして、二人は柴又を後にします。上野の一杯飲み屋で、酒を酌み交します。寅さんは英語ができなくても、マイケルとコミュニケーションをとることができます。
旅に出る前、二階で、さくらからマイケルとのことを聞いていた寅さん。その飲み屋からさくらに電話をします。「これは肝心なことだけど、博には黙ってろよ、な」
言わない方がいい事もある。言わないことで誤解を招くこともあるけれども、寅さんは「それが日本の男のやり方よ」というポリシーを貫いています。妹・さくらへの気遣い、そして博への思いやり… このジャパニーズ・スタイルもまた、「寅さん映画」の魅力なのです。
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