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娯楽映画研究家「ブギウギ日記」PART8

第22週「あ〜しんど♪」 2月26日〜3月1日


「あ〜しんど♪」 #1

今週も櫻井剛脚本。「東京ブギウギ」から二年、コロンコロン・レコードの佐原(凪川アトム)は「ジャングルブギー」「ヘイヘイブギー」が「東京ブギウギ」を超えるヒットになっていないと、新曲での巻き直しを図る。この世界線では昭和25年になっている。

史実ではこの二年が笠置シヅ子の「ブギウギ旋風」が吹き荒れ、次々と「ご当地ブギ」をリリース。映画も続々と作られていた。レコードの売り上げというと、敗戦後間もなくの昭和22年と、朝鮮戦争特需に沸く昭和25年ではそもそも比べようがないほど経済が変化。

レコードそのものの売り上げが飛躍的に伸びていった。一方、茨田りつ子が紹介した大野晶子(木野花)は、愛子を孫のように可愛がり、愛子の人参嫌いも魔法のレシピで解消してしまう。朝ドラらしい嬉しい展開。スズ子はりつ子から大野の過去の話を聞く。

青森の呉服屋のお嬢さんでわがまま放題のりつ子に、両親も手を焼いていたが、お手伝いさんの大野だけは「金持ちの子だからって、それでは友達も離れる」と厳しく叱ってくれた。大野はその後、旦那さんと死に別れて息子のいる東京へ。しかし息子は戦死。

お嫁さんも孫も東京大空襲で亡くなった。天涯孤独となった大野さんは全くの別人に。りつ子は、スズ子なら彼女の悲しみを理解できると、大野さんを紹介したと話す。大野さんはスズ子と愛子の力になり、スズ子は大野さんの力になる。「お互いさま」のチカラ。

苦労人のりつ子らしい思いやり。スズ子との友情がここで生きてくる。スズ子は帰宅して、大野さん、愛子と手を繋いで買物へ。近所の人が愛子に「お母さんと、おばあちゃんと一緒で楽しいわね」。大野さんにとっても嬉しいひととき。この「買物」があの曲に…

史実では寝る間もないほどの「てんてこまいの忙しさ」だった頃だが、この世界線では、スズ子も愛子も成長し、大野さんの心にも幸せが灯る。翌朝、山下が「真相婦人」を持って慌ててやってくる。「タナケン入院」。エノケンさんが脱疽で入院したエピソードが…

とういうわけで、3月も娯楽映画研究家の「ブギウギ行脚」続きます。

東京では3日(日)ネオ書房「娯楽映画の昭和」、9日〜12日大阪・神戸3DAYS、22日は書泉グランデで足立紳さんとトーク。それに地上波のテレビにも出演します(今週半ばに情報解禁)。スケジュールはこちらから!

「あ〜しんど♪」#2

タナケンが足をケガして入院。スズ子が見舞いに行く。喜劇王の苦悩。「舞台から離れている間に、僕は忘れ去られてしまうかもしれない」「席が空いたら、他の誰かが座りに来る」「僕はまだまだお客さんを笑わせたいんだ」これは史実でもある。

舞台で孫悟空を演じた時に、如意棒を落としてそれが悪化して脱疽に。1952(昭和27)年に右足が再発。足の指を切断することになり入院。その穴を埋めたのは笠置シヅ子さんだった。「榎本先生にはお世話になった」とさまざまなサポートをした。

このあたりについては今年、改めて執筆します。それでも復活を目指してエネルギッシュなタナケンにスズ子は「プロ意識」を感じて羽鳥善一に新曲を頼みに。その帰りに「帰りになんかお使いありませんか?」と大野さんのリクエストを聞く。キタキタ〜

「おねぎ、にんじん、ごぼう、あとは〜」このカウントダウン感がたまらないねぇ。タイムマシンで未来からやってきた僕たちは、これがアレになることを知っている。「#ブギウギ」の楽しさは、タイムトラベラーの楽しさでもあるし(笑)

羽鳥家ではカツオくんが成長してピアノのレッスン。誰が聞いてもうまいのだけど、善一は「違う。力に頼らず、もっと軽やかに。右手がズキズキ、左手がワクワクだ」と厳しい(というより夢中・笑)草彅剛、本当にいいねぇ。これぞ音楽オタクのチカラ!

羽鳥はカツオに「音楽好きになれる時間が、どれだけ大切か」純粋に音楽に向き合えるのは、今だけだよ」と自分の純粋だった頃を重ねる。それはスズ子も同じこと。ヒット曲を出し続けないといけない。「あの頃みたいに音楽に向き合えたら」…

新曲の話「ただねブギもネタ切れだ」(そんなことないよ・笑)でスズ子のアイデア「ムーライトブギ」「サンシャインブギ」は次々却下。羽鳥もアイデアに詰まって「新曲のモチーフを考えておく」。帰り際、麻里と買物の話「おねぎににんじんとじゃがいも…」

それが羽鳥の刺激に…というのがこの世界線。史実では服部良一先生が1949年に入院、その見舞いに行った笠置シヅ子さんが「先生、何か新曲を」。そこで先生が温めていた上方落語「無い物買い」をモチーフにしたコミックソングが誕生。

https://www.zakzak.co.jp/.../20231215.../2/

今週はこの名曲誕生をマルチバースで楽しもう(笑)そして山下が駆け込んできて大阪の村山興業本社から村山トミが肺結核で亡くなったとの訃報。スズ子「葬儀には出席させていただきます」「記者どもが騒ぐかもしれまへんけど」「ちゃんとお別れを言わな」…

エノケンさんが入院したのが1952年、吉本せいさんが亡くなったのが1950年3月14日、「買物ブギー」がリリースされるのは1950年6月15日。タイムタインは「ややこし、ややこし」だけど、これが「ブギウギ」世界線。明日の展開も目が離せない!

今週末、3月3日(日)ネオ書房@ワンダー神保町「佐藤利明の娯楽映画研究所SP 娯楽映画の昭和VOL.23 銀座ブラブラ」では、タナケン・スズ子ならぬ「エノケン・笠置」そして生誕120年を迎える榎本健一さんの超絶パフォーマンスもご紹介!

3月も「ブギウギ行脚」続きます。3月9日(土)阪大中之島芸術センター「昭和ブギウギ伝説」、10日(日)西成・釜晴れ「クレイジー大全2024」、11日(月)神戸映画資料館「HOT CHINA 笠置シヅ子の幻のアニメ上映」、22日(金)神保町・書泉グランデ「足立紳×佐藤利明」トーク!

「あ〜しんど♪」 #3

村山トミ(小雪)が急逝。スズ子は愛子と共に大阪へ。マスコミの猛取材のなか、葬儀で愛子に「おばあちゃんに挨拶し」「愛子です」。こうしたスズ子のきっちりした性格は養母・ツヤ譲り。矢崎や坂口から、トミがスズ子のレコードをこっそり集めていた話…

タナケンとの映画を観ていたこと聞く。トミは愛助同様、自分の病気で周りを心配させたくないと箝口令。「愛助さんもそうやった。大丈夫なふりして」「親子やな」「もっと喋りたかった。母親として、女として、聞きたいことがいっぱいあったのに」しみじみ。

一方、羽鳥善一は先日のスズ子の買物姿にインスパイアされて「買物ブギー」を作詞、作曲。久しぶりにノリノリ。「冗談みたいな詞や」大阪の人間じゃないと作れないし、歌えない歌、と羽鳥はご機嫌。矢継ぎ早の早口言葉に、スズ子は「ややこし、ややこし」…

そのフレーズをすぐに取り入れる羽鳥。これは史実。笠置シヅ子さんが「ややこしくて、覚えられない」と呟いた一言を採用。そうして世紀のコミックソングが誕生。期待が高まりますなぁ。史実では1950年初春に完成、5月に映画『ぺ子ちゃんとデン助』で披露することに。

「ブギウギ」ソング史上、最大のヒット曲となる。しかし、マネージャーの山下は辞意をスズ子に伝える。トミの死によって「ワシとスズさんを繋げた二人がのうなって、なんや心の糸が切れたよう」スズ子は受け入れられない。

いくつもの「別れ」を経験してきたスズ子にとっては「別れ」が耐えられない。声を荒げるスズ子。しかし山下の決意は固い。「わしらの時代は終わったんです。しかしスズさんはこれからの時代を作る人です」やがて、新マネージャーを連れて山下がやってくる。

というわけで「#ブギウギ」関連では今夜遅く、あることが情報解禁となります。また3月1日(金)「買物ブギー」が披露されるタイミングで、嬉しいお知らせも出来ると思います。

「あ〜しんど♪」#4

今週のタイトルは「買物ブギー」のフレーズだが、スズ子の「あ〜しんど♪」は、引退する山下が連れてきた新人・タケシ(三浦りょう太)だったのか(笑)山下の妹さんの息子で、大学は出たけれど、定職に付かずにブラブラしていた敗戦後5年目のアプレゲール。

「アプレゲール」という言葉は出てこないが、この頃、戦後派若者による「光クラブ事件」「金閣寺放火事件」などが相次ぎ、その動機も含めて「理解できない若者」ということでアプレという言葉が流行。タケシはそこまでじゃないけど、テキトーな感じはアプレ

スズ子「(音楽は)どんなん聞くの?」「ポップスもクラシックも…」とタケシ。この頃「ポップス」とは言わず「ポピュラー音楽」いや、洋楽全部を「ジャズ」と言ってたのになぁ。と、そんなところに反応してしまう視聴者(笑)

羽鳥善一を前にしてもテキトーな感じ。自信作「買物ブギー」が出来てご満悦の羽鳥。スズ子の「ややこし、ややこし」まで歌詞に入れ込んでいる。これは史実。「これを書いていて思い出したよ、音楽は自由だってね」のセリフがいい。草彅剛を見ると心が拓けるねぇ。

この「買物ブギー」は1950年2月大阪梅田劇場『ラッキーサンデー』で初披露。一幕ミュージカルのような構成で、まさに「ややこし、ややこし」な曲。それゆえに「東京ブギウギ」を超す大ヒットとなる。「ブギウギ」では明日、スズ子がリサイタルで歌う!

「買物ブギー」は1950年5月21日公開『ぺ子ちゃんとデン助』でフル歌唱(レコードよりも長い)。で娯楽映画研究家は、2010年「買物ブギー」収録の短編映画を2010年「懐しの歌合戦/なつかしの映画歌謡史」でDVD化しました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0040ZOCUK...

でもやっぱり『ぺ子ちゃんとデン助』には「ラッキーサンデー」も歌っているし、服部リズム・シスターズの山本姉妹も出ているし、したコメで上映もしたけど「ブギウギ」ブームのなか、なんとか観たいよねぇ。まずは明日、スズ子の「買物ブギー」を楽しもう!

「買物ブギー」については近く通販生活「オトナの歌謡曲」でコラムをアップします。

そして…

3月3日(日) 佐藤利明の娯楽映画研究所SP
娯楽映画の昭和VOL.23 「銀座ブラブラ」開催!
1950年の銀座4丁目の笠置シヅ子さんを!
ネオ書房@ワンダー神保町店
15時半開演
予約 kirira@nifty.com

「あ〜しんど♪」#5

なんと言っても今日は「買物ブギー」の日!リサイタルの練習中、スズ子は懸命。「ネギネギブギウギ」の転調部分「東京ブギウギ」のフレーズが入ることで歌いやすくなる。とか描写が細かい。だけど新マネージャーのタケシは相変わらず不安しかない。上の空で…

大野晶子に相談するスズ子。大野は山下の気持ちを知っているので、それなりのフォローをする。スズ子は今回、羽鳥と山下の不在で不安で仕方がない。大野「あともう少し。あの子を信じてあげたらどうですか?」優しいねぇ。木野花なればこそ。

ワンマンショー当日。タケシは豪快に遅刻。すでにスズ子は劇場へ。何もかも中途半端な自分を吐露するタケシに大野は厳しく、そして優しい。「嘘も、誤魔化しもなく、正直にぶつかって 一生懸命、働け!」アプレもゆとりも、いつの世もこうした若者はいるし。

劇場楽屋。メイクを仕上げたスズ子の胸に、羽鳥「君はもう一人前だ」、タナケン「僕たちはお客さんを楽しませなきゃいけないんだ」そして山下の言葉が過ぎる。「よっしゃ!」と気合、タケシに「あんた、ようみときや」ステージへ。お馴染みのイントロ〜

いよいよ「買物ブギー」。カラフルなステージは昭和25年、時代が少し落ち着いてきた頃の「派手さ」。キレの良い趣里の動き、愛嬌のある表情。バックダンサーたちも公設市場のお店やさん。一際目立つ、寅さんスタイルのダンサー。ずっとスズ子の隣に(笑)

この世界線では、もしかしたら客席に柴又を家出してきた少年寅次郎が「福来スズ子」ファンで。このショー・ダンサーのスタイルに憧れて、自分も真似したのかも?いやいや、寅さんは般若の政のスタイルを踏襲。じゃあ、般若の政が戦前はダンサーで(笑)

などとマルチバースを妄想してみるも「笠置シヅ子VS寅さん」にしか見えない。ああ、もしかした「アトミックのおぼん 女親分対決の巻」でのヌーベルばあちゃん(笠置)と渥美清さんの共演を予見しているのか? と考えてしまう寅さん脳(笑)

ともあれ、見事なステージングでありました!ホンモノの笠置シヅ子さんの「買物ブギー」は、映画『ぺ子ちゃんとデン助』(1950年)でMVのように再現。しかもノーカットで。これは4月からのCS「笠置シヅ子ブギウギ伝説」特集でこの先、確実にオンエアされます。

ステージの「OSSAN」というロゴが最高。服部良一先生の発想の原点でもある。大阪弁のリズム・ソング化。「OSSAN」の連呼は、この頃、全国の子どもたちが真似をしたという。そういう意味では「スーダラ節」やピンクレディー現象の遙かなるルールでもある。

スズ子「ワテはいろんな人から人を楽しませることの楽しさ、厳しさを教わってきた。今度はワテがあんたに教える番や」とタケシに。若い世代に繋いでいくこと。芸の道、生き方、仕事への姿勢。そして音楽!このドラマは「服部サウンド」を伝えてくれる!

来週はいよいよアメリカ公演! ぼくの「笠置シヅ子ブギウギ伝説」や講演会でもこの前後がクライマックス。服部&笠置コンビのサウンドへの挑戦がさらに飛躍していく時代でもあります。

来週3月6日(水)NHK G「歴史探偵 ブギウギコラボスペシャル」に、娯楽映画研究家も専門家として出演します! 菊地凛子さん、伊原六花さんとともに、笠置シヅ子さんと服部良一先生の足跡。サウンドの魅力についてお話します。

第23週「マミーのマミーや」3月4日〜3月8日

「マミーのマミーや」#1

今週は足立紳脚本。昭和25(1950)年6月。羽鳥善一からスズ子に「四ヶ月のアメリカ公演」の話が持ちかけられる。史実では6月14日、「買物ブギー」発売の前日に、笠置シヅ子さんと服部良一先生はハワイへ向けて出発。四ヶ月半のアメリカツアーへ。

ちょうどスズ子は愛子と住む家を新築中。全てが順風満帆だけど、愛子はマミーと四ヶ月離れるなんて無理。母親としての役目と、歌手として「アメリカで勝負したい」という気持ちの間で、スズ子は悩む。先々週の「歌と映画の二項対立」には無理があったが、今回は共感できる。

「マミー遠いところへ行くの?」「遠くへ行ったらあかん」の愛子を前に、決断を下せないスズ子。羽鳥善一の迷いのなさ、ズキズキワクワクしている感じがいい。大野さんは「簡単には行ってらっしゃいませ、とは言えませんね」と悩むスズ子に羽鳥夫人の麻里は「きっとアメリカ行っても後悔すると思うし、行かなくても後悔する」「あなたは心の中では行くって決めているのよ。あとひと押しして欲しいのよね」。スズ子の気持ちを理解している。母であると同時に福来スズ子だから…

すでに結論は出ているのだけど、このスズ子の逡巡は「#ブギウギ」らしくて、とても納得ができる。これこれ。という感じの展開。ようやく決心したスズ子に羽鳥は「向こうの連中をびっくりさせてやろうじゃないか!」草彅剛、いいねぇ、羽鳥は迷いがない。

歌手として勝負がしたい。アメリカで歌ってみたい。その想いに突き進んでいくスズ子。いいねぇ。愛子を抱きしめながら自分の気持ちをしっかり伝える。足立紳脚本の良さが、凝縮されたエピソード。明日からの展開が楽しみ!

3月6日(水)NHK「歴史探偵 ブギウギコラボSP」出演。9日(土)阪大中之島芸術センター「服部良一・笠置シヅ子」展「昭和ブギウギ伝説」トーク。10日(日)西成・釜晴れで「クレイジー大全」、11日(月)神戸映画資料館「笠置シヅ子幻のアニメ上映会」と続きます!

「マミーのマミーや」2

念願のアメリカツアーを前に、寂しい愛子はぐずっている日々。わかる、わかる。そして「福来スズ子お見送りショー」が開催される。これも史実通り。1950年6月12日、日劇「ブギ海を渡る」最終日に「服部良一、笠置シヅ子 渡米歓送ショウ」が開催された。

三千数百名が詰めかけ、そのなかには「笠置を姉と慕い美しい友情で結ばれている有楽町はじめ上野、新宿、池袋等のナイト・エンジェル三百名」たちもいた。なのでラクチョウおミネ(お米)たちが楽屋にやってくるのも史実通り。でスズ子が最後に歌うのは・・・

やはり「東京ブギウギ」男性ダンサー(NDT・日帝ダンシングチーム?笑)たちがバックをつとめ、おミネたちがノリノリでスタンディング。だけど愛子だけはつまらなそう。わかる、わかる。この年、GHQの意向もあり、日米親善で何人かのスターが渡米公演へ。

服部と笠置、そして服部の妹・服部富子、女優・宮川玲子らが、松尾興行社長・松尾國三のマネージメントで、アメリカでの「日系人慰問」公演に出発したのは1950年6月16日。「買物ブギー」発売の翌日のこと。

出発の朝、愛子は寂しそう。スズ子は愛子を抱きしめ「もっともっと、大きな歌手になりたいねん。アメリカに行くことがな、マミーをもっとええ歌手にしてくれるかもしれへんの」と語りかける。「いやや、いやや」愛子の切実な叫び。わかる、わかる。

で音楽映画ならここから、ハワイ、ロサンゼルス、ハリウッドのシーンとなだろうが、そこは脳内スクリーンで楽しもう(笑)数日後、羽鳥麻里が、カツオやイネ子を連れて愛子に会いに。手土産のケーキ!昭和20年代の洋菓子の再現度の高さ!なかなかです。

やがて三ヶ月後、愛子との暮らしのためにスズ子が建てた豪邸が完成。そこへスズ子からの手紙が届く。ブギの本番アメリカで歌えることの幸せが綴られている。大野さんの提案で愛子は返事を書くことに。ステージで歌うマミーの晴れ姿。可愛い絵。

ニューヨークのホテルで、羽鳥は興奮気味「ブギの王様ライオネル・ハンプトンに会えたし」「ジャズの新しいスタイルビバップにも」「ブロードウェイの『キスミー・ケイト』も最高だった」と、草彅剛のセリフに史実を入れ込む足立紳脚本!

二人のアメリカでの見聞については拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)第3章41「ロサンゼルスの買物」で細かく書いております。娯楽映画研究家として筆が走った箇所です(笑)(多分、すぐに婦人公論.jpのサイトで読めると思いますが・笑)。

明日、3月6日(水)22時からNHK G「歴史探偵 ブギウギコラボSP」放送。菊地凛子さん、伊原六花さんがスタジオゲストで、娯楽映画研究家も専門家枠で登場。「笠置シヅ子ブギウギ伝説」で執筆した笠置さんと服部良一先生、淡谷のり子さんのエピソードをお話しします。

「マミーのマミーや」#3

四ヶ月ぶりに帰国したスズ子。世田谷(でいいんですよね?)の新居に。恥ずかしがる愛子。「ちょっとだけ、愛子の顔、触ってもええか?」愛子を抱きしめるスズ子。だけど愛子はタケシが見せた大きなチョコを「食べたい!」わかる、わかる。
四ヶ月を二日で描く、これぞ朝ドラマジック(笑)服部良一先生も笠置シヅ子さんも、このツアーで音楽的な財産を得て次の展開となる。その最たるものが「オールマンリバップ」でありますが、ドラマはそれから1年後、昭和26年へとタイムスリップ!

「羽鳥善一2000曲記念ビッグパーティ」の話。史実では「服部良一2000曲記念ヒット・パレード」が日劇で大々的に開催された。笠置シヅ子、藤山一郎、奈良三枝、淡谷のり子、池真理子、二葉あき子、灰田勝彦、そうそうたるメンバーが集結した。

香川の梅吉(柳葉敏郎)がガンを患い「キトク」の電報。愛子を連れて帰郷するスズ子。「マミー、香川ええとこやな、好きや」と浜辺ではしゃぐ愛子。だけど初めての親戚の家では恥ずかしがってモジモジ。わかる、わかる。亀を見つける愛子。
六郎の亀がまだ生きていたのだ。これにはグッとくる。「まだ元気やったんやな、あの亀」「よう長生きしとるわ。六郎の分まで生きてるんやろ」久しぶりの娘と父の会話。スズ子の帰郷が「嬉しいて、二時間ほど寿命伸びたわ」相変わらずの梅吉(笑)

写真館を営んでいた梅吉は人気者だった。倉庫で梅吉が撮った家族写真の数々を見るスズ子。誰もが笑って、笑って、幸せそう。今だったら写真集が出せる型破りの記念写真(笑)自分の知らないお父ちゃんにふれて、しみじみ。で、アルバムを開くと…

海辺の「水着美人」の写真!そういえば梅吉が愛子の顔を見に来た時に、この話を匂わせていた。これぞ戦後風俗!梅吉、水着美人撮影会で一儲けしていたのだ。このあたり、足立紳脚本のうまさ。サラッと史実を織り込んで、昭和20年代を感じることができる。

一人で遊んでいた愛子が、梅吉の部屋へ入る。手招きする梅吉。おじいちゃんと孫の最後のひととき・・・続きはまた明日。

「マミーのマミーや」#4

梅吉が愛子に「その亀、気に入ったか」六郎の亀が梅吉と愛子を繋ぐ。このリレーションいいなぁ。「愛子、写真撮ったる。そいつと一緒に撮ったる」愛子、最高の笑顔で「ニー」と笑って梅吉のカメラに。誰をも幸せにした梅吉の写真。その秘密が垣間見える。

一方、スズ子は例の「水着写真」のことに疑問を持つ。誰もが梅吉に写真を撮られてハッピーだったことを知りホッとすするも「水着写真」をこっそり男たちに売っていたことに呆れる。戦後風俗というか、いつの世にも、どこの国でも、こうしたことがあった。

愛子がご機嫌に「ただいま」。「ニーして、亀と写真を撮った」「お祖父ちゃん笑っとったわ」と「ニー」の顔をする。いいなぁ。このドラマが視聴者を惹きつけてきたのこうした「ハート」の部分。病状は油断を許さず、スズ子と梅吉の最後のひとととき。

お母ちゃん・ツヤ(水川あさみ)の時もそうだったが、足立紳脚本の「別れ」の「泣き笑い」ほんま見事です。スズ子は梅吉、ツヤ、六郎と血が繋がっていないこと「どこか引っかかってたんや」「なんで言うてくれへんねん、思うこともあったけど」

梅吉「言う必要ないやがな」「スズ子は、ワシとツヤちゃんのほんまの子やけん。なんも言う必要ないやろ」「一番優しいのはスズ子や、なんも知らんふりしてくれとったんやな、知らんふりして、わしら、親にさせとってくれたんやな」しみじみ良いセリフ。

それは「血よりも濃いつながり」「ここや、ハートや」「心と心で繋がっとたんや」と梅吉。これが「#ブギウギ」のテーマでもある。親と子。作り手と受け手。人と人。その心と心をつなげるのが「スズ子の歌」。まさに音楽ドラマの素晴らしさがここに。

梅吉「スズ子の歌聞きたいねん」「何がええねん」「ほなら『父ちゃんブギ』で頼むわ」「あほ、なんやそれ」。最高のクライマックスじゃありませんか!梅吉「父ちゃんブギウギ」を歌い出す。「東京ブギウギ」の替え歌なのだけど、これが心に染みる。

「♪父ちゃんズキズキワクワク〜海を渡り響くは〜父ちゃんブギウギ」スズ子も歌い出す。泣き笑いの二人。最高の音楽シークエンス。これが「心と心」「ハートで繋がっている」と言うこと。音楽をテーマにしたドラマで、音楽がそれを体現していく。見事!

11日の神戸映画資料館での《昭和ブギウギ伝説番外編:「HOT CHINA聖林(ハリウッド)見物」上映会&「神戸ブギ」試演会》では、僕も観たことのない笠置シヅ子さんの幻短編を上映!輪島裕介さんと対話します!

娯楽映画研究家西へ

大阪・神戸3DAYSの詳細は、こちらのスケジュールをご確認ください。

「マミーのマミーや」#5

梅吉の葬儀にスズ子の産みの母・西野キヌ(中越典子)が二人の息子に支えながら列席。あの十八歳の夏の再会以来の母娘対面。立派に成長したキヌの息子たちに愛子が遊んで貰っている。しみじみ語り合うスズ子とキヌ。二人の佇まいがいい。

ああ、梅吉はずっとキヌや息子たちを気にかけていたんだね。息子たちも梅吉に写真を撮ってもらっていた。嬉しいね。「お幸せ、そうですね」「はい。こうして、また、スズ子さんとお会いできて、うちはほんまに幸せもんやけん」。息子はスズ子のファン。

「母ちゃんが知り合いなんでびっくりした」「お母さんを大事な」スズ子を姉とは知らない義弟。別れ際、スズ子が「ほな、また」「また、会いましょうね」ちょっと意外な顔をするけど嬉しいキヌ「はい、また」。15年前は生きていくのに精一杯だったけど…

今は、梅吉の言う「ハートとハート」で繋がっている母と娘。愛子「あのおばあちゃんは誰?」「マミーのな」ゆっくりと噛み締めるようにスズ子「マミーのマミーや」その言葉を聞いたキヌ。涙を浮かべて頭を下げる。やー、本当に見事なシークエンス。

いくつもの別れと再会。今日は本当に神回!夜、空っぽの梅吉の部屋で愛子「おじいちゃんは、どこに行ったんや」素朴な疑問。スズ子は優しく「愛子のことずっと見てるで」。そして帰京の日。愛子は六郎の亀と別れがたい。梅吉が撮った愛子の写真。

あの「ニー!」の瞬間、愛子の手には亀が。いい笑顔。できれば写真は、正方形だとなお良かった(梅吉は二眼のカメラなので)。今日は本当に良い場面の連続。で、最後の最後に東京の家での「チンの棒探し」の笑い。そして亀のことばかり考えている愛子に…

スズ子は、18の夏、キヌから別れ際に「菊三郎(実父)さんの形見や、ずっとあんたにあげたいと思うとったんよ」と貰った懐中時計を「愛子。亀の代わりやないけど」「愛子が持っているのが一番ええ」と渡す。夫から妻へ、母から娘へ、そして娘が娘へ…

シングルマザーだったキヌはスズ子をやむなく手放し、愛助を失いシングルマザーとして愛子をしっかり抱きしめて育ている。縁の薄い母と娘だったけど、この時計が「絆」でもある。それを愛子に渡す。このリレーション。グッときますね。本当にお見事!

明日、大阪大学中之島芸術センター「笠置シヅ子と服部良一展」最終日、娯楽映画研究家は輪島裕介さんと共に「昭和ブギウギ伝説」トークに登壇します。10日は西成・釜晴れで「クレイジーキャッツ大全2004」、11日には神戸映画資料館で笠置シヅ子さん幻のアニメ上映!です。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。