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世の中でいちばん美しいもの『男はつらいよ 寅次郎の告白』(1991年・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2024年3月2日(土)BSテレビ東京「土曜は寅さん」で第44作放映。拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)よりご紹介します。

 第四十四作『寅次郎の告白』は、及川泉(後藤久美子)が、高校の先生の紹介で銀座の楽器店に就職活動をするために上京してくるところから物語がはじまります。朝の諏訪家の描写、泉ちゃんが来るのでウキウキして愛想の良い満男。いつもは口喧嘩がたえない母と息子も、父・博も嬉しそうにしています。前作で柴又は泉にとって第二の故郷になったと書きましたが、さくらや博にとっても泉は、息子のガールフレンドというだけでなく、娘のような存在になっていることがわかります。ああ、泉ちゃんの居場所はここにあるんだな、ということが観客にも伝わり、微笑ましい場面となっています。

 ならば、広い座敷で、みんなと食事をする方がいいだろうと、さくらの配慮で「くるまや」で泉を歓待することになります。その前、店先でのタコ社長やおいちゃん、おばちゃんの会話のテーマが「人手不足。」タコ社長は頼みの職人が辞めてしまって、三平ちゃん(北山雅康)を引き抜こうとして、おいちゃんに叱られます。ならば「寅ちゃんを雇って欲しい」とおばちゃんが提案。そこへ寅さんが帰ってきて、テキ屋も人材不足ということで、一日だけ「サクラ」になって欲しいと、三平ちゃんに白羽の矢を向けるのですが…

 この冒頭の「くるまや」のシーンが、実に丁寧で、泉を囲んむ夕餉のひとときの「寅のアリア」から、タコ社長と寅さんの大喧嘩まで、ぼくらは「寅さん映画を観ている」ことを実感できるのです。もちろんシリーズが始まって二十年以上も経ていますが、往時のような派手な動きはないにせよ、山田洋次監督の演出は、実にうまく、肝心のケンカは映さずに、声だけで、派手な印象を与えてくれるのです。みんなが元気でイキイキしている、そういう印象が、この冒頭の茶の間のシークエンスにあります。

 寅さんも、「くるまや」も、諏訪家も、みんなが暖かく泉を受け入れ、楽しいひとときが展開されます。別れ際、泉が寅さんに「今度はいつ会えるのかな」と聞くと、寅さんは「泉ちゃんがな、俺に会いてえなぁ、と思った時だよ」と優しく答えます。そうです。ぼくらも「寅さんに会いたいなぁ」と思った時に「男はつらいよ」を観ることで、心の屈託が晴れるような、悩みが解消されるような気分になるのです。こういうセリフを聞くと、車寅次郎というキャラクターが、時を重ね、守護天使のような存在になっているような気がします。

 高校を三度も変わり、母親が水商売をしている泉にとって、高卒での就職は、なかなか厳しく、楽器店に同行した満男は、またもや、どうすることもできない自分の非力さを感じます。そして名古屋へ戻った泉の「寂しさ」が具体的に描かれていきます。

 母・礼子(夏木マリ)を恋人(津嘉山正種)が送ってきて、それを受け入れがたい泉と一悶着。孤独を抱えた泉は、家出をしてしまいます。泉から満男に届いた一枚の絵はがきは鳥取からのもので、そこには「日本海が見たくて、鳥取に来ました。寂しい海が、私の寂しさを吸い取ってくれるようです。泉」とだけ書かれていました。これを読んだ満男は、矢も盾もたまらず、泉を探しに鳥取へと向かいます。

 またしても「青春よ」です。思い立ったら即行動です。映画はここから動きだし、孤独な一人旅を続ける泉を中心に展開していきます。
 
 鳥取県の倉吉市の白壁土蔵群を歩く泉。後藤久美子さんの美しさが際立つショットが続きます。泉が駄菓子屋であんパンを食べていると、店のおばあちゃん(杉山とく子)がお茶を入れてくれ、「おばちゃん一人暮らしだから、遠慮はいらない」と晩ご飯を作ってくれることになります。

 ここでおばあちゃんを演じているのが、テレビ版「男はつらいよ」でおばちゃんを演じ、第五作『望郷篇』の「三七十屋豆腐店」のおかみさん役や、第三十五作『寅次郎恋愛塾』のアパートの管理人役などで、しばしば出演してきた、杉山とく子さんです。駄菓子屋の前には川が流れていて、子供たちが遊んでいます。

 時折、駄菓子屋にも子供がやってきて、彼らの居場所がここにあることが伝わってきます。ここが居場所を見失っている泉にとっての癒しの場所となっていくわけですが、さらに寅さんが、偶然通りかかって、泉と感動の再会となります。

 その夜、泉が寅さんに、自分の心の屈託を打ち明けます。
「ママを一人の女性として見ることが出来ないのは、あたしの心に何か嫌な汚いものがあるからなのよ。だから、あたし間違っているの」

 泉は自分の気持ちをこう伝えます。「頭で判っているけど、心はそうじゃない。」これは寅さんがしばしば恋愛について、さくらに嗜められた時に、言った言葉です。泉の正直な告白を受け、寅さんは「泉ちゃんは偉いなぁ」と、自分の出生の秘密、母親・お菊についての話を始めます。私生児だったこと、産みぱなしで母親が逃げてしまったこと、一生恨んでやろうと思ったこと… でも泉の話を聞いて「あんなババアでも、一人の人間として見てやらなきゃいけねえんだって」と反省の弁を述べます。

 こうして泉の心は癒されていきます。頼もしい「おじちゃま」とのひとときで、泉は笑顔を取り戻します。寅さんの「幸福力」です。そして満男との再会。楽しい三人の旅は、思わぬ展開となります。

 今回、「満男と泉のテーマ」として劇中に流れる徳永英明さんの曲は「どうしょうもないくらい」です。寅さんと別れ、二人で汽車に乗り、大阪へ向かう列車のシーンです。

 美しい日本海の風景、満男はそっと泉の手に、自分の手をのせ、泉はそっともう一方の手を満男にのせる。寄り添う二人の心と、徳永さんの歌声が見事にリンクして感動的なショットが続きます。泉の手には「幸福の黄色いハンカチ」が。寅さんなら、これも「青春よ」と言うに違いありません。

「おじさん、世の中でいちばん美しいものは恋なのに、どうして恋をする人間は、こんなに無様なんだろう。今度の旅でぼくがわかったことは、ぼくにはもうおじさんのみっともない恋愛を、笑う資格なんかない、ということなんだ」

 最後に流れる満男のモノローグです。「満男シリーズ」の素晴らしさは、やはり、青年の成長を描きながら、ぼくらが愛してやまない、車寅次郎という人物をこういう言葉で、きちんと表現して、改めて「寅さん」という人間について、気づかせてくれることです。

 この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。








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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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