『黒い賭博師 ダイスで殺せ』(1965年・江崎実生)
凄腕のギャンブラー・氷室浩次(小林旭)のさすらいと、華麗なギャンブルテクニック、そしてアクションが売り物だった「賭博師」シリーズ。中平康監督による第六作『黒い賭博師』で大胆にリニューアル。「渡り鳥」「流れ者」的ローカリズムはなりを潜め、007ブームを反映してのモダンなコミックアクションへと変貌を遂げた。そういう意味で本作は「賭博師」第七作にして、「黒い賭博師」第二作ともいえる。余談だが『黒い賭博師』は香港でも公開され、それにインスパイアされたのが、『ゴッド・ギャンブラー』(89年)の賭神=チョウ・ユンファ)であり、さらにそのパロディが『ゴッド・ギャンブラー 賭聖外伝』(91年未公開)では賭聖=チャウ・シンチーとなる。
さて『黒い賭博師 ダイスで殺せ』の監督は前年の『花嫁は十五才』(64年)でデビューを果たしたばかりの江崎実生。小林旭の日活最後となる『暴力団乗り込み』(71年)まで、「女の警察」シリーズなど七作でコンビを組むことになる。『黒い賭博師』では、撮影中のアクシデントで生死の境を彷徨うほどの大ケガをした小林旭だが、再び危険なアクションに挑戦。とにかく観客に楽しんでもらいたい、という旭のショウマンシップが、本作でも随所にみられる。ビルの窓から向いのビルへと電線伝いに飛び移るアクションでは、マットレスを敷いていないことを明確にするため、あえて俯瞰撮影で望んでいる。また敵のアジトであるトルコ風呂は、氷室が逃走しながら敵を倒すアクションのために設計されている。
今回の宿敵も国際的賭博シンジケートの<マカオ賭博団>。前作で氷室浩次に倒されたモノクルの揚の後継者が、<マカオ賭博団>の時期リーダーになれるということで、日本に送り込まれたのがヌイ・サップ。演じる二谷英明は、日活第三期ニューフェイスで小林旭と同期。二人の共演は1958(昭和33)年の『青い乳房』(鈴木清順)以来、七年ぶりとなる。二谷は最終作『黒い賭博師 悪魔の左手』(66年・中平康)でも宿敵をクールに演じ、コミカルな「黒い賭博師」の世界において、超然とした存在の小林旭ともども作品に風格を与えている。クライマックスの望遠で捉えた、真っ赤なディナージャケットの氷室と、ヌイ・サップの一騎打ちは旭と二谷ならではの名場面となった。
タイトルバックでは華麗なカードさばきが楽しめるが、カード指導として招かれた村上正洋と、それをマスターした小林旭によるものだという。そこに流れるオリジナル主題歌「ギャンブラーの歌」は小林旭作詞、伊達政男作曲。「なぜか虚しいギャンブラー」というフレーズが氷室浩次の孤独を感じさせる。音楽はJAZZYなサウンドで、マイトガイ映画や裕次郎映画を支えた伊部晴美。後半のヘリコプター・アクションの場面に流れるマーチなど、江崎監督の意向を受けての音楽的な遊びも楽しい。
本作のヒロインは、それまでの純情可憐な清純派ではなく成熟した大人の女性・ルミ。演じる弓恵子は、『マカオの竜』(65年・江崎実生)でも小林旭の相手役となる。ノン子を演じた長谷川照子は、江崎作品の常連となり『女の市場』(69年)などにも出演。今回の時子ママは劇団四季出身の森千永子。トラブルメーカーらしくルミとのキャット・ファイトを熱演。
さて、本作でユニークなのが浅草の軽演劇をこよなく愛し、喜劇人を好んだという江崎監督によるコメディアンの起用。まずテキサス・キッド役の谷村昌彦。谷村といえば渥美清らと同時代に浅草で活躍していた人。江崎監督の『やくざ渡り鳥 悪党稼業』(69年)でも、主人公・鬼頭善吉(旭)の子分を好演している。そして由利徹! 脱線トリオとして昭和30年代前半に一世を風靡。「(チンチロリンの)カックン」が流行語となり、新東宝の『カックン超特急』(60年・近江俊郎)などの喜劇映画で活躍。本作では神戸南京街の表向きは漢方薬店、実は敵のアジトの主人・金山として登場。谷村昌彦との対決シーンは、ヘビを絡めて、軽演劇の味。そのアジトの窓からテキサス・キッドが飛び降りるシーンが、マイトガイ映画のセルフパロディになっている。「ようできとるわ」というキッドの台詞がおかしい。
喜劇人といえば、暗黒街のボス・何明巴を演じた市村俊幸もまた、ブーちゃんの愛称で、日活映画でフランキー堺と名コンビだった。元はジャズ・ピアニストとして活躍、黒澤明の『生きる』(53年)ではピアニストとして出演。カタコトの日本語のチャイニーズはまさに喜劇映画のような味わい。
そうした喜劇的テイストの中で際立っているのが、日活では二枚目が多かった小高雄二の怪演! 小心者で潔癖性、しかも小賢しいボスという、およそ自身のイメージとかけ離れたキャラクターを、いささかオーバー気味に好演。その祖父が左卜全だから、ますます喜劇映画度は高くなってくる。この江崎監督の喜劇趣味は、後年『やくざ渡り鳥 悪党稼業』(1968年)で、マイトガイ映画の大パロディという形で爆発することとなる。
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