『釣りバカ日誌14お遍路大パニック! 』(2003年・松竹・朝原雄三)
あらゆる笑いのエッセンスが満載された『釣りバカ日誌14』
平成元年のお正月映画としてスタートした「釣りバカ日誌」シリーズも、丸十五年。スペシャル版と時代劇編を加えると、この『釣りバカ日誌14』で実に16作目となる。仕事よりも、趣味の釣りと家族をこよなく愛するマイペース人間・ハマちゃんと、戦後ニッポンの経済成長とともに大企業を運営してきた仕事人間・スーさんの、「釣り」という共通の趣味を通じての奇妙かつ暖かいパートナーシップを描いてきたこのシリーズ。同じ松竹で27年続いた『男はつらいよ』シリーズとともに、今や国民的映画として愛され続けている。
『男はつらいよ』は、山田洋次監督が渥美清という希有な名優を得て、昭和という時代と共に駆け抜けた。これぞ日本を代表する喜劇映画だったが、『釣りバカ日誌』はなんというか、もう少し気軽に肩の力を抜いて楽しめるバラエティ豊かなコメディといえるだろう。コメディというより喜劇と呼びたいシリーズである。
西田敏行という強烈なパーソナリティを得て、それまで人気マンガの主人公だったハマちゃんが、国民的映画の愛すべき主人公として、今なおますます健在なのはファンとして喜ばしいこと。そしてこれまた、日本映画史と共に幾多の名作映画に出演し続けている、三國連太郎という名優の取り合わせの妙が、長く続くシリーズの最大の魅力である。
そして『釣りバカ日誌』シリーズは、こうした逸材を得た監督たちの喜劇的センスにより、さらに笑いの純度が増すのである。第一作から『花のお江戸の釣りバカ日誌』まで11作を撮り続けてきた栗山富夫監督は、バブル経済崩壊後の家庭を大事にするユーモラスなC調サラリーマン、浜崎伝助と愛妻みち子さんの微笑ましい日々を、ペーソス溢れるタッチで描いた。
『釣りバカ日誌スペシャル』の森崎東監督は、山田洋次ともども車寅次郎の生みの親である貫禄で、過激でパワフルな浜ちゃん像を創出。
新人映画作家の登竜門でもある藤本賞に輝く、若きホープ本木克英監督は、ラテン系ともいうべき陽性の浜ちゃんと、存在そのものがおかしい怪人物である浜ちゃんという二面性を、『釣りバカ日誌11』から『〜13』までの三部作で描いている。
そのいずれも、ハマちゃん=西田敏行、スーさん=三國連太郎のパーソナリティを最大限に引き出しながら、それぞれの監督による違った味わいを醸し出してきた。
そして、本木監督と同世代で、松竹大船撮影所最後の世代である朝原雄三監督が、『釣りバカ日誌14』のメガホンを撮ると聞いた時、なるほどと納得した。朝原監督は、デビュー作『時の輝き』のみずみずしい演出で、日本映画界の新しい風として注目を集めた。1987年、『釣りバカ日誌』シリーズがスタートする一年前松竹に入社し、『男はつらいよ 知床慕情』で山田洋次監督に師事。いきなり渥美清、三船敏郎というビッグスターの現場につくという幸運に恵まれて、監督第二作の『サラリーマン専科』が、『男はつらいよ』の併映作として公開され、新世代の喜劇作家として注目を集めた。
『サラリーマン専科』は、優れた喜劇作家でありコメディアンでもある三宅裕司が、舞台やテレビばかりでなく、映画での可能性を証明したという点でも重要な作品。朝原=三宅のコンビで、『サラリーマン専科・単身赴任』、森繁久彌をフィーチャーした『新サラリーマン専科』と三本作られている。これは『釣りバカ日誌』がかつての森繁久彌の「社長シリーズ」と植木等の「無責任映画」の現代的な再生であると同じように、日本映画で一ジャンルを築いていた「サラリーマン映画」の現代版でもあった。
三宅裕司の味わい深いペーソス溢れるキャラクターと、ハリウッドのミュージカル・コメディや、スラップスティック映画志向の強い朝原監督の喜劇的センス、そして師匠・山田洋次から継承してきた正統派喜劇の味わい。それが三位一体となって、魅力あふれる喜劇シリーズだった。
その朝原監督が5年ぶりにメガホンを撮ることになったのは『釣りバカ日誌』シリーズの幸運でもある。『サラリーマン専科』の第一作で、MGMミュージカル『SMALL TOWN GIRL』(53年未公開)のダンス・シークエンスを三宅裕司の喜びの表現として引用し、『新サラリーマン専科』では白昼の銀座で「トムとジェリー」ばりの追っかけシーンを三宅と中村梅雀にさせてしまった朝原が、ハマちゃんやスーさんに、どんな笑いを仕掛けてくるか?
その答えは、映画が始まって間もない三宅裕司と西田敏行の、幸福感に満ちたライブ・パフォーマンスに凝縮されている。山田洋次、朝間義隆コンビによる脚本では、日本料理店のシーンだったハマちゃんと岩田課長の対話シーンを、映画的躍動感溢れるミュージカル・シークエンスに昇華させた手腕はお見事である。
監督や三宅によると、このシークエンスの発想の発端は、西田と三宅のアイデアだという。撮影中に、出演者が提案したアイデアを一度は否定しながら、最大の見せ場に構築して行くしたたかさ。山田=朝間コンビの練り上げられた脚本の意図を最大限に活かしつつ、出演者のパーソナリティをさらに引き出しているのだ。趣味人であるハマちゃんを、上司として頭ごなしに否定するのではなく、自身のフィールドであるブルース・バーに誘い出し、ライブに興じる。彼等にとっては、仕事よりも、自分自身が大切だという、明快な意志表明。さらに、ハマちゃんは、即興で愛するみち子さんのことを歌い、それを聞いた千吉はギョッとなる。なんとなれば、みち子さんは、かつて想いを寄せた女性なのだから。その喜劇的状況! さらには、クレイジーキャッツのトロンボーン奏者として、ジャズの世界では重鎮の谷啓が、得意の演奏でセッションに加わるのだ。これまで「釣りバカ」に音楽シーンや宴会シーンは数あれど、谷啓の演奏シーンは、これが初めてなのである!
三宅が恋をする高島礼子も実にチャーミングである。女だてらにトラックを飛ばし、威勢のいい啖呵も切る、土佐のハチキンであるみさきは、実にいきいきしている。トラックを降りて、ハマちゃんたちが乗るタクシーの追い越しをとがめに来るシーンのキビキビした表情。引きこもりがちな息子・良介にどう接してよいか分からない母親の戸惑い。その息子が心打ち解けるハマちゃんにせまる円熟した大人の女性の魅力。そして、何をやってもダメだが誠実だけが取り柄の千吉に見せる母親のような優しさ。
映画が始まってから1時間近くたっての登場にも関わらず、高島礼子の存在感は映画全体を支配している。これが朝原監督の力量だと思う。様々な挿話を手際良く、たくさんの笑いと共に紡ぎ出してくる。それぞれのシーンで、登場人物たちが印象深い行動や、言動、そしてリアクションをするので、映画を見終わった後に、それぞれの顔が思い浮かぶ。これは、なまなかなことではない。
『男はつらいよ』シリーズの良さは、そこにあった。きめの細かいエピソードと印象的な台詞。画面の隅に写る草花にまで目配せが行き届いていた。その伝統が、朝原演出にはある。例えば、みさきがバイクで橋に通りかかると、子供たちが威勢良く川に飛び込んでいる。ふと誰かを探すみさき。すぐ後のシーンで、それが引きこもりがちな息子・良介であることが判明する。そして、ラストシーン。千吉とみさきが、橋を通りかかると、そこで子供たちが飛び込みをしている。このシーンの清涼感は、まさしく映画を見る喜びに溢れている。
浜崎家のシーンもいい。例によってハマちゃんを訪ねたスーさんを、見送るみち子さんのショットがある。『釣りバカ』ではお馴染みの印象があるが、実は浅田美代子になってから初めてのシーンなのだ。千吉とハマちゃんに愛されているという設定のみち子さんは、今回はいつになくセクシーだが、これも朝原監督が二人の男に愛される女性としてのみち子さんを映画的にきちんと描写しているということだろう。
仕事に疲れ、人生を見つめ直そうとお遍路旅を続けるスーさんの苦渋もまた、映画のスパイスになっている。特に、会社を清算し巡礼を続ける友人の社長・笑福亭仁鶴が登場するシークエンスは、痛烈な風刺と喜劇映画センスに満ちている。このシーンによって、四国でのスーさんの印象がより強烈になっている。
東西、新旧、さまざまなコメディアンの助演も、映画をより華やかなものにしている。そうしたコメディアンのパーソナリティの魅力ばかりでなく、営業三課で繰り広げられるドタバタシーンの楽しさは、監督がこよなく愛するハリウッド喜劇への目配せも感じられる。
さまざまなタイプの笑いを配し、観客を楽しいひとときに誘う朝原雄三監督の『釣りバカ日誌14』は、まさしく正しい喜劇映画の一つのあり方を示してくれる快作である。
『釣りバカ日誌14』劇場用プログラム原稿より