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『純情の都』(1933年11月23日・P.C.L.映画製作所・木村荘十二)

 P.C.L.映画製作所第二作、木村荘十二監督『純情の都』(1933年11月23日)を娯楽映画研究所シアターのスクリーンに投影。昭和8(1933)年の東京、お茶の水にほど近い、アパートメントに住む、都市生活者たちの日常を「純情」を切り口に描いていく。フランスやドイツの音楽映画を意識した流麗な演出に酔いしれる。木村荘十二監督は帝国キネマ『百姓万歳』(1930年)で監督デビュー、その後新興キネマで『陽気な食客』(1932年)などを演出する。日本プロレタリア映画同盟の正式メンバーではなかったが、ストライキで新興キネマを解雇される。そこで音画芸術研究所設立に参加、トーキー実験作『河向ふの青春』(1933年6月1日)を監督、それがP .C .L.映画第一作『音楽喜劇 ほろよひ人生』(1933年8月10日)に繋がった。

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 島村竜三郎原作「モダン日本」所載「恋愛都市東京」に拠る『純情の都』とモダンなタイポグラフィのロゴに、時代の自由な空気を感じる。構成は、P.C.L.映画製作所創立に参加、取締役となった森岩雄。戦後、東宝の副社長として『ゴジラ』(1954年・本多猪四郎)などを製作していくが、昭和初期作詞家であり脚本家でもあった。大正12(1923)年に日本映画俳優学校の講師となる。この時の教え子、島耕二、岸井明は、日活に入社するが、その後退社、古川ロッパの「笑の王国」を経て、いずれもP.C.L.設立に参加した。P.C.L.は、志のある若い映画人たちが集結していたのである。

 P. C .L.第一作『音楽喜劇 ほろよひ人生』に続く、音楽やサウンドを最大限に活かそうと企画された『純情の都』にも、前作同様「歌って踊れる」「喜劇的演技ができる」俳優として、森岩雄も参加していた古川ロッパの「笑の王国」のメンバーが集結。古川ロッパ、岸井明はそういう意味で強力なスターだった。

 脚色は、木村荘十二監督と共に、P. C .L.映画スタジオで撮影された、音画芸術研究所製作、トーキー実験作『河向ふの青春』の原作、P. C .L.第一作『音楽喜劇 ほろよひ人生』を手がけた松崎啓次。日本プロレタリア映画同盟のメンバー出身で、翌年にかけてP.C.L.のトーキー『只野凡児 人生勉強』『続・只野凡児』『あるぷす大将』(1934年)の脚本を手がける。戦後は松崎プロを立ち上げて映画製作、テレビ「鉄腕アトム実写版」(1959年)「鉄人28号実写版」(1960年)を製作することになる。

 音楽担当には、P.C.L.のモダン音楽映画をサウンドで支えた紙恭輔と奥田良三。演奏は紙恭輔率いるコロナ・オーケストラ。声楽家の奥田良三は歌唱指導にあたり、声楽家の田中路子も「独唱」とタイトルにクレジットされている。また、この作品が縁で岸井明は、奥田良三に師事。本格的にレッスンを受けることになる。こうした音楽人材が集結していたのもP.C.L.映画製作所の新しさでありモダニズムであった。

 大都会東京、お茶の水。ニコライ堂の鐘から見渡す朝の光景。高級アパートメント「でモガとして生きる喬子(竹久千恵子)は、パジャマ姿でベッドでタバコに火をつけて目覚める。甲斐甲斐しく朝食の支度をしているのは、都会生活に憧れながらも純真な道子(千葉早智子)。「コーヒーすぐ沸いてよ」。道子は奔放で自由な喬子に憧れている。喬子は、道子は「純情」なままでいてほしいと考えている。「でも、純情なんて、東京の生活じゃ、かえって重荷になるんじゃないかしら」と道子。二人の同性愛的な関係が匂わされるが、昭和8年のモラルなので性的関係ではなく、あくまでも精神的な繋がりとして描かれている。

 向かいのアパートに住む、若きデザイナー大川(大川平八郎)は、道子に恋をしている。毎朝、窓から朝の支度をする姿を眺め、密かに道子の絵を描いていた。ここにも「純情」がある。そこへ、いつもの朝のようにロバのパン屋(丸山定夫)が街角にやってくる。子供たちがお遣いで「パン一斤」と買いにくる。都会の朝はパン食、というのもモダンだった。

 丸山定夫さんは、築地小劇場第一期メンバーで、この頃、P.C.L.と専属契約を結び、数々の作品に登場。新劇の俳優たちが脇を固めることで、他の撮影所とは違うインテリジェンスがP.C.L.映画にはあった。後発のP.C.L.作品は東和商事が配給、「日比谷映画」など洋画ロードショー館で上映。都会のホワイトカラーや学生たちが「洋画のような邦画」として嗜んでいた。

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 さて、道子が朝の支度をしていると、喬子の友人三人組。失業している演出家・藤木(藤原釜足)、青木(岸井明)、レビューガール・淳子(堤真佐子)。彼女たちのアパートの部屋へやってきて、楽しい朝食タイム。ここで岸井明さん、藤原釜足さんの見せ場となる。朝食前のショータイム。青木の提案で「掛け合いをやろうじゃないか」となる。これが伴奏のリズムに乗って今でいうラップのようで楽しい。ミュージカル的高揚感がある。

藤木「あの娘の口より甘いジャム」
淳子「恋人よりも頼もしい、朝本のパン」
青木「ひもじさなんぞ、蹴っ飛ばして」
藤木「朗らかな朝、楽しい夜」
淳子「さよなら、失業」
青木「くそくらえ!失業」
藤木「思い出が楽しいというのは、そりゃ嘘だよ」
淳子「戦いの間、頑張り続けた私も」
青木「貧乏神と戦い続けた、この俺も」
三人「負けて仕舞えば、浪人暮らし」
青木「四たびのメシが、一度になる・・・」
藤木「タバコを見て、目眩がする・・・」
淳子「アメ、チョコ一つも食べられぬ・・・」
三人「でもみんな過ぎ去った。明後日からは新生活だ。明後日の夜が明けたら・・・」
藤木「僕はあの娘に花を捧げる」
青木「めし屋の勘定、払わにゃならぬ」
藤木「それから一杯引っ掛けて」
淳子「日が暮れりゃ、さて、いよいよ・・・」
青木「ライトを浴びて」

 青木の「タラッタとジャズで・・・」に合わせて、踊り出す三人。モダン都市東京で祝祭的な日々を過ごす、モガとモボたち。しかし、純情な道子にとっては、刺激が強すぎる。

 勤務先の出版社「健康往来社」社長(徳川夢声)はそんな道子を狙っていて、モラハラ、セクハラの毎日。挙句には口説かれて大弱り。さらに同僚の不良サラリーマン・長谷(島耕二)にも、その貞操を狙われている。俳優時代の島耕二さん。こうした色悪めいた役がぴったり。息子・片山明彦さんと顔立ちは似ているのだけど、明るいイメージの片山明彦さんとは正反対の陰のある表情が印象的。

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 社長に口説かれて困っていた道子。喫茶ルームに現れた大川にピンチを助けられる。一緒に帰る夜の道で、大川は道子の絵を書いていることを告白する。「ポスターの図案」と聞いて道子ががっかりしたと大川は勘違いするが、道子は「絵だけじゃつまらない」という意味で拗ねたのだ。これが二人のボタンの掛け違いとなる。純情な大川と道子は、お互い惹かれあっているのに、ボタンの掛け違いから、行き違いに、その隙を狙う悪魔のような長谷・・・

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 同じ日のこと、失業三人組と会社をサボった喬子が、遊びに出かけるアミューズメントパークは、なんと松屋浅草7階にあった「松屋スポーツランド」!現在のレストランフロアに屋内型の遊園地があったのだ! さまざまな遊具で遊ぶ岸井明さんたち!松屋はその2年前に開店したばかり! 今も同じ建物というのがすごい! ベルトコンベアのアトラクションの名前が「ミッキー横丁」! シンボルキャラは、ベティさん! 版権など関係ない時代。大の男と女が、屋内遊園地で遊ぶ楽しさ! その夜、享楽の巷のビヤホールで、飲んで騒ぐモガ、モボたち。岸井明さんのタップダンス、あの巨体で、この身軽さ!

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 そして、道子と喬子が勤める出版社「健康往来社」が入っているのは、日比谷の三信ビル! モダン東京にタイムスリップして、自由往来を楽しむ気分。後半、都心を走るバスに道子が乗るシーン、車内からの東京風景に、ああ、こういう時代だったのだと空気を感じる。洋装、和装でおめかしした人々が行き交う街角。それを眺めているだけで幸せ!である。

 クライマックスは「明治チョコレートショップ」のキャバレー開店の当日。明治製菓宣伝部とP.C.L.のタイアップで、店の売店には明治のチョコやドロップ、ビスケットが置かれ、ステージには巨大なチョコのオブジェが下げられている。この頃、明治製菓の宣伝部担当だったのが、のちに東宝で「社長」「若大将」シリーズなどを手がける藤本真澄さん。ここでの縁で、のちの東宝製作本部長となっていくのである。森岩雄さん、藤本真澄さん、まさに東宝映画を牽引していく面々が集結!

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 さて、この「明治チョコレートショップ」支配人を演じているのは「笑の王国」を率いていた古川ロッパさん。『ほろよひ人生』に続いて出演となる。レビューの演出は藤木、バーテンには青木、そしてダンサー・淳子が美脚を披露する。さらにP .C. L.映画では岸井明さんと名コンビとなる神田千鶴子さんが踊り子として登場。その祝祭空間!

 アドバルーンがチョコレートショップの開店をアピールし、宙を舞うビラに子供達が歓声をあげる。その夜、ステージでは田中路子さんが歌う「明治チョコレートソング」(民謡調!)に合わせてダンサーが踊る。ヴィジュアルはフランス映画のキャバレーのような空間で、美脚(当時としては)のダンサーたちがバックを勤めるが、音楽とはかなりミスマッチ。まあ、それは今の感覚で、当時は違和感がなかったのだろう。

 さらにアトラクションとして、山田五郎&宮野照子さんが華麗なタンゴを披露する。これもハリウッドの音楽映画のよう! 宴の後、陽気な仲間たちが歌って踊るのは、なぜか童謡「靴がなる」

 昭和モダンを感じさせる、この時代の都会生活者のモラル! 竹久千恵子さんは男物のパジャマで、千葉早智子さんは終始和服姿。まるで二人は若夫婦のよう。クライマックス、長谷の毒牙にかかり「純真・純情・純潔」を汚されて泣き崩れる道子。彼女を心配する喬子に、長谷が言い放つ「こんな刺激には麻痺してる僕ですよ」。なんて奴だ!

 そこで喬子「お待ち!道子、僕の道子をどうしたんだ?」と宝塚の男役のような言葉で、長谷を引き止めるが、長谷は「さよなら」と出ていく。都会に踏みにじられたヒロインの「純情」。それに対して喬子「心の純潔は、そんなことぐらいで、消えはしない。道子の心は純真なんだ!」続けて「ただ、道子のはじめての恋愛だけは、綺麗な夢で終わらせてやりたかった」と、自らの純情時代を振り返るように本音を漏らす。

 同じ頃、外の電話ボックスから長谷は、他の女に電話をかけて、女のところへしけ込む。ロクな男じゃない! 深夜の街灯。それが同ポジとなり、夜が明けてゆく。今朝も、丸山定夫さんのロバのパン屋がやってくる。そしてお茶の水に朝は来るけど・・・

 P .C .L.映画撮影所が「新しい映画技術」の可能性を最大限に活かそうとして、その内容、1933年のモダン東京に相応しい「新しいテーマ」を目指した。その意気を感じる。映画としては、前作『ほろよひ人生』に比べるといささか観念が勝ちすぎて、流麗さが弱くなっているが、モダン都市東京の息吹きは、若者たちの都会への憧れを掻き立てたことだろう。


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