『ラッキーさん』(1952年2月21日・東宝・市川崑)
1月15日(水)の新娯楽映画研究所シアターは、東宝サラリーマン映画、社長シリーズのルーツ的作品、市川崑『ラッキーさん』(1952年2月21日・東宝)をスクリーン投影。今回の『三等重役』初DVD化に合わせて、改めて再見した。東宝サラリーマン映画の原点は、この前年に、大映の小林桂樹を招いて藤本真澄が製作した源氏鶏太原作『ホープさん サラリーマン虎の巻』(1951年10月19日)である。小林桂樹が大学を卒業してフレッシュマンとして鉱業会社に就職、サラリーマンの哀感をペーソスとユーモアたっぷりに描いて評判となる。小林桂樹はこれを機に、大映から藤本プロ所属となり、東宝カラーを担っていく。
その第二弾として、藤本真澄が企画したのが、源氏鶏太の「ラッキーさん」の映画化。演出はハイテンポ、ハイテンションで都会派喜劇を次々と成功させていた市川崑。映画化にあたり、小林桂樹のフレッシュマンだけでなく、河村黎吉の戦後派社長、斎藤達雄の定年間際のサラリーマン、それぞれの悲哀を描いていく。そのため、小林桂樹のエピソードが「ラッキーさん」、河村黎吉は「三等重役」、齋藤達雄と娘・島崎雪子のエピソードは「重役さん」からそれぞれ脚色。ここで松竹の名バイプレイヤー、河村黎吉をフィーチャーしたとで、フレッシュマンと戦後派社長、つまりのちの『三等重役』正続篇、森繁社長の『へそくり社長』(1956年・千葉泰樹)に始まる「社長シリーズ」のプロトタイプとなった。
猪俣勝人が三つの原作からまとめ上げたシナリオを、『結婚行進曲』(1951年)をスクリュー・ボール・コメディに仕立て上げたモダンな市川崑が演出。小林桂樹の秘書が、河村黎吉の社長の浮気旅行の手配で大失敗するエピソードの面白さは、「社長シリーズ」の呼吸がすでにここで完成していたことがわかる。
南海鉱業(「三等重役」では南海産業)のハリキリボーイ、若原俊平(小林桂樹)は、同僚や先輩たちから「ラッキーさん」と呼ばれている。入社してわずかなのに、庶務課から秘書課に大抜擢されて、戦後派の秋葉社長(河村黎吉)の秘書となる。出世街道まっしぐら、誰もがうらやむ若原君は、清廉潔白。行きつけの飲み屋で、同僚たちに大盤振る舞いしても、会社のツケや経費で落とさずに、給料前借してしまうような正直者。
そんな若原君に好意を寄せているのは、晴れて秘書課で席を並べることが出来て大喜びの泰子さん(島崎雪子)。藤本真澄お気に入りの島崎雪子は、俳優座の二期生だった昭和25(1950)年、新東宝のフレッシュガールに応募、石坂洋次郎原作『山のかなたに』(1950年・新東宝・千葉泰樹)に抜擢、芸名は石坂洋次郎が「青い山脈」のヒロイン名をつけた。社長秘書となった若原君をランチに誘って、上等の御重を注文、支払いは若原君。というちゃっかり屋でもある。この食事のシーンで、社長から呼び出しと、飛び込んでくる少年給仕を演じているのが井上大助。子供だけど、世事に詳しく、社内の事情通でもある。井上大助は続く『三等重役』(1952年・春原政久)では、河村黎吉の息子を好演。やはり藤本真澄のお気に入りで、初期の東宝サラリーマン映画ではアクセントとなるキャラを演じている。
さて、河村黎吉演じる南海鉱業の秋葉社長(「三等重役」では桑原社長)は、先代・奈良正右衛門(小川虎之助)が、敗戦でパージされたために、急遽、重役からピンチヒッターとして選ばれた戦後派の三等社長。この河村黎吉のキャラクター造形が素晴らしく、驚いた時には、素っ頓狂な声を上げるのがおかしい。小川虎之助の先代社長は、そのまま『三等重役』に受け継がれていくので、『ラッキーさん』はやはり『三等重役』エピソードゼロ、として楽しめる。河村黎吉の奥さんも沢村貞子が演じているので、このキャストが好評で『三等重役』に受け継がれたことがわかる。
さて、奈良前社長の娘・由起子さん(杉葉子)は、独立自尊がモットーの戦後派のお嬢さん。銀座五丁目にパーマネントの店を出して、南海鉱業の社員の奥さんたちを集めて大繁盛。そのリーダー格が、秋葉社長夫人・千里(沢村貞子)。これも原作の設定で『三等重役』では関千恵子が奈良前社長令嬢を演じていて、やはり美容室を経営、彼女の結婚式がクライマックスとなる。
まず、花婿候補として、秋葉社長の息子で大学教授・恭太郎(伊藤雄之助)を推そうと、千里夫人が無理やり息子を由紀子の美容室へ連れていくシーンがおかしい。ファッション雑誌を見せられ髪型の希望を聞かれても曖昧な態度の恭太郎。せっかちな由起子はどんどんヘアカットを進めて、恭太郎の頭にパーマをかけてしまう。そのヘアスタイルが爆笑を誘う。
本作のメイン・ストーリーは、この由紀子さんのお婿さん候補になりたいと、南海鉱業の若手社員たちが躍起となる。まず、トップシーンの祝賀会の帰りに、由紀子の身分を知らないまま、若原君の後輩社員・近藤勇三(小泉博)が一目惚れ。さらに、奈良前社長の娘婿候補に手を挙げた若手社員たちが、由起子も出席する大運動会で、彼女に身染めてもらおうと切磋琢磨するシーンがおかしい。この大運動会はのちの『社長行状記』(1966年・松林宗恵)でもリフレインされるが、これが中盤の見せ場となる。
そこで由起子さんは若原君に好意を寄せて、二人はランデブーする仲となるが、面白くないのは泰子さん。何度も映画の約束すっぽかされておかんむり。ついには、やけ酒ならぬ「やけ汁粉」を12杯も食べてしまう。これに付き合った近藤君は、見ているだけで胸焼けして、卒倒してしまう。島崎雪子の泰子さん、可愛いくて美人だけでなく、市川崑らしく、キャラ付けがいい。時折、鼻を噛むシーンがあるが、その音が「ブー」とすごいSEで、この玉に瑕が、泰子さんをますますチャーミングに魅せている。
さて、その泰子さんの父・町田さん(斎藤達雄)は、出世とは縁のないサラリーマン人生を送ってきて定年間近。どことなく威厳がある紳士然としているので、秋葉社長の替え玉として冠婚葬祭に駆り出される。これは源氏鶏太の短編「重役さん」のエピソード。松竹蒲田時代から小津安二郎、成瀬巳喜男のサラリーマン映画、小市民映画に出演してきた斎藤達雄の替え玉社長ぶりがいい。自宅に帰れば、奥さんが重役机を用意していて、重役ごっこをしているのも原作通り。
さらに、秋葉社長は、出張の帰りに銀座のバーのマダム(千石規子)と熱海で落ち合う段取りを、若原君に指示して段取りを取るが、手違いで、なんと熱海行きの切符が社長夫人に届けられてしまい、浮気は未遂に終わる。これが好評で、のちの「社長シリーズ」では最終作までリフレインされる王道のパターンとなる。
いろいろあって、若原君は由起子さんに失恋、さらに四国の支社への栄転が決まり、泰子さんは失意のままラストを迎える。いささか苦いラストシーンとなるが、これもサラリーマンの悲哀。のちの「社長シリーズ」では、こうしたシチュエーションとなって、最後には若いカップルには幸福が訪れるという展開となる。