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『花火の街』(1937年1月7日・J.O.スタヂオ・石田民三)

 大佛次郎原作、石田民三監督が新興キネマ京都撮影所から移籍した第一作にして東宝=J.O.提携第一回作品『花火の街』(1937年1月7日・J.O.スタヂオ)。これは実にいい。セット中心の撮影だが、さすがJ.O.スタヂオ、録音技術のレベルが高いので、音声演出が素晴らしい。心の声のモノローグや無音性部分がもたらす情緒。登場人物の心象風景も観客に伝わるし、石田民三がサイレントで培ってきた緩急自在のモンタージュ。全てが登場人物の感情と観客の感情をリンクさせるための演出。

 原作は大佛次郎が週刊朝日に連載した大衆小説。文明開花の横浜新開地。洋行に出るため恋人・門田馨(原健策)に捨てられたお節(深水藤子)。門田からの手切金も受け取らず、病弱の父も亡くなり、門田の子を宿したお節が姿を消してしまう。お節とは昔馴染みの是枝金四郎(小林重四郎)は、かつては元旗本だったが、明治維新でざん切り頭に。今では外国人相手の仕事をしているハマの与太者・金四郎を、日活スターの小林重四郎が情感タップリに演じている。

 ヒロインのお節を演じているのは、日活京都のトップスター、深水藤子。1916(大正5)年、東京市荏原郡品川生まれで、江戸時代末から続く蕎麦屋「養老庵」の娘。1931(昭和6)年、松竹蒲田撮影所に入所、長田富士絵の芸名で、齋藤寅次郎監督『三太郎満州出征』(1932年)などに出演。その年の秋、日活太秦撮影所の女優募集に応募、伊東深水に見染められて日活入り。深水藤子の芸名は、伊東深水の命名である。日活京都では山中貞雄『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935年)、『関の弥太っぺ』(同)のヒロインを演じた。この時19歳だから、本作は21歳の出演となる。山中貞雄とのロマンスでも知られる。戦後は引退していたが、1986(昭和61)年、林海象監督のデビュー作『夢みるように眠りたい』、続いて『二十世紀少年読本』(1989年)で銀幕に復活した。

 さて、ハマの与太者である金四郎にぞっこんなのが、賭場や酒場を経営しているマダム・千代(竹久千恵子)。モダンな洋装で、店を取り仕切る千代は、ならず者も一目置く鉄火な女性。ところが金四郎は、彼女の想いを知っても相手にしない。むしろ行方不明のお節が気になって仕方がない。お節が、子供を産んで、生活のため、外国人相手の娼館「ヘップバーン」で働いていることを知った金四郎。

小林重四郎 

 地元のヤクザ連中に取り囲まれて、ドスを向けられた金四郎は、彼らを次々となぎ倒す。日活スターの小林重四郎の腹の底から出てくるような低い声、啖呵を切る仕草がいい。いかにもなのだけど、それが格好いい。小林重四郎は、1909(明治42)年生まれ。1924(大正13)年、宝塚国民座に入り13歳で初舞台を踏み、新国劇で活躍後、1929(昭和4)年、20歳で日活に入社。すぐに松竹下加茂撮影所に移籍して30本以上の時代劇映画に出演。1935(昭和10)年に、日活京都に戻って、大河内傳次郎主演『国定忠治』(1935年・山中貞雄)などに出演。同作で、あめや紋次を演じて、そこで歌った「あめやの唄」がレコードリリースされてヒット。歌う映画スターとして、歌手としても活躍することに。

 というわけで小林重四郎の声がとにかくいい。タップリという感じで、ヤクザたちと渡り合う。そこに通りかかった千代が、相手のヤクザを諌めると、騒ぎは収まる。このあたり、竹久千恵子が実にカッコいい。映画俳優をまるで新派の役者のように演出する。石田民三作品は、映画なのだけど、映画を超えた味わいがある。「世話物」「新派劇」的に展開し、流麗かつ、心情タップリの演出は、見ていて惚れ惚れする。

竹久千恵子

 さて、力づくでお節を奪還しかねない勢いの金四郎を制した千代は、ヤクザたちと手打ちをさせた上で、「ヘップバーン」と話をつけて、彼女を自由の身にする。千代は、鉄火でキップが良く、それでいて艶っぽい。次作『夜の鳩』(1937年5月11日)もそうだが、石田民三作品の竹久千恵子は、まるで新派女優のように風情と哀感を佇まいだけで醸し出す。ヤクザのイザコザを一言で収める風格!カッコいい!

 ここで金四郎は、自分のお節への気持ちが「愛情」であることに気づいて、彼女と赤ちゃんのために、与太者暮らしから足を洗って、堅気となり、三人で真っ当に暮らしていくことにする。この男の純情。荷上げした品物を倉庫で管理するその元締めとなった金四郎。

 かわいい娘のために、玩具屋の店先で、起こすと泣く仕掛けの高価な人形を、財布と相談しながら買い求めるほどの親バカぶり。そんな金四郎を「良いお父さんだ」と羨ましがる、出入りの車夫。彼は独身なのだけど、金四郎は「若いうちに世帯を持った方がいい」とニコニコ。

 同じ頃、金四郎が留守の家に、世話焼きおばさんが、帰国した門田を連れてくる。しかしお節は、逢うことを頑なに拒む。ならばと門田は、金四郎の仕事場を訪ねてくる。横浜の新開地にある倉庫街。このロケはおそらく神戸だろう。門田と金四郎、男同士の話。このシーンの緊張感もいい。門田は、洋行に行く時は、お節が身ごもって居たことを知らなかったこと。自分としては責任を取りたい。と気持ちを吐露する。しかし金四郎は、目の前にいる門田が、お節を不幸にしたことが許せない。そこで「お節と赤ん坊のことは、俺がなんとしても面倒見る」と啖呵を切る。

原健策
金四郎の覚悟
男同士の話し合い

 その夜はフランス公使館でのレセプションを記念して、横浜港では花火が打ち上げられることに。それを知った金四郎は、娘に花火を見せてやろうと、大ハリキリ。しかし、お節が銭湯に行っている間に、赤ちゃんは寝込んでしまう。幸せを噛み締める金四郎。そこでお節は、昼間、門田がやってきたが、自分は逢うことを拒んだと、苦しい胸の内を打ち明ける。しかし金四郎は嫉妬もあって「お前、門田と会ったんだろう」と詰問する。お節は「あなたに申し訳なくて…」会わなかったのだと正直に話す。しかし金四郎はそこで怒りを爆発させる。

 お節は自分に対して愛情ではなく「申し訳ない」と思っているのかと。このあたり、大佛次郎の原作のテーマだが、石田民三は、金四郎の心理、お節の心理を巧みに観客に伝えてくれる。黙って見つめ合う二人。でも、疑いの気持ちが湧いて、その心が一瞬、通わなくなる。男のエゴと、女の愛情。話し合って済むことではなく、心と心が通い合わないと、二人はダメになってしまう。

見つめ合う二人

 そしてフランス公使館。紳士淑女たちの舞踏会が、鹿鳴館時代らしく、賑やかに、華やかに行われている。門田も出席していたが、呼び出されて階段を降りてくる。門田を呼び出したのは、お節だった。思い詰めた表情、虚な瞳、懐から合口をそっと出す。その瞬間、お節の右眼がキラリと光る。その涙も、石田民三の演出だろう。ドキッとする瞬間。

深水藤子

 その現場を、居合わせた千代が一部始終目撃していて、お節に駆け寄る。「ポリスは呼ばないで」公使館は外国と同じで、治外法権である。とっさの千代の判断で、お節の罪は免れることに… その後、果たして、お節と赤ちゃん、金四郎はどうなったのか?

 横浜のマダムたちに、これまでの顛末を話す千代。多くは語らないが、その後三人は、どこかで幸せに暮らしていることが匂わされる。ここで竹久千恵子が、カメラ目線なのもいい。鮮やかなオチ。情感のドラマとしては完璧な構成と演出である。石田民三映画ならではの、風情と情緒、そして間(ま)を味わう逸品。

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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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