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『銀座化粧』(1951年4月14日・新東宝・成瀬巳喜男)

note「佐藤利明の娯楽映画研究所」。この原稿で1000本目となります。いつもありがとうございます。というわけで僕がトークや連載原稿で続けている「東京映画時層探検」には欠かせない一本を、6月29日(水)神保町シアター「映画で銀ぶら特集」で上映、昭和26年の『銀座化粧』(1951年・新東宝・成瀬巳喜男)をスクリーンで堪能。

トップシーン。銀座四丁目、服部時計店・銀座和光の時計塔のショットから始まる。地下鉄銀座線の出口(現在のA-8)に続いて、時計の「日本堂」の店内から銀座どおりのショットとなる。ショーケースの前には、本作のヒロイン・田中絹代さんの息子・春雄(西久保好汎)ちゃん(10歳)が立っていて、隣のおじさんに「今、何時?」と時間を聞く。おじさん、時計を持っていないのでウィンドウの時計の方を見る。ちょうど15時50分ごろ。そろそろ母親が仕事に出かける時間である。

次のカットでは、春雄ちゃんが、昭和通りの横断歩道を渡る。タッタッタと走りっぷりが可愛く、サマになっている。東京の街っ子という感じである。春雄ちゃんは、築地川の支流である楓川にかかる新富橋に佇んでいる。「網打ち」のおじさんが船で、八丁堀(桜川)→隅田川→佃島→お台場の方に出かけるのを、見送る春雄ちゃん。新富橋のたもとには「宝來園茶舗」がある。船を見送りながら新富橋の反対側に行く春雄ちゃん。その向こうには新金橋がある。この映画の舞台は「築地川」界隈

今は、埋め立てられ、高速道路が通っている「築地川」のありし日の風景が活写されている。それを眺めているだけでも楽しいが、成瀬巳喜男は的確にこの界隈の風景を映画に記録している。

この映画は、2006年頃、大瀧詠一さんと映画研究をしていて、成瀬巳喜男監督の『秋立ちぬ』(1960年・東宝)のロケーション特定をしていたときに、同作とさまざまな形で「シンクロする」ことに気づいた大瀧さんと、更なる深掘りをした想い出の作品。両作とも「母一人子ひとり」。銀座にほど近い築地川エリアが生活圏。同じ場所でもロケーションをしているということで、探索が始まった。

『秋立ちぬ』のトップシーンも、銀座四丁目の交差点。山梨から築地の親戚を頼って上京してきた、乙羽信子さんと小学生の息子・大沢健三郎くんが、地下鉄の階段を上がってくる。昭和通りを渡り、築地川を超えて新富町へ。乙羽信子さんは東京出身で、京橋小学校の卒業生。『銀座化粧』の春雄ちゃんが通っていた小学校の先輩、ということになる。『秋立ちぬ』は、ちょうど『銀座化粧』の9年後の物語。母親が築地の料亭の仲居となり、そのまま客・加東大介さんと出奔。息子・大沢健三郎くんは寂しい思いをする。

その大沢健三郎くんと心を通わせるのが、母親の勤め先の料亭の娘・一木双葉ちゃん。二人が出会うのが、やはり楓川の新富橋。本編には映らないが『秋立ちぬ』のスチル、新富橋のショットには、春雄ちゃんの後ろに映っていた「宝來園茶舗」も映っている。ことほど作用に『銀座化粧』『秋立ちぬ』には共通点が多い。

そのことについては、「東京人」2009年11月号「映画の中の東京」特集で、大瀧詠一さんと川本三郎さんの対談の中で「発表」されている。

『銀座化粧』の田中絹代さんが演じているのは、ずっと夜の世界で生きてきた津路雪子。銀座のバー「ベラミ」に勤めながら、母ひとり子ひとりで、息子を育てている。母子が住んでいるのは、中央区入船。小唄の師匠・杵屋佐久(清川玉枝)と、元板前の清吉(柳永二郎)夫妻の二階に間借りをしている。春雄が銀座界隈のパトロールから帰ってくる頃、入れ違いに雪子は銀座に出勤する。春雄がおじさんに「何時?」と聞いたのは、お母さんの出勤時間までに家に帰るためだった。

成瀬巳喜男映画らしく、夜の世界に生きる女性の様々を描いているが、観客として気になるのは、やはり、健気に生きている小学生の息子・春雄ちゃん。本当は寂しいのに、そんな素振りも見せずに、ひとり遊びをして、元気に銀座や築地の路地をタッタッタと走り回っている。観客は春雄ちゃんと一緒に、昭和26(1951)年の銀座界隈の時層探検を味わうことができる。

さて雪子は、戦前、羽振りが良かった藤本(三島雅夫)の世話を受けていたが、戦争が終わってからは、藤本はどんな商売をしてもうまくいかず、今は無職。今日も仕事が見つかったと雪子に報告に来たのだが、実は無一文で金の無心だった。この辺りは成瀬巳喜男映画ではおなじみのダメ男である。ダメ男といえば、小唄の師匠・佐久の亭主・清吉も競輪ばかりにうつつを抜かして、なんだかんだと仕事をしていないようだ。

雪子の昔からの朋輩で、今は渋谷に家を持たされている佐山静江(花井蘭子)の旦那・葛西英治郎(小杉義男)も金は回っているようだが、かなりスノッブなタイプ。その紹介で、雪子のパトロンになろうとしている社長・菅野平兵衛(東野英治郎)も相当な下衆である。雪子が勤め先のマダム幸子(津路清子)から頼まれた20万円を、菅野から借金しようとする。

菅野に指定された待ち合わせ場所は、明石橋のたもと。築地川は東支川と南支川があり、南支川は相引川と呼ばれていて、聖路加病院近くで「明石堀」と合流。その河口に架かっていたのが明石橋である。この明石橋は池波正太郎の「鬼平犯科帳」にも登場する。やがてスケベな菅野が現れて「待合は金がかかる」「喫茶店で済む話ではない」と、雪子を、自分の会社の倉庫に連れ込んで、乱暴しようとする。この倉庫があるのが、料亭「治作」にほど近い明石倉庫。

神保町シアターのスクリーンを眺めながら、大瀧さんと「ロケ地特定」のために、連日、地図やグーグルマップ、実際の土地を歩いて「時層探検」した日々を思い出していた。物語もさることながら、映像に映された空間を「映画の中に入り込んで歩き回る」ことを大瀧さんは「映画カラオケ」と名付けた。いま、僕が「銀座15番街」の連載「娯楽映画の昭和・銀座と映画の街角」や、阿佐ヶ谷ネオ書房でのイベント「佐藤利明の娯楽映画研究所SP・娯楽映画の昭和」シリーズで展開している時層探検は、この時から始まったのである。

さて、映画の中盤、花井蘭子さんの静江が戦時中、疎開していた田舎で「プラトニックな恋」をした”坊や”こと石川京助(堀雄二)が上京。旦那が大阪から来ていて相手ができないと、雪子に彼の東京案内を頼む。静江が石川ののためにリザーブした旅館は、木挽町・蔦屋旅館。木挽町は銀座の南部、東銀座の歌舞伎座あたりから築地にかけての町名。正式にこの地名がなくなるのが『銀座化粧』が作られた昭和26年のこと。

関東大震災後、復興事業の一つとして昭和通りが作られた。当時、東京市長だった後藤新平は100m道路を考えていたが、反対派に押されて43mとなった。これが震災後、銀座の境界線となる。それ以前の境界線だったのが三十軒堀。東京の映画ファンには「銀座シネパトス」のあたりと言えばわかるだろう。ここには堀があった。戦後、昭和23(1948)年に埋め立てが開始され、堀が埋められて「第二銀座」として分譲されることとなった。

雪子が石川に銀座案内するシーン。ちょうど三十軒堀を埋め立てていて、銀座が騒然としている。ワンカット映るのが三原橋の階段。石川が「これが橋の名残ですね」と話すのは、昭和4(1929)年に、震災復興事業で架橋された三原橋のこと。まさに銀座シネパトスの階段を作っている時である。三十軒堀は埋め立てられたが、晴海通りに架かっていた三原橋の下には商店街が作られ、これが日本初の地下街「三原橋商店街」(1952年12月1日オープン)である。

ここは、翌、昭和27(1952)年11月27日公開の川島雄三監督『明日は月給日』(松竹)で、高橋貞二さんと紙京子さんが土曜日の午後、ランデブーで歩く。まだオープン前の「三原橋地下街」の入り口と出口が登場する。オープン直前の「三原橋商店街」の雰囲気が記録されている。

さて『銀座化粧』の三原橋のカットの次に、雪子が石川に「東京温泉」の紹介をするシーンがある。これが日本初の「サウナ風呂・トルコ風呂」として昭和26年4月1日開業したばかりの「東京温泉」である。この「東京温泉」といえば、のちに川島雄三監督『グラマ島の誘惑』(1959年・東京映画)で森繁久彌さんのお公家さんが戦後経営するという設定で登場した温泉のモデルでもあります。またグァルティエロ・ヤコペッティの『世界残酷物語』(1962年・イタリア)にもこの「東京温泉」が登場する。

さて、雪子が若い石川の東京案内をすることになり、日曜日、楽しみにしていた動物園行きが中止となって、春雄ちゃんは泣きべそ。雪子が妹のように可愛がっていて、ウィークデーは春雄ちゃんの家に泊まることも多い女給・京子(香川京子)に小遣いをもらって遊びに出かける。入船町の近くの鉄砲洲公園(八丁堀)で、同年代の子たちと野球をして遊んでいると、ちょうどお昼どき。ある子のお母さんが子供を迎えに来たのをきっかけに解散。春雄ちゃんはまたひとりぼっちで、公園から明石町に向かい、聖路加病院の東側から「暁橋」へと行く。

この「暁橋」は、映画ではお馴染みで、戦前は『ロッパの新婚旅行』(1940年・東宝・山本嘉次郎)でロッパが「アジア歯磨」の宣伝歌を歌って行進をしたり、戦後は円谷英二特技監督が『美女と液体人間』(1958年・東宝・本多猪四郎)で築地川炎上シーンでミニチュアで再現している。

春雄ちゃんが一人で、建築資材の上で遊んでいるカットがある。後ろには聖路加病院が見える。同じ場所が小津安二郎監督『長屋紳士録』(1947年・松竹)でオネショをして飯田蝶子さんに叱られてションボリしている坊やが材木に座っているのも、この「暁橋」「備前橋」の間である。

結局、春雄ちゃんは入船橋のそばで、前半に登場した「網打ちの猟師のおじさん」に声をかけられて、お台場の方へ魚を取りに行くことが匂わされる。しかし昼どきになっても帰ってこない。心配した京子が、木挽町・蔦屋旅館まで石川と一緒にいる雪子を訪ねてくる。春雄が行方不明と聞いて、いてもたっても居られない雪子は、石川の相手を京子に任せて、春雄ちゃんを探しにいく。

この時、大家さんでもある清川玉枝さんが「デパートに象でも観に行ったんじゃないのかね?」と言うが、この「象」とは、前年、昭和25(1950)年、日本橋高島屋の屋上にお目見えしたインド象の「高子」のこと。なんと屋上で象を飼育していたのである。この高子について、先日、6月26日(日)阿佐ヶ谷ネオ書房でのイベント「娯楽映画の昭和VOL.7 新・東京ラプソディー」でもお話した。前述の川島雄三監督『明日は月給日』で、紙京子さんが日本橋高島屋の特別食堂に勤めていると言う設定で、高橋貞二さんと紙京子さんが屋上で会話するシーンに、なんと子供たちの大人気の「象の高子」が登場する。

結局、春雄ちゃんを探すためにピンチヒッターに頼んだ京子と石川がいい仲になり、雪子も静江(花井蘭子)もがっかり。その話を静江が雪子にするシーンは、築地橋と入船橋の間にある貸しボート屋、釣り舟発着所で、聖路加病院が後ろに映っている。

次の日曜日、お母さんに「動物園に連れてってもらえる」と春雄ちゃんの機嫌も直り、再び、いつもの日常となる。ラスト近く、春雄ちゃんは建設現場のクレーンに刮目しているが、そこでも「おじさん、今、何時?」と時間をきいて、再び入船町へ戻る。トップシーンのリフレインである。そして入れ替わりに雪子が勤めに出ることとなる。

ラスト、雪子が橋を渡るが、ここは、川島雄三監督『銀座二十四帖』(1955年・日活)にも登場する。築地警察のほど近く、三橋達也さんを迎えにきた北原三枝さんが渡る橋でもある。ことほど左様に『銀座化粧』には、築地川にかかるあらゆる橋が登場する。

昭和26年の築地川界隈、銀座風俗、東京風景は、遅れてきた世代にとっては何よりのご馳走。映画はまさにタイムマシン。成瀬巳喜男監督のナビゲートで僕らは、昭和26年の「あの頃」にタイムスリップすることができる。これが「映画時層探検」の楽しみなのである。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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