隅田川時層探検映画『花束の夢』(1938年1月14日・東宝・松井稔)
東京は川の町でもある。江戸時代「大川」と呼ばれた隅田川は、江戸〜東京の海上運搬、交通の要だった。震災復興計画により、隅田川には1926(大正15)年の永代橋から、1940(昭和15)年の勝鬨橋まで、十橋が架橋された。震災で壊れた木製の橋、老朽化した橋を堅牢なものに掛け替えただけでなく、それまで「中洲の渡し」と呼ばれた渡船場に架けられた清洲橋のように、新たに架橋されたものもあった。
東京を舞台にした映画には、庶民が住むエリアとして隅田川や、その支流の神田川、仙台堀川、などのリバーサイドが登場する。成瀬巳喜男や川島雄三などの作家たちが好んで取り上げてきたことも大きい。戦前のP.C.L映画、東宝映画に活写されている、竣工して10年にも満たない、永代橋や清洲橋、両国橋、吾妻橋といった隅田川の橋を眺めるのは、「東京『映画』時層探検」の楽しみでもある。
さて、震災復興計画で架橋された隅田川の橋は次の通り。
1926(大正15)年 永代橋
1927(昭和2)年 蔵前橋・駒形橋
1928(昭和3)年 清洲橋・言問橋
1929(昭和4)年 厩橋
1931(昭和6)年 吾妻橋・白髭橋
1937(昭和7)年 両国橋
1940(昭和15)年 勝鬨橋
大正15年に竣工した永代橋は、アーチ式の美しいスタイルで「帝都東京の門」と呼ばれ、昭和3年竣工の大吊橋スタイルの清洲橋と一対になっている。この清洲橋は、ドイツのケルン市ヒンデンブルグ橋の大吊橋をモデルに鈴木計一が設計。その美しいフォルムは、成瀬巳喜男『噂の娘』(1935年・PCL)、伏水修『白薔薇は咲けど』(1937年)、小津安二郎『秋日和』(1960年・松竹)などに活写されている。松竹グランドスコープ第一作、番匠義彰『抱かれた花嫁』のタイトルは、水上バスから捉えた清洲橋のショットである。
戦前のPCL映画、東宝映画で東京を舞台にした作品を観ていると、これら復興計画で架橋された橋が続々と登場する。前置きが長くなったが、その中でも、『花束の夢』(1938年1月14日・東宝映画東京・松井稔)は、隅田川リバーサイド映画としても傑出している。
ヒロインの姫宮接子は、ムーラン・ルージュ新宿座に昭和10(1935)年に入団。明日待子と共にトップスターとして活躍、新興キネマと契約、昭和12(1937)年、東宝と契約。藤原釜足と岸井明のじゃがたらコンビの『東海道は日本晴れ』(1937年7月1日)、エンタツ・アチャコの『僕は誰だ』(9月14日)、じゃがたらコンビの『牛づれ超特急』(11月3日)に出演後、本作のヒロインとなる。本作を最後に、東宝から日活多摩川へ移籍することになる。
原作・脚本は永見隆二。P.C.L.モダン映画、ユーモア映画を支えてきた作家である。東宝マークが明け、題名とともに、神田千鶴子、姫宮接子、佐伯秀男、高峰秀子 共演とスーパーが一枚で出る。ジャズ・ミュージシャン、バンドリーダーでもある谷口又士の軽快なジャズ演奏に乗せて、花束をバックにスタッフ紹介。演奏はPCL管弦楽団。ウキウキする滑り出しである。主題歌はテイチクレコードからリリースの「花束の夢」「誰なの」(作詞・倉仲房雄 作曲・古賀政男 唄・由利あけみ)。出演者クレジットには、主題歌「花束の夢」(劇中の台詞では「若い花束」)が流れる。
舞台は江東区新大橋一丁目から常磐町二丁目あたり、隅田川の近くにあるアパート「ポプラハウス」。女学生・彩子(姫宮接子)は、浅草のレビュー舞台の楽屋番・音吉(汐見洋)と二人暮らし。彩子の母・町子は、音吉の反対を押し切ってハワイへ移住していて、断絶状態。彩子はいつかハワイの母に会える日を夢見ている。
ファーストショット、朝の隅田川を、仕事や漁に行く小さな船が行き交う。その後ろには、清洲橋の美しいフォルム。橋の上には自動車が走っている。「ポプラハウス」の前は隅田川の支流の小名木川、職工の細君(三條利喜江)が掃除をしている。女の子の「納豆、納豆」の売り声。二階の窓から彩子が「おばさん、おはよう」と声をかける。
何気ない朝の光景、松井稔監督はロケーションとセットの切り返しを自然にするために、アパートにスモークをたいて、ライトで朝の日差しを再現。これがなかなか効果的。映像に目の届く監督であることがわかる。
おばさんの亭主が弁当を忘れたので、彩子が追っかける。水上バスの渡船場(新大橋一丁目)。たくさんの職人や工員たちが船に乗っている。飛び乗る彩子。向こうには新大橋が見える。この新大橋は、1912(明治45)年に架橋され、関東大震災でも唯一被災しないで、避難路として多くの生命を救ったので「お助け橋」と呼ばれた。鉄骨のピントラス式の鉄橋で、1977(昭和52)年に現在の橋に架け替えられるまで現役だった。今は、明治村に移築されている。
この頃の水上バスは、庶民のアクセスとして重用されていた。特に石川島播磨造船所に勤める人々の足でもあり、また都内各所への通勤するにも便利だった。生活のなかの水上バスの描写、この映画の最大の収穫でもある。
さて、彩子の向かいの部屋には、食えない彫刻家・新一郎(佐伯秀男)が住んでいて、彩子は兄のように慕っている。夜、街角で新一郎は似顔絵描き、彩子は古本の夜店を出して、暮らしの足しにしている。アパートには、第二のサトウハチローを目指している売れない詩人・笠原(三木利夫)も住んでいて、年中、新一の部屋にタバコをねだりにきている。
「ポプラハウス」の看板には「高級御アパート」とあるが、住人たちの暮らしは下町の長屋のようでもある。そこへ、浅草のレビューガールの比呂子(神田千鶴子)が身分を隠して引っ越してくる。退廃的でその日暮らしのレビューガールに飽き飽きして、仲間達としばらく距離をおきたからである。音吉の勤めていた劇場の専属だったので、二人は顔馴染み。
引っ越しのドタバタで、新一郎は比呂子の大事な人形を壊してしまう。「弁償します」「一円や二円じゃ買えないものよ」と高圧的な比呂子の態度に新一郎はカチンとくる。最悪の出会いが、やがて相思相愛となるラブコメパターンは、すでにこの頃からあった。
やがて、比呂子の部屋をレビューガールの仲間たちが探し当てて、ドカドカと入ってくる。レイ子(宮野照子)、マリ子(水上怜子)、ユメ子(美澤由紀子)、キミ子(林喜美子)たち。タバコに火をつけ、かしましくおしゃべりをするレビューガールたち。比呂子も最初はイヤイヤだったが、すぐにいつものように、みんなで主題歌「花束の夢」を歌い始める。
新一郎の部屋では、笠原が遊びにきていて、電蓄でクラシックを聞いている。「やっぱりベートーベンはいいな」「違うよ、チャイコフスキーだよ」。トンチンカンな会話がおかしい。そのレコード鑑賞が、レビューガールたちの歌と踊りにかき消される。
ステージでタップのコンビを組んでいたレイ子と比呂子が、唄の半ばでタップ・ダンスを始める。神田千鶴子も、宮野照子もP.C.L.初期から音楽映画、レビュー映画に出演していたが、ここまで本格的なタップが踊れるとは!
アパートでのダンスが、やがて回想シーン、浅草のステージのショットとなる。これまで『乙女ごころ三人姉妹』(1935年・成瀬巳喜男)など、モッサリ感が強かった神田千鶴子のレビュー場面だが、この『花束の夢』でイメージが一新した。とにかく見事である。
その夜、彩子と新一郎の夜店の商売をしている。新一郎が似顔絵を書いている相手は、藪睨みの中川辨公。その特徴をつかんで描いた似顔を見た辨公、怒って絵を破って立ち去る。彩子も商売はさっぱりで、二人ともクサっていると、バナナ屋のおぢさん(山形凡平)が、バナナをくれる。一口、かじると、新一郎も彩子も不味そうな顔。おぢさんも口に入れた瞬間、吐き出す。今では考えられないが、昔は不味いバナナがあったのだと。
さて、商売を切り上げた彩子たちは、音吉が一杯飲んでいるおでん屋へ立ち寄る。おかみを演じているのは清川虹子。いつもと違って、口数が少なく、寡黙な感じが意外だが、それゆえ味がある。音吉は新一郎と一杯やるのを口実にもう少し飲みたいのだ。そんなおじいちゃんの身体を心配する彩子。そこに、比呂子がマリ子、そして比呂子にご執心の若旦那・高島(中村伸郎)が奥座敷へ。比呂子は、若旦那とのズルズルの関係が嫌になり、ポプラハウスに越してきたことが、このシーンで明らかになる。
翌日の日曜日、新一郎は音吉の依頼で、彩子の彫像を作っているが、モデルに飽きた彩子は、天気も良いので「お散歩しましょう」と新一郎を誘う。朗らかに主題歌「誰なの」を歌う彩子、口笛で伴奏する新一郎。兄妹のように仲良しである。二人が歩く後ろには永代橋が見えるので、おそらく越中島だろう。高等商船学校(商船大学)の練習船が停泊している。この先は佃島で、隅田川は越中島サイドと、築地明石町サイドの二手に分かれる。この映画は新大橋から永代橋にかけての江東区側で展開されている。
同じ頃、比呂子はマリ子から、若旦那・高島との復縁を持ちかけるが、比呂子はうんざり。このシーンは、水上バスの乗船場でのロケーション。すぐ近くに新大橋が見えている。切り返しは永代橋。レビューから足を洗いたくなっていた比呂子。待合室の外に貼ってある「急募 女子改札員 年齢十六才より廿才まで 詳細は人事課まで問合せられたし 隅田川汽船株式會社」のポスターを見て微笑む。
次のシーンでは、焼き芋をたくさん買い込んだ新一郎が、小さな橋を渡っていると、橋の欄干で少女が、鼻緒を切らして往生している。彼女は比呂子の腹違いの妹・としこ(高峰秀子)。屈託のない少女で、新一郎がすげ替えた鼻緒もすぐに切れて、結局、彼女をおぶってアパートへ。この橋は、古石場川、牡丹二丁目と古石場一丁目の間に架かる木造の橋。川といっても運河で、場所的には越中島の近く、高等商船学校のすぐそばである。
比呂子ととしこの父は、無頼の暮らしをしていて、それゆえ家族に迷惑をかけている。としこの身なりから、その生活は楽ではないことがわかる。おそらく比呂子は、その収入で家族を養っていたのだろう。そんな比呂子は、とし子と一緒に、新一郎の部屋で過ごすうちに、彼の魅力に惹かれて好意を持つようになる。佐伯秀男は、どの映画でもそうなのだが、のちの加山雄三の若大将のような、生まれっぱなしの魅力。東宝青春スターの系譜のルーツ的存在。
次の日曜日、彩子が越中島の商船学校の船のそばでリンゴを齧りながら「誰なの」を口ずさんでいると、比呂子が「花束の夢」歌い、新一郎が口笛で伴奏しながら、睦まじく歩いてくる。いつかの自分のポジションに比呂子がいて、嫉妬を感じる彩子。前の日曜日と同じアングルのショットだけに、彩子の切なさが伝わってくる。一方、比呂子は新一郎への愛情を実感して、レビューをやめて、水上バスの改札係になる決意をする。
大胆な転職だが、神田千鶴子の水上バスガール(という言葉はないが)はなかなかチャーミング。比呂子が新一郎に宛てた手紙には「明日の夕方、白髭橋の船着場でお待ちしております」。永代橋から白髭橋までは、浅草を越えるので結構な距離がある。白鬚橋は、1931(昭和6)年、復興計画の一環として竣工。台東区浅草橋場三丁目と向島区寺島町三丁目の間、全長168.8メートルの堅牢な橋。
約束の時間に、水上バスで白髭橋の発着場へやってくる新一郎。ローアングルで堅牢な永代橋の橋桁が活写されて、橋の構造がよくわかる。この時点で、新一郎はまだ比呂子の再就職を知らない。「新ちゃん」と声をかけた比呂子は制服を着て微笑んでいる。サプライズというわけであるが、このシーンの神田千鶴子が実にチャーミング。そこへ乗客が「吾妻橋まで」と切符を求めにくる。
しかし幸せな日々は長く続かない。ある日、妹・としこが慌てて白髭橋の発着場へ。「お父ちゃんが警察の人に連れて行かれた」と今にも泣きそうである。その時、父が比呂子に託した手紙を渡され、愕然とする比呂子。父の渡世上の不義理のため、どうしても二百円が必要になったのだ。比呂子のイイメージショットで、若旦那・高島の顔が、水面に浮かぶ。昭和13年、若き日の中村伸郎は、後年の老人のイメージとさほど変わらないのが不思議であり、妙に納得してしまう。
結局、父親の借金、二百円を、高島に用立ててもらうことになり、比呂子は再びレビューの世界に戻ることに。アパートの部屋に、レビューガール、音楽スタッフ、高島たちがやってきて、酒を煽って大宴会。比呂子もタバコに火をつけて、酒を飲み、自暴自棄となる。そこで音楽スタッフ・アコーディオンの男(河村弘二)の演奏で、「花束の夢」をレビューガールが歌い、比呂子がソロタップを踊る。ここでも、神田千鶴子の流麗なタップを披露してくれる。
部屋の外には住人たちが、その嬌声と音楽のうるささに辟易している。何事かと新一郎が部屋に入って、踊り続ける比呂子の頬にビンタ! 高島が「何をする」と詰め寄ると、新一郎は部屋を出ていく。
ここからクライマックスとなる。酔った音吉が病院に担ぎ込まれ、彩子、新一郎、比呂子が駆けつける。瀕死の病床で、音吉は、ハワイに住んでいる町子を許すから、ハワイに行きなさい。とこの日、満期になった保険金を彩子に渡して生き絶える。翌朝、ハワイに渡航する決意をした彩子は、比呂子のために保険金を「使って欲しい」と渡す。最初は拒む比呂子と新一郎だったが、素直に受け取って、全ての問題が解決する。
ラスト、ハワイへ出発する彩子を見送った、新一郎と比呂子が歩くのは、永代一丁目の隅田川河畔、後ろに永代橋のアーチが見える。ファーストカットの清洲橋との対比にもなっている。隅田川には帆掛船が航行している。トップからラストまで、昭和13年の隅田川風情、空気を体感することができる。
1月26日NHK文化センター青山教室「東京映画時層探検・川のある町」講座開催!
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