ちょいとだけ、良い男ぶらしてくれ 『男はつらいよ 寅次郎の青春』(1992年・松竹・山田洋次)
文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ
場所は、宮崎県油津(あぶらつ)。古い運河の前にある小さな橋のたもとの食堂。近くの理容院の女主人・蝶子(風吹ジュン)が、昼休みのひとときを過ごしています。女主人を前に、つい漏らした愚痴。「どこかにええ男でもおらんじゃろうか?」それをじっと聞いていた、窓辺の席の客。「お姐さん、その男、この俺じゃ駄目かな?。」第四十五作「寅次郎の青春」の寅さんの登場シーンです。実にかっこ良いです。確かに「寅の夢」では、こうした伊達男ぶりが、パロディにもなり、幾度となく展開されてきました。それは寅さんの見る夢ですから、当然といえば当然です。しかし本篇ではおそらく、空前絶後かも知れません。「まぁ、いいさ。ちょいとだけ良い男ぶらしてくれよ。」このときの渥美清さん、実にダンディです。
第四十二作『ぼくの伯父さん』から、甥の満男(吉岡秀隆)とガールフレンド泉(後藤久美子)の二人の青春の日々を描く「満男シリーズ」ともいうべき展開を見せてきた「男はつらいよ」ですが、ここでは久々に寅さんと大人の女性の心の交流が描かれます。風吹ジュンさん演じる蝶子は、油津で小さな理容院を経営しています。漁師をしている、年のはなれた弟・竜介(永瀬正敏)と二人暮らし。一生、この地で暮らそうと思っているわけではなく、冒頭の台詞のように「どこかにええ男でもおらんじゃろうか。沖縄でん北海道でんついていくっちゃけんど」と、「ここではない、どこかへ」に行きたいと思っています。そういったパッションに火をつけてくれる男性を、心のどこかで待っている、そんな女性です。そこへたまたま寅さんが現れて、二人の物語が始まります。
共同脚本の朝間義隆さんが、ある時、喫茶店のカウンターで「いい男がいたら、世界の果てまで行っちゃうのになぁ」と、女性の言葉を聞いたことがあり、それが、山田監督との対話のなかで、シナリオに取り入れられていきました。そのプロセスは、一九九三年に刊行された「山田洋次+朝間気義隆 シナリオをつくる」(筑摩書房)にドキュメントとして、二人の対話形式で収録されています。
この朝間さんの語るエピソードに、山田監督が「半分、本気なんだなぁ、きっとなあ」と、その女性の気持ちに寄り添って、それを聞いた男が「寅さんだったら」という発想で、二人の出会いのシーンのデッサンが出来上がっていきます。
その女性は一体、どんな仕事をして、どんなことを考えて、この小さな街で暮らしているんだろう? そこから山田監督はヒロインのキャラクターを造形していきます。この本は、第四十五作のシナリオ創作課程での、山田洋次監督と朝間義隆監督の対話を通して「男はつらいよ」の物語が、毎回、どんな風に構築されていったかを、味わうことができます。ぼくら愛してやまない「男はつらいよ」の物語は、こうして紡ぎだされたのかと、様々な想像を巡らせてしまいます。
蝶子が小さな理容店を経営する四十歳ぐらいの女性。という設定になったのは、山田監督がこの頃、パトリス=ル・コント監督の『髪結いの亭主』(一九九〇年)を観たことを、朝間さんに話したことがきっかけになったことが、前述の「シナリオをつくる」を読むとわかります。山田監督は『髪結いの亭主』について、「なんだか知らんけど、感覚というか、そういうもんじゃないかしらねえ。特に、男なら覚えがある、きれいな女の人に顔剃ってもらう時の感覚。そんなものをまざまざ描いたという、そんなことじゃないかなあ」と本のなかで、雑談されています。
ですから、寅さんが蝶子に理容をしてもらうシーンは、実に、しっとりと、艶かしい、なんともいえない雰囲気があります。店のカーテンがそよ風にそよぎ、丁寧なカット割りで「きれいな女の人に顔剃ってもらう時の感覚」を、映像で再現しています。これまでのシリーズにない、ドキリとする描写です。蝶子のカセットテレコから流れてくる音楽は、モーツアルトの「クラリネット五重奏 ラルゴ 第二楽章」です。ゆったりとした音楽に身を委ねている寅さんにとっても至福のときです。
風吹ジュンさんは、この撮影にあたって、プロの美容師の方の指南を受けて、段取りを覚えたそうです。
渥美さんのスタンドインは、前作第四十四作『寅次郎の告白』まで、監督助手としてシリーズを支えて来られてきた五十嵐敬司さんが、わざわざ撮影所に呼ばれて、つとめられたそうです。いずれも文化放送「みんなの寅さん」で伺ったエピソードです。
寅さんにとって、こうした思いがけない至福のときがあって、いよいよ別れか、という時に、雨が降ってきます。蝶子は「急がないんでしょう、雨宿りしていけば?」と優しく声をかけてくれます。寅さんという人を考えれば、蝶子と二人きりなら、雨の中でも出ていってしまうでしょうが、そこに蝶子の弟・竜介が帰って来たので、蝶子の好意に甘えることになります。
このとき、蝶子が嬉しそうに「わたし、晩ご飯の買い物してくるから」と土砂降りのなか出て行きます。この蝶子の嬉しさが、普段の彼女の退屈や、つまらなさを、感じさせてくれるのです。寅さんが現れて、ハレの日になる。蝶子の気持ちの華やぎが、『寅次郎の青春』を久しぶりに「寅さん現役復帰か?」と思わせてくれるのです。それでも節度をわきまえた寅さん、蝶子に夕飯をごちそうになり、例によって「お開き」ということで帰ろうとしますが…
蝶子は、寅さんの財布の中身が空っぽだと知っていても、「いい男」ぶっている寅さんを受け入れています。蝶子は、自分の寂しさを埋めてくれる男性として、寅さんを見ていることが、ここでわかります。そこから蝶子にとっても、寅さんにとっても楽しい日々が始まるのですが、このあたりは、さらっと、観客の空想に委ねて、続くアクシデントへと展開していきます。