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『特急二十世紀』(1934年・コロムビア・ハワード・ホークス)
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番匠義彰作品の面白さの源流(と勝手に思っている)ハリウッドのスクリューボール・コメディを連日観ている。昨夜は、ハワード・ホークス監督のエポックメイキングとなった傑作『特急二十世紀』(1934年・コロムビア)を久しぶりにスクリーン投影。タイトルのTwentieth Century「20世紀特急」とは、ニューヨーク・セントラル鉄道のニューヨーク〜シカゴ間の特急列車で、1902年〜1967年に運行されていた。
いわゆるスクリューボール・コメディと言われるジャンルは、この年、コロムビアでフランク・キャプラ監督が撮った、クラーク・ゲイブルとクローデット・コルベール主演『或る夜の出来事』(1934年)が、その嚆矢とされている。
本作はそれと並んで、スクリューボール・コメディを確立された記念碑的な作品。男女の出会いから発展するロマンチック・コメディではなく、エゴイストの舞台演出家とやはり傲慢な女優のカップルが、愛し合っているのに、お互いをいがみあい、罵り合い、対立。つまり「喧嘩ばかり」している二人の「愛の行方やいかに?」という構成。まだこの頃はアメリカ映画倫理規定前夜”プレコード”時代なので、描写もセリフも過激で、そのぶつかり合いがおかしい。
チャールズ・ブルース・ミルホランドのブロードウェイ戯曲「ブロードウェイのナポレオン」を、ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーの名コンビが脚色。速射砲のように次々と放たれる台詞の応酬。スピーディな展開は、88年の時を経ても色褪せない。むしろ、よくぞここまで!と関心してしまう。
主演は、サイレント期からハリウッドで活躍した「バリモア三兄弟」のジョン・バリモア。つまりドリュー・バリモアのお祖父さんである。そしてヒロインには1930年代から40年代にかけてのハリウッド・コメディには欠かせない伝説の女優キャロル・ロンバード。ウイリアム・パウエルと離婚した後、1939年にクラーク・ゲイブルと熱烈な恋愛の末、結婚。しかし1942年に飛行機事故で不慮の死を遂げてしまう。33歳の若さだった。
この二人の芸達者が、とにかくいがみあい、派手な喧嘩を繰り広げる。ロマンチック・コメディの対極ともいうべき展開が楽しい。
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ブロードウェイの演出家、オスカー・ジャフィ(ジョン・バリモア)が、デパートの下着売り場のモデルだったミルドレッド・プロトカ(キャロル・ロンバード)に声をかけて、次作のヒロインに抜擢。プロトカという名前はダメだと、勝手にリリー・ガーランドと芸名をつけ、稽古が始まる。
映画はその経緯を描かずに、いきなり稽古場で、素人のリリー・ガーランドのダメな演技から始まる。この映画は「省略の美学」ともいうべき構成で、それまでの状況をセリフや展開で、観客に伝えてくれる。で、オスカーの傲慢な態度と厳しい指導に嫌気が差したリリーは舞台を降りる、とまでいうが、オスカーに抱きしめられ、見つめられ、その熱情に絆されて舞台に出演。
初日は大好評で、リリーは一夜にしてスターとなる。二人はいつしか愛し合っていて…という滑り出し。ここまでわずか数分で描いてしまう。それから三年、美しいリリーが浮気をしないかと、嫉妬深いオスカーは、彼女の外出も認めず束縛している。それゆえ歪み合う二人。今なら典型的なダメ男でDV夫なのだけど、オスカーはリリーを愛しすぎて、錯乱状態。すぐに自殺を仄めかしたり。
それでも、二人は仲直り(つまりエッチして・笑 ここも省略)。翌朝、オスカーは寛大なところを見せて「君は自由にしていい。僕が悪かった」などと優しく、リリーを送り出す。しかし、すぐに探偵に彼女の電話を盗聴しろ、素行調査をしろと指示。しかし、それがリリーにバレて、怒った彼女は、探偵を張り倒して、そのままハリウッドへ。
この展開も、わずか数分。全ての状況をオスカーとリリーの部屋だけで見せてしまう。電話や、オスカーのビジネスパートナーのオリヴァー・ウェッブ(ウオルター・コノリー)の芝居だけで、説明してくれる。これも「省略の美学」である。
リリーを失って意気消沈のオスカー。当てつけに大根女優をヒロインにして、あろうことか「ジャンヌ・ダルク」を助演。シカゴのトライアウトで大コケしてしまう。夜逃げ同然に、駅へと向かう、オスカー、オリヴァー、マネージャーのオーエン・オマリー(ロスコー・カーン)の三人。しかし指名手配を受けて、刑事に追われているオスカーは、駅で足止め? というときにさすが演出家、老人に化けて、刑事をまんまと騙して「特急二十世紀号」の乗り込む。
ここからが、この映画の真骨頂。これまでの三年間は「前段」で、シカゴからニューヨークに向かう「特急二十世紀号」の車内で展開されるスピーディなドラマが、本作の狙いでもある。
このままだと破産してしまうオスカーとオリヴァーたちは起死回生の舞台を作らねばならない。しかし主演女優はやはりリリーしかいない。彼女はハリウッドだし…と頭を抱えていると、次の駅からリリーが若い恋人・ジョージ・スミス(ラルフ・フォーブス)と乗り込んできて、なんとオスカーの隣のコンパートメントに!
さあ、どうやってリリーを口説くか? 舞台の再生と愛の再生がダブルミーニングとなって、ジョン・バリモアとキャロル・ロンバードの丁々発止が繰り広げられる。
しかし舞台を上演するにもスポンサーが必要。どうしよう? なんと汽車には、自称・製薬会社の社長・マシュー・J・クラーク(エティーヌ・ギラードット)が乗っていて、全額出資を取り付ける。これは奇跡!と喜ぶオリヴァーたちだったが、クラークは精誇大妄想の男で、キリスト教パブテスト派の信者で、車掌の目を盗んでは「悔い改めよ」のステッカーを貼りまくる迷惑行為を続けていた。
このクラークがおかしい。物語とは全く関係なく「悔い改めよ」のステッカーをあちこちに貼りまくる。オリヴァーの帽子や、車掌の背中などに。この「何かに取り憑かれた男」の行為が笑を誘うというのは、マルクス兄弟のハーポ・マルクスが、なんでも盗んだり、どんなものでもハサミで切ったりするギャグと同質のおかしさ。
ニューヨークに向けて疾走する「特急20世紀号」。果たして、オスカーの野心は?リリーとの復縁は?どうする?どうなる?のコメディが、鮮やかなエンディングに向けて驀進していく。
ジョン・バリモアの大袈裟な演技、キャロル・ロンバードの鼻持ちならない高飛車な態度。それが次々と笑いを誘う。これぞハリウッド黄金時代のコメディ!という楽しさに溢れている。
この映画をもとに、1978年、ベティ・カムデンとアドルフ・グリーンのコンビ(MGM映画『踊る大紐育』や『バンドワゴン』のチーム)が脚色、サイ・コールマンが作曲してブロードウェイ・ミュージカルとして上演。日本でも「20世紀号に乗って」と題して上映されている。
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