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『たそがれの湖』(1937年11月21日・東宝映画東京・伏水修)

 この年、P.C.L.に入社、音楽映画を中心に活躍していた江戸川蘭子さんと、花形女優・神田千鶴子さんをダブルヒロインにした、伏水修監督の才気溢れる音楽映画の佳作『たそがれの湖』(1937年11月21日・東宝映画東京)。もちろん岸井明さんも、なんと老け役で出演している。

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 原案の丸木砂土さんは、レマルクの「西部戦線異状なし」の翻訳や、エロティックな小説を発表していた作家。同時に昭和8(1933)年、東宝に入社して日劇の運営を担当、日劇ダンシングチームや東宝名人会を設立。東宝映画のプロデューサーとなった。戦後は、日本初のストリップショー「額縁ショー」を考案したことでも知られる。脚本は古賀文二さん、共同クレジットの佐伯孝夫さんは劇中の挿入歌の作詞を手がけている。

 夏の終わりの箱根・芦ノ湖。湖畔のホテル「レイクサイドホテル」を経営するマダム・カヨ(細川ちか子)は、昨年、ホテルに訪れ、楽しい時を共にした青年弁護士・藤原氏(北沢彪)の来訪を待ち侘びていた。しかし、裁判に忙しい藤原氏は、いまだに来ていない。藤原氏のために特別室の1号を誰にも貸さずに待っていたのだ。

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 そんなマダムを密かに愛しているのが支配人・山岸(汐見洋)。小山内薫らと共に、築地小劇場創立に参加、日本のトーキー映画の黎明となった皆川式ミナトーキー『黎明』(1927年・小山内薫)に築地小劇場のメンバーと共に出演。P.C.L.第3作『さくら音頭 涙の母』(1934年・木村荘十二)からP.C.L.映画に出演。先ごろ発見されたJ.O.製作、円谷英二撮影『かぐや姫』(1935年・田中喜次)で翁を演じていた。この『たそがれの湖』では、イギリス映画の執事のような、寡黙で「何もかもわかっている」感じがいい。後半、夏祭りの会場まで出張して、ホテルの客に、スイカを配る芝居が、実にかっこいい。

 その支配人・山岸は奥さんの藤原氏への想いを理解している一方、この夏、氏が来なかったことに少し安堵している。その山岸支配人の将棋仲間が、巡査(三島雅夫)。個人的で恐縮だが、ぼくが通っていた獨協中学校の大先輩(同じ戦前ではハワイアンの灰田晴彦さんも!)でもある。築地小劇場に参加するが小山内薫の死に伴い、新築地劇団に入る。1934(昭和9)年に新協劇団創設に参加、同時にP.C.L.映画でバイプレイヤーとして活躍。本作でも、明朗な巡査を好演している。冒頭とラストに登場するのだが、伏水監督の演出で、制服が最初は白い夏服で、秋を迎えた最後は冬服で、季節感を出している。

 この「レイクサイドホテル」で、おそらく繁忙期だけメイド(当時の表現で女中)として働きにきているキヨ(神田千鶴子)が可愛い。映画でよくある「あんれまあ」みたいな田舎言葉で、歌好きで美しい声を聞かせてくれる。ラストの「庭の千草」がなかなかいい。その恋人の郵便配達夫(灰田勝彦)も歌が大好きな好青年。キヨと同じく田舎言葉で朴訥としている。灰田勝彦は、兄・晴彦が結成したハワイバンド、モアナ・グリー・クラブで活躍。P.C.L.映画の音楽を手掛けていた紙恭輔に乞われ、映画音楽のコーラスで参加していた。仕事を探していたこともあり、そのルックスと歌声を買われて『たそがれの湖』に出演。これがきっかけとなり俳優として、東宝映画の顔となる。

 冒頭、牧場で草刈り女たちが歌を歌っている。途中からキヨが美しい声でソロで歌う。

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♪ 山の煙はどなたへ なびく 
私しゃ むしかど 心任せじゃえ〜
しゃしゃほう しゃしゃほう

 ♪ひとり さびしい 麓の桔梗
 寄って おいでよ 渡り鳥さんえ〜
 しゃしゃほう しゃしゃほう

 さて、そんな「レイクサイドホテル」に、モーターボートに乗って、客の父娘がやってくる。出版社社長・細谷権六(岸井明)と令嬢・ルミ子(江戸川蘭子)。彼らが、なぜ季節外れの湖へとやってきたのか? 「パパの神経衰弱 直しに来たのだから」オペレッタ映画なので、ルミ子が歌で説明してくれる。

 ♪東京離れて 山の中
 逃げてくるにゃ 深いわけ
 人の版権 ちょろまかし
 訴えられて 大クサリだ〜

 細谷の出版社が盗作で、ライバルの筈見氏(小杉勇)から訴訟されて、どうにもならなくなって逃げてきたのである。ところが、その筈見氏の担当弁護士が、マダムが待ち焦がれている藤原氏で、話はややこしくなってくる。支配人・山岸は、マダムが藤原氏のためにリザーブしている特別室を細谷父子に貸してしまう。その細谷の事件を新聞で、マダムは知ってしまう。新聞記事が画面いっぱいに紹介される。

 前代未聞の版権侵害 五十万円の大訴訟 筈見天海堂主人 細谷書房を凹ます

 新聞には困った顔をした岸井明さんの写真が載っている。その新聞を見せられた山岸「ほう、不思議ですね」。マダム「不思議どころか皮肉じゃないの」と憮然としている。誰もいないロビーに響き渡る、ひぐらしの声。夏の終わりを感じさせる。

 ホテルの1号室。先ほどまで眼鏡っ子だったルミ子がイブニングドレスに着替えながら、「庭の千草」を歌っている。江戸川蘭子の歌声をたっぷり聞かせようという趣向である。部屋に藤原氏のポートレートが飾ってあることに気づいたルミ子。そこへメイドのキヨがやってきて、この部屋はマダムの大事な人のためにとっておいたことをルミ子に話す。「だあれ?その人」「弱っちゃったな」。カナカナとひぐらしの声。トーキー技術も格段に進歩、伏水演出はこうしたS Eを意識的に使って効果を上げている。ルミ子に問い詰めらたキヨ。ついに告白をするが、こちらもオペレッタ式に神田千鶴子さんが歌で答える。

 ♪写真の主は 藤原さん
 今、売り出しの弁護士で
 逢えばどなたも 好きになる
 明るい 愉快な紳士です
 去年来たとき 奥さんを
 恋のとりこに しましたの
 今日までここは あの方の
 ために 用意がしてあった
 損を覚悟の 真実です
 けれどとうとう 来なかったので
 この夏は 泣きの涙で このお部屋
 客に譲ってあげたのも
 支配人への 遠慮です

 と、これまでの状況、マダムの気持ちまで、神田千鶴子さんの歌が代弁している。ことほど作用に、この映画は次々と歌がドラマを推し進めていく。ミュージカルというよりシネ・オペレッタを目指している。そこへ郵便配達が電報を届けに来て、藤原氏が来訪することが告げられる。いそいそと迎えに行くマダム。困ったのは支配人・山岸とキヨ。なんとか、細谷父子を説得しないといけない。というドタバタとなる。結局、ルミ子が、藤原を籠絡して、裁判に有利に持っていく作戦を立て、細谷も納得する。そしてルミ子は藤原に会った途端に一目惚れしてしまう。

 夕暮れ。高原に日が沈み、夜が来る。ホテルのカッコウ時計が七時を告げる。コーラス・ボーイが二人、一人はギターを手に、女性ピアノと一緒に伴奏、そして歌う。

 ♪カッコウ カッコウ
 カッコウが泣く
 山は楽し 若き日よ
 
    カッコウ カッコウ
 カッコウが泣く
 山は楽し 若き日よ

 そこへ、バーで一杯やっていた岸井明さんの細谷社長が歌い出す。

  ♪山じゃろうが 海じゃろうが
 酒 酒なくて なんの己が
 山じゃろうが 海じゃろうが
 酒 この世はなんでも 酒じゃよ

 コーラスがかっこいい。そして岸井明さんのユーモア! 音楽が「蝶々」に転調すると、捕虫網を手に探検服の昆虫博士(榊田敬治)が、蝶々を追いながらホテルへ入ってくる。この昆虫博士と細谷社長が意気投合、映画の後半の笑を作っていく。

 というわけで、万事この調子で、去りゆく夏のひととき、湖畔のホテルでのユーモラスな協奏曲が繰り広げられていく。伏水修監督の演出は、前年の『唄の世の中』(1936年)がハリウッド・ミュージカルだとするならば、こちらはフランス映画やドイツのオペレッタ映画のような味わい。伏水修監督が音楽映画に目(と耳)の届く人だったことがわかる。

 全てが終わって、万事解決、客たちがホテルを去り、秋風が吹いてゆくラストの味わいも含めて61分の短さながら、ギュッと音楽映画の魅力が詰まったモダンなオペレッタ映画となった。


 


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