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『海から来た流れ者』(1960年・山崎徳次郎)

「流れ者シリーズ」第一作!

 「流れ者」シリーズ第一作『海から来た流れ者』が封切られたのは昭和35(1960)年2月28日。企画・児井英生、原作・原健三郎、脚本・山崎巌のトリオは「渡り鳥」同様。企画者・児井英生によると、「渡り鳥」のヒットを受け日活企画部が赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズを始めた。しかしそのことで、挨拶がなかったため、意地になって『海から来た流れ者』をシリーズにしたと「伝・日本映画の黄金時代」(文藝春秋社刊)にある。その意地がヒットシリーズへと発展するのが映画黄金時代らしい逸話でもある。 

 また山崎巌の「夢のぬかるみ」(新潮社刊)には、<「渡り鳥」は、知らない土地にぶらりとやって来たギター流しが、ふとしたことから事件に巻き込まれる。「流れ者」は、先ずその土地で事件が起る。被害者はアキラの友人、恩人などで、彼はそれを暴くためにやってくるという設定だ>と定義している。これは小林信彦がエッセイで指摘したものに、山崎が再定義したもの。山崎は「拳銃無頼帖」の脚本家でもあり、この三つのシリーズの近似性が高いのも当然なこと。だからこそ、ルーティーンの面白さに観客は夢中となり、回を追うごとに良い意味でエスカレートしていった。

 さて『海から来た流れ者』はシリーズ化を意識してないとあって、小林旭演じるキャラクター、好敵手の設定、事件の展開などは「渡り鳥」とは微妙に異なる。主人公・野村浩次は、元麻薬捜査官。ある事件の真相を探るために辞職をして、自ら陰謀渦まく伊豆大島に乗り込む。

 タイトルバックに流れるのは「ダンチョネ節」(1960年3月1日発売 作詞・西沢爽、補作詞・遠藤実)。いわゆるアキラ節と呼ばれるモダンなアレンジの民謡が主題歌になったのはこれが最初となる。「小林旭読本」(キネマ旬報社刊)の大瀧詠一によると、ペレス・プラドのマンボのリズムで民謡をしかもオリジナルのメロディ付きで、というのは日本歌謡史上初だという。遠藤実のメロディに、狛林正一の大胆なマンボアレンジ、旭の唄声。アクション映画と民謡。このミスマッチは、やがてアキラ節というジャンルを形成し、「流れ者」「渡り鳥」シリーズのみならず、小林旭映画の定番となる。

 大島行きの連絡船で、川地民夫がギターを弾いていると「3の弦が少し高いようだぜ」とギターを借りる旭。そこで華麗な腕前を披露。川地は「あんた東京の人だね」と関心。それに対し「俺らぁ特別だ」と涼しい顔の旭。なんともカッコいいのである。この自信がマイトガイの魅力でもある。

 さて本作では好敵手的存在として宍戸錠ではなく葉山良二が登場。葉山といえば『完全な遊戯』(1958年)で旭たち不良学生に翻弄されるヤクザを好演し、小林旭にとっては先輩格のスター。バタ臭さとスマートさを同居させて、作品のアクセントになっている。

 一方、宍戸錠は、キャバレーRed Fire(御神火という意味か?)の冷酷無比な支配人・神戸昭三。ヴァンプ役の筑波久子の色気と錠の非情さが、作品のハードボイルド性を高めている。ルリ子に対するサディスティックな態度の凄み。劇中語られる神戸の過去。焼け跡の孤児から、二本柳寛に拾い上げられたこと。過去がコンプレックスとなり錠のキャラに陰影を与えているという設定はシリーズには観られないものである。

 またチャコの愛称で親しまれたセクシー女優、筑波久子も重要な役どころ。筑波は本作の後、しばらくして女優を辞め、アメリカ留学。ハリウッドのプロデューサーとして『ピラニア』(1978年)のジョー・ダンテや、『殺人魚フライングキラー』(1982年)のジェームズ・キャメロンを見出すことになる。

 『海から来た流れ者』は、二作目以降の陽性なイメージはまだなく、フィルムノワールの雰囲気が全編を漂う。セットのローキーな照明。暗い部屋で錠が筑波に電話をかけるシーンのコントラスト。暗黒街映画の匂いがする。ルリ子の慕情、旭の超人的な活躍、強烈なインパクトの錠。シリーズに不可欠な要素が満載ながら、趣が少し異なる。

 ヒロインに正体を明かした野村浩次が、彼女を馬に乗せて一緒に山を降りていくラストもまた異色。ルリ子は旭を見送らないのである。むしろ旭がルリ子を送るのである。ともあれ、本作からスタートした「流れ者」シリーズは、『風に逆らう流れ者』(1961年)まで5作作られ、「渡り鳥」シリーズとともにマイトガイ・アキラの無国籍アクションのイメージを醸成していく。

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