『渡り鳥いつ帰る』(1955年・久松静児)
昭和30(1955)年6月21日封切り。劇作家の久保田万太郎が、永井荷風の「にぎりめし」「春情鳩の街」「渡り鳥いつかへる」を構成して八住利雄がシナリオ化。監督は『警察日記』の久松静児。『夫婦善哉』の直前に公開された森繁ビッグバンの年の文芸作。製作は東京映画。タイトルバック、隅田川の光景から始まる。宝塚出身の久慈あさみ、松竹の淡路恵子、桂木洋子、高峰秀子、水戸光子、田中絹代と、当時の日本映画女優総動員。
墨田区の「玉の井」から1キロほどに造られた赤線地帯「鳩の街」が舞台である。東京大空襲で玉の井から焼け出された遊郭の経営者が、集まって作った新興地域で、敗戦直後「女の防波堤」として米兵相手の慰安施設となる。その後、昭和21年に、日本人相手の特殊飲食街=赤線となった。
溝口健二の『赤線地帯』(1956年)、谷口千吉の『赤線基地』(1953年)などと同様、赤線で働く、様々な女性のエピソードを綴った風俗作品。夫を亡くし、子供を抱えて生活のために働く・民江(久慈)、男に騙され胸を患う薄幸の種子(桂木)、ドライな栄子(淡路)たち、それぞれの赤線での日常。「鳩の街」の「藤村」の女将・おしげ(田中絹代)は、戦争で妻と娘を失った吉田伝吉(森繁久彌)を店の主人としている。
森繁は、戦時中、深川で洗濯屋をやっていたが、空襲で焼け出されてしまう。今は、おしげの庇護のもとで戦後を生きている。空襲の当日、玉の井のおしげの元にいたが、大空襲で小学3年の娘を失ったことが忘れられない様子。戦後10年、誰にもあの大空襲の地獄が重くのしかかっている。
ところが伝吉の妻・千代子(水戸光子)は、娘とともに、なんとか生き延びていた。大空襲の夜、千代子は佐藤由造(織田政雄)と荒川で出会い、敗戦後に再会。このシーンがいい。水戸光子と織田政雄が、ともに弁当を使うが、その時に男やもめの由造が「まさか自分が豆を煮るとは思わなかった」と、煮豆を千代子に分ける吉造。遊郭通いのかつての亭主・伝吉とは、全くタイプの違う由造に、千代子は惹かれていく。
それから七年、二人は相思相愛になるが、伝吉は千代子と復縁したいので、二人の再婚を認めない。戦前の暮らしに戻りたい伝吉と、全てをリセットして再生したい千代子。さらに、おしげは、伝吉の本心を知っているだけに、ギスギスしている。森繁さんに「今夜、ゆっくりいじめてやるよ」という田中絹代さん。なかなかの迫力。優柔不断な森繁さんと、堅実な織田政雄さん。この二人の対比が、戦前を引き摺りダメになっていく男と、戦後復興とともに生活を築いていく男の子。あの頃の庶民の象徴でもある。
戦後七年、ようやく人々の暮らしが落ち着いてきたものの、戦争で傷ついた心は癒えることがない。
栄子は何か嫌なことがあると、素っ裸になって水をかぶる。それでさっぱり、嫌なことを忘れようとする。唯一、エネルギッシュなキャラクターである。淡路恵子さんは、本作を機に松竹から東京映画へ活躍の場を移していくが、森繁さんを「もっと猟奇的なことをしたい」と誘惑するシーンの色香は、まるでイタリア映画の女優のよう。こうしたヴァンプ的な魅力が次第に洗練されて「社長シリーズ」のマダム役へとなっていく。
撮影された昭和三十年の東京風景も活写さている。地下鉄銀座線の吾妻橋側の出口、松屋浅草デパート。隅田川界隈の風景、貴重な時代の記録でもある。寺島町のバス停から、上野広小路行きのバスに乗る伝吉と栄子。胸を患った民江は、母・まさ(浦辺粂子)と娘・照子(二木てるみ)と亀有の実家で寝込む。伝吉が千代子と偶然、再会するのは駒形どぜう。そして荒川にかかる葛西橋・・・
「鳩の街」に身を沈めて、胸を患い、身を持ち崩していく種子と、対照的なのが、かつて娼婦で、今は流しの演歌師の仲間となっている鈴代(岡田茉莉子)。この二人が運命の悪戯で翻弄されていく。
中盤、栄子と入れ替わるように、北海道から出てきた街子(高峰秀子)のは、栄子とはまた違うドライな現代娘。店に入った当日、かあさんに「何か食べるものは?」とねだり「なんだせんべいか」とタバコを手にボリボリ齧る。万事この調子。
後半、「鳩の街」に流れる流しの伴奏は、美空ひばりさんのヒット曲「悲しき口笛」。伝吉が自棄酒をあおりながら歌う、並木路子さんの「リンゴの歌」は、歌詞が滅茶苦茶だが、それがいっそう侘しさを誘う。中村是好、藤原釜足、ベテランたちが演じる赤線の客たちは、出番は少ないが、深い印象を残す。
東宝映画で三枚目やコメディ・リリーフが多い加藤春哉さんが、演じた時計工・寺田は、栄子に肩入れするあまりに、会社の時計を盗み出し抜き差しならなくなる。男に捨てられ、胸を患い、自棄になった種子と心中を決意する・・・。
この映画の森繁さんを見ていると、遅れてきた映画ファンとしては、森崎東監督の「喜劇 男は女のふるさとョ」(1971年・松竹)に始まる「新宿芸能社」シリーズの、ストリップの周旋屋の「とうさん」の若き日の姿と、つい思いだす。1970年代の猥雑なエネルギーに満ちた「新宿芸能社」シリーズとは違い『渡り鳥いつまた帰る』には、何ともやるせない、厭世的なムードが漂う。
この厭世的な気分が、物語が進むにつれ、登場人物たちの「希望」を閉ざしていく。中盤、伝吉が「藤村」の店先の鳥籠を覗くとメジロが一羽死んでいる。この街から出られない「籠の鳥」の死を暗示している。誰もが幸福になれない。娼婦でなくとも、誰もが厳しい現実から「足抜き」したいのにそれができない。立ち直りたいのに泥沼から這い出せない。「希望」が「絶望」となる。それぞれが迎える結末は、あまりにも哀しい。
久松静児監督はこの年、日活の『警察日記』(1955年2月3日)で森繁さんと組んで、お互いのキャリアのエポックとなった。大映出身の久松監督は、岸恵子、香川京子の『母の初恋』(1954年)以来の東京映画作品。この頃は日活と契約しており、昭和31年の『女囚と共に』から東京映画の専属となり、その後、森繁さんと「駅前シリーズ」でコンビを組むこととなる。