『江見家の手帖』(1939年8月10日・東宝・矢倉茂雄)
「國民新聞連載」のユーモア作家・乾信一郎原作を、徳川夢声主演で映画化した大家族ドラマ『江見家の手帖』(1939年8月10日・東宝・矢倉茂雄)。昭和14年、日中戦争が激化し、庶民の暮らしも圧迫されつつあった頃だが、モダン東京のピカピカした風景が随所にインサートされ、時層探検映画としても楽しめる。原作が連載された「國民新聞」は、現在の「東京新聞」の前身にあたる。筆者の母校・泰明小学校のすぐ近く、外濠川にかかる山下橋のたもと、東京市京橋区銀座西7丁目2番にあった。
原作者・乾慎一郎は、1906(明治39)年、アメリカ・シアトル生まれ。リベラルな両親のもと、幼少期を熊本で過ごす。得意の英語を活かして、青山学院大学在学中、雑誌「新青年」の翻訳を手がけ、1930(昭和5)年、大学卒業後、博文館に入社。「新青年」に探偵小説を執筆、「講談雑誌」編集長(1935年)、「新青年」編集長(1937年)となる。その後、フリーとなり「新版ユーモア全集・倅太平記」(1938年)などを発表。この「江見家の手帖」は、國民新聞連載小説で、1940(昭和15)年代々木書房から「ユーモア文庫」として出版された。
江見家の父・安太郎(徳川夢声)は、勤続29年、役所を勤め上げて引退。妻・かつ子(英百合子)と、晴耕雨読、悠々自適の暮らしをしようと、世田谷区成城の一軒家を購入。トマトなどを栽培してセカンドライフ(という言葉はないが)を楽しむことにした。ある日、それぞれ社会人として自立している、江見家の子供たちに速達が送られてきた。「明日の日曜午後一時半迄に、左記新居へご来訪乞う」との葉書である。
渋谷区桜ヶ丘の借家に住む、銀行員の長男・京一(原聖四郎)、いつまでも親の脛をかじっている浪費家のサラリーマンの次男・篤二郎(三木利夫)、銀座の靴会社に就職したばかりのフレッシュマンの三男・英三(佐伯秀男)、そして、人は良いが頼りないサラリーマンの夫・半田(大川平八郎)と結婚した長女・かつみ(堤眞佐子)たちが、成城へ集まる。
今でこそ高級住宅街のイメージがある成城だが、この頃は都心から遠く離れた郊外。駅からのアクセスも悪く、雨が降るとぬかるんで、不便この上ない。そのあたりの描写が、生々しいというか、リアルなのは、東宝撮影所のすぐ近くだからでもある。映画人たちは、このあたりの土地を、撮影所に近いからということで、安く購入していた。なので、家族が集まって食事というときに、店屋物を頼むのも、一軒だけある寿司屋となる。しかも江見家には電話がなく、少し行った先の「電話のある家」で電話を借りて、出前を頼む。いずれにせよ土砂降りなので、大変である。
この土砂降りは、ラストの晴れやかさへの伏線で「雨降って地固まる」という意味。江見家の兄妹たち、それぞれ抱えている問題が、この父親宅来訪までに、匂わされていく。しかも、父・安太郎は、そうした問題をすぐに「親頼み」で解決しようとする、子供たちに、予防線を張る意味もあって、わざわざアクセスの悪い郊外に転居。自宅を「無憂荘」と命名して、隠居を決め込んだ。しかも、それぞれの独立自尊のために「親を一切頼るな」と宣言するために、子供たちを集めたのだ。
さて、江見家の子供たちは、それぞれ問題を抱えているが、なんとか自分たちで解決しようとして、事態はどんどんややこしくなっていく。
長男・京一は、まだ幼い息子がいるが、妻・ふみ(三條利喜江)が第二子を妊娠、この6月に生まれることに。国策に協力する銀行マンとしての誇りを持っているが、友人・加藤健太郎(藤輪欣司)から「人造ゴム会社」を一緒にやらないかと誘われている。昭和14年ごろ、国策協力の名の下に、こうしたインチキ投資話が横行していたことがわかる。
次男・篤二郎は、この日も、同僚の森(深見泰三)としこたま飲んでしまい、二人ともオケラで、どうしても二十円が必要。しかも徹夜したので父からのハガキを受け取っていない。金がないまま、八方塞がりとなり、長男の自宅、三男の寮、長女の家を訪ねるも誰もいない。仕方なく父母の借家に行くも「転居先 成城町二丁目二二二」とあり、借金しにやってきたのである。
三男・英三は、大学を出たばかりのスポーツマン。月給は安いが、将来有望の靴会社・置田商会に就職。ところが社命で、新入社員は社長・置田文蔵(生方賢一郎)宅に「宿直」と称して通い、置田夫人・あや子(河田文子)やわがまま令嬢・道子(江波和子)の相手をさせられる。それが面白くない。江波和子は、洋風の美人で、深窓の令嬢なのだが、浪費癖もあり、わがまま娘の典型。
長女・かつみは、材木会社に勤めるサラリーマン・半田と結婚したものの、そのサラリーが安く、夫の実家から毎月30円の補助を貰っている。それが嫌でたまらない。そんな補助を返上して、職業婦人になろうと、銀座の洋裁店に勤めることにするが、見栄っ張りの半田は、それが面白くない。なので始終夫婦喧嘩をしている。
さて、そのかつみが就職した銀座の洋裁店のマダム(伊達里子)は面倒見がよく、最近、父が亡くなり居酒屋を閉めたものの借金が多くて困っている、紫垣まり子(梅園龍子)も店で面倒見ている。かつみは、まり子と意気投合する。しかも、まり子は、次男・篤二郎の恋人で、二人は結婚を考えているが、まり子の父が残した税金五百円を払わないと、近々、家が差し押さえになることに。
篤二郎は、まり子の窮状を救いたくて、英一や父・安二郎に相談するも、断られ、そんな結婚はよくないと反対されて、またもや八歩塞がりとなる。この頃のP.C.L.映画や東宝映画に、よく出演していた三木利夫だが、本作の篤二郎役は、なかなか味のあるキャラクター。チャランポランなのだけど、まり子を救うためには、なりふり構わない。
彼らが勤めているのは銀座を中心とした都心。なのでロケーションで、当時の銀座が楽しめる。京一が、給料日に、家族のためにごっそり買い物をするシーンでは、レコード店「銀座十字屋」の店先が活写される。昼休み、英一が銀座を歩いていると、友人の加藤健太郎に声をかけられ「人造ゴム会社」設立への投資を頼まれる。
その一連のシーンで、バックに流れる音楽はユダヤ人のジャズ・ソング「素敵なあなた」。音楽担当は、谷口又士。PCL管弦楽団の演奏が抜群にかっこいい。数寄屋橋のマツダビルディングから撮った、銀座の外景ショットには、邦楽座の丸みを帯び建物、外濠川にかかる数寄屋橋、新有楽橋、そしてカメラがパンをすると、銀座のビルが晴れがましく、服部時計店の時計塔に翩翻とHの旗が翻っている。
英三が、わがまま令嬢・道子のお供で銀座へ買い物に付き合わされるシーン。麹町区下二番町にある置田邸から、円タクで行こうとする道子に「もったいない。バスで行きましょう」と無理矢理「東京環状乗合自動車」バスに乗せる。江波杏子の母でもある江波和子は美しく、当時の日本人離れをした洋風美人。そのツンデレぶりがなかなか魅力的。そのバスが晴海通り、銀座四丁目に差し掛かる車窓カメラ!左手には服部時計店、奥には日劇のデコレーションケーキのような建物が見える。
道子と英三が、カフェでお茶を飲むシーン。「ここの支払いは割り勘」とケチな道子に「雇い人が払うのが当然」「だけど男の人が払うもの」と口論。ラブコメ的なやり取りがおかしい。その後、英三は置田商店に立ち寄り、社長とゴム長の素材について論議。社長から「人造ゴムを使いたいが、この会社を調べて欲しい」と、加藤健太郎のゴム会社のリサーチを頼まれる。その間、道子は銀座松屋デパートでお買い物、もちろん父のツケで。屋上で金魚に目を留める道子。この頃から、デパートの屋上では「生き物」を売っていたのだ! この屋上、ちょうど「ウルトラセブン」第9話「アンドロイド0指令」(1967年)で、ウルトラセブンが、チブル星人と対峙するシーンに登場する。松屋にも歴史あり。銀座にも歴史あり、である。
また、洋裁店のお針子となった、長女・かつみが、マダムのお使いで電球を買いに行くのが、銀座五丁目・数寄屋橋のマツダビルディング。1932(昭和7)年竣工、設計は佐藤功一。8階には横浜のホテルニューグランド直営のレストラン「ニューグランド」があり、古川ロッパ昭和日記には、日劇や有楽座への出演時に、ここで連日食事をしていたことが記されている。マツダビルは戦時中、英語の名称は相応しくないと東芝ビルと改称され、戦後は数寄屋橋阪急が入っていた。『社長外遊記』(1963年・東宝・松林宗恵)での森繁社長の会社「丸急デパート」はここでロケをした。(現在では立て替えられて東急プラザに)
そのマツダビルディングの外景ショットや、階上から撮影した銀座の街並みショットは、東宝映画ではお馴染みだが、マツダランプ・ショールームでのロケーションは、珍しい。僕は初めて店内を見ることができた。その店内からは、晴海通りを挟んで向かいの朝日新聞社の建物が見える。この建物は1927(昭和2)年、数寄屋橋河畔に建設された。設計は石本喜久治。
かつみが買い物を終えると、外でまり子が手を振っている。かつみがビルを出るショットで「マツダランプ銀座賣店」の看板が映る。モダンガールらしいファッショナブルな二人。「安かったから、少し分けるわね」と袋の中を見せるまり子。転がり出すのはナス! 元居酒屋の娘と、安サラリーマンの女房。笑い合う二人。いいシーンである。
さて、かつみの夫・半田は、うだつが上がらないサラリーマン生活に見切りをつけて、加藤健太郎の「人造ゴム会社」に投資、役員として迎え入れられる。退職金も入って、かつみに「洋裁店をやめろ」と鼻息が荒い。そこへ、まり子のためにどうしても五百円が必要な篤二郎が訪ねてくる。兄・英一や父に断られて八方塞がりの篤二郎のために、気持ちが大きくなっていた半田は、五百円をポンと出す。
しかし、この「人造ゴム会社」。英三のリサーチでは、出資を募っているだけで、工場もまだ建設されていないので、怪しい会社との結論に。置田商店では取引しないことに。しかし、時すでに遅し。「人造ゴム会社」は倒産、半田は失業して、夫婦は離婚の危機に。また英三には、置田道子との縁談が持ち上がり、養子にどうか?という話になる。
江見家の子供たち、それぞれピンチとなる。渋谷区桜ヶ丘の京一宅に、半田、篤二郎、英三、かつみがそれぞれやってくる。そこへ、収穫したばかりのトマトを持って父・安太郎が現れて、再び家族会議と相成るが…
原作の面白さを、コンパクトにまとめた萩原耐の脚本がいい。矢倉茂雄の演出は可もなく不可もなくだが、カットつなぎが多いので、時間経過や場所移動が時々わからなくなる。と思ったら、変なところでオーバーラップや、フェードアウトがある。おかしいのは、深見泰三が演じた、篤二郎の同僚・森君。ヌボーっとしていて、とぼけている感じが、戦後小林桂樹が演じたサラリーマンみたい。どうしても五百円が必要で困り果てた篤二郎のアパートを訪ねてきた森君、事情を聞いてカバンから「金は、ないようでいて、あるところにはあるんだ」とポンとお金を出す。篤二郎、大感激するが、それは夢だったというオチ。矢倉演出がカットつなぎなので、夢オチであることに気づくのが遅くなるが、深見泰三がなかなかいい。
というわけで、最後の最後は、徳川夢声の安太郎が、子供たちの前で、自分の考えの不明を詫び、これからは事態が大きくなる前に、相談しなさいということになる。こうしたモダンな東宝喜劇は、次第に時局迎合色が強くなっていくが、この『江見家の手帖』には、まだリベラルな空気、戦前のおっとりとした東京の人々の暮らしが描かれていく。戦後の「サザエさん」シリーズのような大家族映画のルーツとしても楽しめる。