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わたし、寅さん好きよ〜『男はつらいよ 噂の寅次郎』(1978年12月27日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年9月1日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第二十二作『男はつらいよ 噂の寅次郎』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)


 寅さんは惚れっぽいです。年がら年中、恋をしている印象があります。しかし、意中の女性を二人きりになると、どぎまぎしたり、ソワソワしたり、相手を意識し過ぎて、落ち着かないことこの上ありません。その一方で「好きだ」という感情を押し殺して、相手に気取られないようにすることが身に付いているのも寅さんです。「好きだけど、その気持ちは胸に秘めておく」のが、寅さんの粋でもあります。

 とくに相手が人妻の場合、惚れてはいけない、という気持ちのセーブがかかります。いや、セーブをかけようと努力はします。第六作『純情篇』で、若尾文子さん扮する、別居中の人妻・夕子に恋をしたとき、さくらに「お兄ちゃんとは関係ない人よ」と諭されます。寅さんは「いや頭のほうじゃ分っているけどね。気持ちのほうが、そうついてきちゃくれないんだよ」と答えます。「わかっちゃいるけど…」寅さんにとっては、人生の大命題でもあります。

 さて、大原麗子さんが、離婚問題に悩む美貌の人妻・早苗を演じた、第二十二作『噂の寅次郎』でも、その問題に直面しますが、あまりの早苗の美しさに、寅さんが煩悶とするのも、無理はありません。

 とらやの店員として職安の紹介でやってきた早苗。ある日の昼すぎ、おいちゃんとおばちゃんは外出中。遅く起きてきた寅さんは、家に早苗しかいないことを知って、例によって意識過剰でドギマギ、嬉しいような、苦しいような、複雑な心境で、早苗との二人きりの時間を過ごします。

 他愛のない会話から、早苗が人妻であることを知り、少しがっかりする寅さん。でも、別居中であることを聞いて、笑みがこぼれてきます。寅さんにとっては、光明でもあります。しかし、彼女にとって家庭円満が第一であることも、寅さんはわかっています。

 だから、あからさまに喜んではいけない。嬉しいけど、不謹慎だ。寅さんのなかの葛藤が、この時の表情からみてとれます。というより、渥美清さんの抜群の間と、絶妙の表情で、その複雑な気持ちが、このシーンの笑いになっていくのですが、これぞ「男はつらいよ」の醍醐味! でもあります。

 しかし早苗は夫との関係修復を「努力したんだけどね…やっぱり、だめね」と、本音をもらします。その時、寅さんの顔がパッと明るくなり「だめかもね」と途端に元気になります。

 ここで山本直純さんの軽快な「寅のテーマ」が入ります。この作品の最高の見せ場の一つで、何度観ても面白いハイライトです。元気よく店先に出た寅さん、全身で喜びを表現するかのように、晴れやかな顔で「おダンゴ、おいしいよ」と参道を行く人に声をかけます。

 このシーンは、最高の喜劇的状況であると同時に、寅さんのマドンナへの気持ちがストレートに伝わる名場面ですが、ここまで「寅さんの想い」が表現された場面は、シリーズでも珍しいです。

 初期のエネルギッシュな作品での寅さんは「愚かしきことの数々」として、マドンナに惚れるも、まったく異性として意識されることなく、見事にフラれるのがパターンでした。しかし『噂の寅次郎』の寅さんは、大井川の蓬莱橋で旅の雲水(大滝秀治)から「女難の相」があると指摘されたように、結構、女性にモテるのです。

 柴又の人々との出会い、寅さんとの日々が、早苗の毎日を明るくします。茶の間でも「明るい話題」はないか、という話になって、早苗は、「はい」と手を挙げ「あのね、私の人生で寅さんに会ったということ」と、可愛らしく話をします。もちろん寅さんはドギマギして「ぼくはどっちかっていうと暗い人間だと思っていたし」と、受け答えをします。

 ここでタコ社長が「楽しいねえ、本当に楽しいよ」と笑いながら言いますが、本当に『噂の寅次郎』は、こうした「多幸感」に満ちた楽しい作品です。大原麗子さんの美しさ、可愛らしさを捉えた高羽哲夫さんのキャメラ。「萌え」という言葉がまだ、今のような言い方ではなかった時代、お弁当を隠しながら「みないで」という早苗さんの可愛さを描く、山田監督の演出は、まさしく「萌え」という感じです。寅さんと一緒に、早苗の美しさを堪能することができます。

 楽しい宴のあと、早苗は帰り際、寅さんに、こう言います。

 「あの、今日は本当にありがとう。わたし、寅さん好きよ」

 素直な気持ちを言葉にした早苗。寅さんにとっては、まさに天にも昇る想いです。離婚をしてブルーになっていた早苗が寅さんと家族の温かさで幸福な気持ちになり、早苗から「好きよ」と告げられた寅さんの幸福な気持ちが、観客であるわれわれに伝播して、この瞬間の「幸福な気分」を共有することができるのです。

 タコ社長の「楽しいねえ、本当に楽しいよ」という言葉に、『噂の寅次郎』の魅力が集約されていると、ぼくは思うのです。


この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。






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