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『思ひつき夫人』(1939年5月1日・東宝映画京都撮影所・斎藤寅次郎)

 漫画家、挿絵画家の平井房人が大阪朝日新聞ホームセクションに連載した「家庭報国 思ひつき夫人」は、日中戦争激化のなか、銃後の国民を引き締める意味で始まった「報国は家庭から」をコンセプトにした家庭漫画。単行本は昭和13(1938)年に大阪朝日新聞から刊行されて、大ヒットした。

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 この年3月には、岸井明の時局ソング「代用品時代」(作詞・上山雅輔 作曲・鈴木静一)がリリースされていた。この『思ひつき夫人』(1939年5月1日・東宝映画京都撮影所・斎藤寅次郎)は、漫画「家庭報国 思ひつき夫人」の映画化。菊田一夫が劇化、小国英雄が脚色した「国策喜劇」であるが、まだ時代がおっとりしていた昭和14(1939)年、斎藤寅次郎監督のナンセンス、脱線ぶりが見事である。

 東宝マークが明けて(おそらく)平井房人の手が白い紙に、キャラクターを描く。思ひつき夫人の漫画が完成したところでアニメーションとなり動き出して微笑む。そこで「平井房人 思ひつき夫人 大阪朝日新聞ホームセクション連載」とトップタイトルとなる。これは麻生豊の人気漫画の映画化で、P .C. L.映画初期に作られた『只野凡児 人生勉強』(1934年)と同じ手法。戦後の江利チエミ主演「サザエさん」シリーズへと続く、東宝の漫画映画化ジャンルでもあるのだ。

 ところが、メインのはずの思ひつき夫人(竹久千恵子)一家の「家庭報国」パートが途中から姿を消して、サイド・ストーリーだったはずの花菱アチャコ、岸井明、清川虹子たちのナンセンスな「アチャラカ喜劇」がメインに変わっていくのが素晴らしい! 

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 「思ひつき夫人」こと松山つる子(竹久千恵子)は、さまざまな思いつきで、家庭生活のムダをなくして銃後の家庭のあるべき姿を実践している模範的主婦。その夫・亀五郎(山野一郎)は勤勉実直な勤め人、可愛い盛りの娘・モクちゃん(竹内洋子)と、亀五郎の妹で適齢期のよし子(戸川弓子)と暮らしている。

 その松山家のお手伝いさん・おさと(霧立のぼる)は、牛乳配達・三吉(岸井明)と相思相愛。しかし八百屋を営む、おさとの母・おかん(清川虹子)は二人の結婚に猛反対。入婿で恐妻家の父・留吉(花菱アチャコ)は二人を添い遂げさせようとあの手この手。それが壮大な夫婦喧嘩に発展していく。

 という二つの家庭の物語を同時進行で描いていくはずなのに、途中からアチャコ一家の無茶苦茶な喜劇になっていく爽快さ! 清川虹子の“おかん”は、思ひつき夫人に憧れて、見様見真似で「思ひつき」の数々を実践するが、それがおかしい。代用品時代に相応しいからと、子供の紺絣の着物を、亭主・留の背広に仕立てて、無理やり着せる。「こんな派手なものを」と涙目のアチャコが右往左往。しかも入婿の亭主に対する虐待は、のちの古谷三敏のマンガ「ダメおやじ」を先取りしたかのような無茶苦茶さ。

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 劇中、松山つる子著「思ひつき夫人」がベストセラーとなり、「思ひつき夫人 発表会」が開催され、つる子の講演会が行われる。そこで披露されるのがタイアップソング、鶯芸者歌手・浅草市丸が歌う「思ひつき夫人」(作詞・佐伯孝夫 作曲・山田栄一)! 家庭の主婦の報国講演会に、芸者歌手が出てきてアトラクションをする。普段は「主婦の敵」の芸者さんなのに! このあたり、国策に対して、誰もあまり「本気ではない」という感じがする。

J54530「思ひつき夫人」の唄・市丸 歌詞

 主題歌としてビクターからこの年の5月にレコードがリリースされている。

「思ひつき夫人の唄」市丸(作詞・平井房人 作曲・山田栄一)
「素敵な思いつき」歌上艶子(作詞・平井房人 作曲・山田栄一)

カップリングの「素敵な思いつき」は劇中には登場しない。

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 ことほど左様に、斎藤寅次郎監督は「国策」よりも「ナンセンス」に重点を置いている。その戯作精神が楽しめる。戦後、映画不足の時に、このフィルムを再編集して『アチャコ青春日記』と改題して短縮版が作られたが、「思ひつき夫人」のパートをほとんどカットしていた。それでも映画が成立してしまうのがすごい。

 また、エンタツ・アチャコ解散後に、相方となった千歳家今男が、「留さんの親友」ということで中盤(本筋とはあまり関係なく)登場して、二人で居酒屋での会話がそのまま漫才となる。それが延々と展開される。今となっては「アチャコ・今男」の漫才の貴重な記録となっている。

思ひつき夫人・松山つる子(竹久千恵子)
松山亀五郎(山野一郎)
妹・よし子(戸川弓子)
娘・モクちゃん(竹内洋子)

牛乳配達・三吉(岸井明)
八百屋の留さん(花菱アチャコ)
女房・おかん(清川虹子)
娘・おさと(霧立のぼる)
留さんの親友(千歳家今男) 

よし子の恋人(須田準太)

ビクター専属 市丸

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 アトラクションも色々用意されている。松山よし子(戸川弓子)が、義姉の思ひつき夫人に「洋服屋に行く」と嘘をついて、恋人(須田準太)が送ってきた「ハルピン交響楽団」の演奏会に出かける。セルゲイ・シュワイコフスキー指揮による演奏会のステージには、日本国旗と満州国旗が晴れがましく掲げられている。そこへ思ひつき夫人が「家庭が望まぬ交際」をチェックするために、客席へやってくる。何の権限があって? 「義理の妹の不純異性交遊」を摘発するためなのか? その間、交響楽団の演奏をタップリと演奏を見せてくれる。で、そのアフターの喫茶店で、よし子と恋人が睦まじくしているところに夫人が現れて「望まぬ交際」についてお説教。「家庭に遊びにいらっしゃる健全な交際なら」と条件付きで彼氏をリリースする。ああ!

 そういうお堅い「貞操観」が、どの家庭にもあるのか、というとそうでもない。実質的な主役の牛乳配達の三吉(岸井明)とお手伝いさん・おさと(霧立のぼる)は全編を通してラブラブの歌あり、ランデブーあり、父・アチャコも公認のお付き合いだが、なんと途中で妊娠が判明して、結婚前なのに、とこっちがドキドキするほど。でも、アチャコは妻・清川虹子に言っても取り付く島もないと、二人を駆け落ちさせて、いざという時に便利だからと「助産婦」の家の二階の部屋を見つけてくる。

 この辺りは寅次郎喜劇らしいが、ハルピン交響楽団を「家族に嘘をついて」観にいっただけで、「こんな、保護者に嘘をついて出ていくようなご交際は、以後私の方からきっぱり、お断りしますわ」という思ひつき夫人に比べたら、アチャコのお父ちゃんは粋だなぁと。で、この時代のモラルはどうなんだ?などと考えてしまう。

 その岸井明と霧立のぼるだが、ある日曜日、松山家が家族総出で「宝塚の遊園地」に遊びに行って留守の時に、アチャコが留守番するからと、粋な計らいで、娘・霧立のぼると岸井明をランデブーさせる。二人が観に行くのは「朝鮮楽劇団」の公演。『唄の世の中』(1936年)にも出演した人気楽劇団のライブを延々と見せてくれる。おかしいのは、客席の前方で、観ていた岸井明があまりにも大きいので、後ろのお客さんからクレームがついて、次々と譲っているうちに、ついに、最後列の立見席へ、追いやられてしまう。前方座席の霧立のぼるとは離れ離れになってしまう。この「行き別れ」ギャグは寅次郎お得意の笑いだが、舞台の「朝鮮楽劇団」のパフォーマンスと何ら関係ないのもすごい。

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で結局、この日曜日のランデブーが、思ひつき夫人の知るところとなり、夫人は「監督不行き届き」を反省しつつ、おさとに暇を出すこととなる。なんとこのシーンの後、講演会の壇上での演説以降、主役である筈の「思ひつき夫人」も松山家の描写も一切なくなり、クライマックスの再登場まで、竹久千恵子の存在を、映画も、観客もすっかり忘れてしまう(笑)

 ミュージカル・コメディとしても楽しく、岸井明の歌が次々と登場する。冒頭、朝、八百屋、魚屋、洗濯屋の小僧たちが次々と歌いながら、御用聞きに向かう。最後に登場するのが、牛乳屋の三吉(岸井明)

(八百屋)
♪ネギに 大根に おじゃがに にんじん

(魚屋)
♪たいさばひらめに たこまぐろ

(洗濯屋)
♪シャツに靴下 シャッポも洗う

(米屋)
♪今年ゃ豊年 お米が安い

(三吉)
♪ぼくの牛乳は 特別安い

 こうしていつもの朝が始まる。松山家のお勝手口へ、牛乳屋三吉が現わるが、恋人・おさと(霧立のぼる)は、三吉が浮気をしているのではないかと疑って、ご機嫌ななめ。そこで三吉、おさとを外へ連れ出して歌うは、岸井明と平井英子のヒット曲「タバコやの娘」(作詞・園ひさし 作曲・鈴木静一)の替え歌。これがまた楽しい。

(岸井明)
♪ぼくはしがない 牛乳屋 
だけども 嘘はつきません

(霧立のぼる)
♪嘘もぼうずも へちまもないわ
この浮気者!

(岸井明)
♪泣いて睨まず お聞かせよ
どうすりゃ いいんだ?

(霧立のぼる)
♪他所へ 配達しないで
これから ウチへだけ

(岸井明)
♪お宅ばかりで 商売を
やってるわけでは ありません

♪だって だって
ダメだよ そんなこと言ったって
心配なのよ
はやく一緒に暮らせたら
嬉しいものを

だから 汗水流して
配達してるのさ

 岸井明ののほほんとした歌声が楽しい。宝塚歌劇団出身の霧立のぼるは、鼻筋が通った美人で歌声もチャーミング。こんな美人がなぜ、巨漢の牛乳配達に惚れているのか? これが娯楽映画の楽しさでもあり、岸井明のスター性を高めてくれるのがいい。映画は二人の交際の障壁となる、母・おかん(清川虹子)の暴走と、何とか娘の幸せをという、気弱なアチャコのバトルになっていく。その間も「ロミオとジュリエット」よろしく、岸井明と霧立のぼるの「愛のデュエット」が重ねられていく。

結婚して、牛を飼って、乳を絞って牛乳を売って、暮らしていこう。と夢を語り合うシーンの歌である。

♪(岸井)ゆうべ どこまで 話したかしら
♪(霧立)牛を一匹 飼うまでよ
♪(岸井)白がいいかい それとも黒か
♪(霧立)できれば白黒 まだら牛
♪(岸井)そこでお前は 牛乳しぼり
♪(霧立)こわいけれども やりますわ
♪(岸井)ぼくはやっぱり 配達まわり
♪(霧立)あちらこちらで モテる気ね
    なんで焼きましょ あなたのため
    思やこうして 注意する
♪(岸井) すごい内助の 効果があって
    牛も貯金も また増える

 いいムードのところへ、清川虹子現れて「この泥棒ネコ!うちの大事な娘にモーションなぞ、かけやがって!」と怒鳴り散らす。この時代、モーションという言葉、もう使っていたのだなと。とにかく清川虹子が猛反対、入婿のアチャコは一計を案じて、おさとが懐妊していると知って、産婆の二階を借りてやる。結局、アチャコも女房に追い出されて、娘の新世帯に転がりこむことに。その夕食のシーンで、また岸井明と霧立のぼるのデュエットとなる。

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♪(岸井)ぼくの目方は 42貫
なりに不足がない その上に
とても細かく 気が届く
牛乳持つ手に 渋うちわ

♪(霧立)魚焼くなら あたしのように
いつもコンガリ ちょいときつね色

♪(二人)焼くも焼かぬも いまのうち
坊やにもうじき 笑われる

♪(岸井)産めよ増やせよ 優良児童
♪(霧立)子供お国の 尊い宝
♪(二人)ここが気前の 見せどころ
♪(岸井)国策線に 沿って産め

 その間、アチャコは身を捩らせ、手踊りをしたり、二人の惚気に調子を合わせている。しかし食事は大食漢の岸井明が10杯も食べるので、お櫃は空っぽ。霧立のぼるは少食だけど、アチャコは腹が減ってしょうがない。「お父さん遠慮なく」と二人に勧められても、食べるものはなかりけり。このあたりも寅次郎喜劇得意の「空腹の笑い」が展開される。結局アチャコは外で何か食べようと、立ち上がる。そこで、岸井明、出産費用のために二人で貯めていたお金をお父さんに預けます。と渡す。

 せっかく娘夫婦が貯めたお金をあでや疎かには使えないと、アチャコ。しっかり巾着に入れたお金を懐に、ところが巾着に穴が空いていて、中のお金を落としてしまう。で、そのお金を見つけて、天からの授かり物と勘違いして懐に入れて、これを使おうと飲み屋へ。

 そこでばったり再会するのが、久しぶりの旧友(千歳家今男)で、二人の会話が漫才となる。

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アチャコ「ごきげんさん、しばらくやったがな」
今男「相変わらず元気やな。どこ行っとったんや?」
アチャコ「ちょっと、この満州からな、上海の方へ」
今男「ほう、何をしに行ってたんや?」
アチャコ「軍人ですがな」
今男「君、軍人か?」
アチャコ「はいや、あはは」
今男「こら聞き始めやな」
アチャコ「ほんまに軍人や」
今男「陸軍か? 海軍か?」
アチャコ「そらもうどっちでもええのや、そらもうお前に任しとこ」

 とまあこんな調子でアチャコの武勇伝が語られていくが、最後は映画で観た話だった、というオチ。この二人の「時局漫才」は、現在のコンプライアンスでは文字の再録もためらうほどの内容で、この時代の庶民の日中戦争に対する感覚がよくわかる。

 結局、アチャコは若夫婦の出産費用を飲んでしまったことに気づいて、帰るに帰られず、今男の「高級ホテル」に一晩厄介になる。何のことはない、原っぱの土管の中で目が覚める二人。赤塚不二夫の「おそ松くん」より遥か昔、アチャコと今男は土管で眠っていたのだ!で、この時代の世知辛い世の中を感じさせるのが、次のシーン、なんとその「ホテル」の宿泊代を払えと、工事現場の監督らしき男が、棒切れを持って現れ、二人を威圧する。結局、その男のいうがまま、人夫としてヨイトマケとなるアチャコと今男。

 一方、助産婦の二階に間借りしている若夫婦。おさとが産気づいて、三吉、慌てて階下の産婆を呼びに行くと、なんと産婆さんが産気づいていて、出産することになり大騒ぎ。ああ、どうしよう、三吉はおさとの実家の八百屋に行くも、おかんは取り付く島もない。仕方なく、牛乳運搬車におさとを入れて受け入れ先の病院を探すことに、その途中、アチャコの工事現場の前を通りかかり、アチャコも合流。

 クライマックスは、病院での出産騒動となるが、ここから先の展開は、あまりにもあまりにもなので再録は控えておく。ここまでやるか!の寅次郎喜劇の展開に唖然とする。で、おさとの「松山の奥さんと、お母さんに会いたい」との願いを受けて、思ひつき夫人が病院へ病室の絵を外して、持参した聖母マリア様の肖像画に掛け替えるが、これもまた「素敵な思ひつき」である。で、結局、アチャコが「赤ちゃんの名付け親になってほしい」と思ひつき夫人に頼む。

 それを受けて、夫人が行ったのは、なんと場所中の国技館。あろうことか支度部屋で横綱に命名を頼む。最後は横綱の土俵入りを、客席から見つめる思ひつき夫人のアップでエンドマーク。

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 斎藤寅次郎喜劇としては、2年後の国策映画『子寶夫婦』(1941年)とは比べ物にならないほど「自由すぎるほど自由」「ナンセンスすぎるほどナンセンス」で、テーマの「思ひつき夫人」「倹約生活」「報国」がどこかへ行ってしまう展開に、頼もしさすら感じる。しかし、こうした「自由すぎる自由」が次第に失われていくことになる。それを考えると、やっぱり切なくなる。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。