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『夜の素顔』(1958年10月15日・大映・吉村公三郎)

吉村公三郎監督『夜の素顔』(1958年10月15日・大映)。京マチ子と若尾文子。二人とも壮絶な少女時代を生き抜いてきたヒロインが「世間を見返す」ために踊りの世界での成功を目指していく。というドロドロ、女闘美(精神的)アクション・ドラマ。脚本が新藤兼人なので、些細なシーンにも表面の美しさと内面の醜さを見事に入れ込んでいる。

トップシーンは、1944年。南方の最前線基地。守備隊の慰問にやってきた朱美(京マチ子)が、日舞を踊り、場面転換して「さらばラバウル」のレコードに合わせてセクシーに踊る。そこへ敵機来襲。築地米三郎の特撮、ミニチュアワークと合成、モブシーンとの編集も見事。その来襲のさなか、爆撃を受けながら京マチ子は隊長・若林(根上淳)と結ばれる。

これがなかなかパッションがあって、京マチ子にとっても忘れられない激情の瞬間となる。彼女は戦前、医学生・雨宮(菅原謙次)と結婚の約束までしていたが、学徒動員で戦地に赴く菅原は、彼女と別れる。

敗戦後、1947年。朱美は山口の疎開先から上京。セットで再現されら外濠川にかかる橋。二人のパンパン(市田ひろみ、南左斗子)がGIに声をかける。GIは面白がって、いきなり一人の娼婦を抱き抱えて、川へ放り投げる。ショッキングな描写。GIはそのまま立ち去る。

これは実際に1947年にあった事件。新聞記事では米兵による犯行と書くことができなかった。占領下を象徴する事件だった。朱美はその騒動を一瞥して、踊りの師匠・志乃(細川ちか子)の家に弟子入り志願。最初は断られるも、細川のパトロン・猪倉(柳永二郎)の情けで弟子となる。それから六年、朱美は志乃を盛り立てて、細川は一流の家元に。

とまあ、京マチ子の朱美が手段を選ばずにのし上がっていくさまを描いていくのだけど、とても魅力的なので眺めているだけでも、楽しい。やがて細川を裏切って、パトロンも奪って独立した朱美は、かつて情熱を燃やした根上淳の若林と再会。結婚をする。

師匠となった朱美に、No.2としてサポートするのが比佐子(若尾文子)。で、歴史は繰り返すわけだけど、朱美は十二歳の時に売り飛ばされて、女衒のような女将・網江(浪花千栄子)に食い物にされてきた。その網江が、朱美の成功を知って、ゆすりたかりにやってくる。そのあたりからヒロインの本音が見えてきて、グッと面白くなる。

で、吉村公三郎が上手いと思うのは、広島かどこかの山奥の宿で、京マチ子が地方公演で疲れてビールを飲んでいるところに、角付けのおばあさん・滝花久子が庭先からぬうと現るシーン。滝花はかつて、祇園で鳴らしていた芸妓。今は見窄らしいその日ぐらしの「角付け」となっている。そこで三味線で歌うのが「夜の素顔」

ここで朱美は、自分の美貌と肉体でここまでのしがってきたけども、侘しい末路が待っているのではいかと、不安になる。つまり溝口健二の『西鶴一代女』(1952年)のバリエーションでもある。

一方、若尾文子の比佐子と根上淳の若林は、観客の予想通り出来てしまい、京マチ子の猛烈な嫉妬。ここで二人のキャットファイトも用意されている。だけど、若尾文子も、名古屋で売春婦をしていた過去を隠していた。ここからの後半、朱美、比佐子の野心の顛末は・・・の展開もなかなか面白い。

夫・若林は妻への愛想を尽かして家を出ていき、自分で舞踊研究所を立ち上げる。若尾文子とは切れずに情を交わしている。一方、朱美は斬新な創作舞踊のリサイタルを開いてマスコミの寵児になろうと画策。金策に尽き果て、高利貸し・高梨(小川虎之助)からも「商売にならない」と断られる。しかし、若尾文子のアイデアで弟子、いや生徒たちに良い役を与えて、その親から寄付金を貰おうという算段で、前衛的なステージ開催まで漕ぎ着ける。

音楽はかつて情を交わしたことのある、気鋭の現代音楽家・成瀬(船越英二)。誠実だけど、インテリ特有のいやらしさもある。興味本位の新聞記者たち同様、1958年のマスコミ人たちがカリカチュアで描かれる。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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