『プーサン』(1953年4月15日・東宝・市川崑)
市川崑が横山泰三の漫画をコミカルかつシニカルに映画化した『プーサン』(1953年4月15日・東宝)。2025年1月22日に、東宝からようやく初DVD化される。これまではキネマ倶楽部のビデオ、日本映画専門チャンネルなどCS放映だけだったので、DVD化は本当にありがたい。藤本真澄の藤本プロに籍を置いていた市川崑が、大映京都に請われて演出した『あの手この手』(1952年12月23日)に続いて、『足にさわった女』(1952年11月6日)依頼の東宝作品。この時期の市川崑の戯作精神が良い意味で炸裂した代表作の一つ。
原作は、昭和25(1950)年7月から昭和28(1953)年12月29日まで、毎日新聞夕刊に連載された横山泰三の4コマ漫画。僕らの世代では、その後、週刊新潮で昭和40(1965)年9月から平成元(1989)年まで長期連載れていたので馴染み深い。新聞連載では、プーサンが毎回、様々な役柄に扮して、ニュースで報じられた様々な社会的な事件、出来事に巻き込まれるというという風刺漫画だった。
本作でも、そのテイストを受け継いで、紀元節礼賛から共産主義に瞬く間に転向する予備校生や、血のメーデー事件に巻き込まれる主人公の災難、戦後八年目の庶民の戦争アレルギー、警察予備隊による再軍備などなどを、随所にインサート。『結婚行進曲』(1951年)、『足にさわった女』、『あの手この手』などで、冴え渡るハイテンポ、ハイテンションの市川崑演出の集大成的なパワーに溢れている。
市川崑は、「プーサン」に横山泰三の「ミス・ガンコ」を加えて映画化を企画。戦前から東宝は『江戸っ子健ちゃん』(1937年・P.C.L.・岡田敬)や『ハナ子さん』(1943年・東宝・、マキノ正博)など漫画の映画化を伝統的にしてきたこともあり、文芸映画だけでなく漫画の映画化にも意欲的だった藤本真澄が快諾。補修校(予備校)教師・プーサンには、市川崑映画ではお馴染みの伊藤雄之助、ヒロインのミス・ガンコには宝塚のトップスターから映画女優、歌手に転身して東宝映画、演劇を牽引していた越路吹雪をキャスティング。伊藤雄之助の代表作であり、コメディエンヌとしての越路吹雪のパワフルな演技が楽しめる。
映画はこの二人を中心に、様々なキャラクターを個性的な俳優で配置。ミス・ガンコこと金森カンコ(越路吹雪)の父で、税務署勤めの風吉(藤原釜足)、自分と家族ことしか考えられない母・らん(三好栄子)。プーサンこと野呂米吉(伊藤雄之助)は金森家に下宿している。野呂は新大久保の補修校の数学教師、学校を取り仕切っているのが明らかにヤクザな土建屋風の男(加東大介)。そして、予備校の学生で何事にも計算高い・泡田(小泉博)と、静岡の貧農の息子で思想的に不安定な古橋(山本廉)。渋谷の交番のお人好しの警官(小林桂樹)といった面々が織りなす狂想曲は、遅れてきた世代に戦後八年目の庶民の混乱、暮らし、空気を体感させてくれる。
トップシーン。久しぶりに銀座に出た野呂米吉は、いきなりトラックに跳ねられて右手を負傷(といっても捻挫なのだけど)。新橋の病院には、目撃者=野次馬がワンサカ集まって、野呂を心配しているつもりで、好き勝手なことを言っている。中でもトニー谷の蒲鉾屋がおかしい。この年、トニー谷はジャズ・コンサートの司会者からコメディアンへとして時代の寵児となった。その勢いが感じされる。銀座育ちのトニー谷が、いかにも身上を潰しそうな蒲鉾屋の旦那として登場するのがおかしい。ここでクルマに撥ねられても、治療費は自分持ちの矛盾が描かれる。
新橋の病院の医師(谷晃)は、野呂に渋谷の病院を紹介する。その病院の看護師・織壁(八千草薫)が実にキュート。この頃は、まだ宝塚に在籍していて、歌劇団に新設された映画専科に所属していた。織壁さんは美人で、朗らかで、よく気がつくけど、完璧すぎて面白味がないと、シニカルに見ているのが、勤務医・手塚(木村功)。野呂も手塚も、小林桂樹の警官も、この映画に出てくる二十代後半から三十代の男たちは、いずれも戦争で酷い目に遭っている世代。それゆえ、それぞれの立場からの戦争批判がある。
一方、戦後派の若者として登場する小泉博と山本廉は、そうした体験がないので、理屈でイデオロギーを考えて議論する。山本廉扮する古橋は、最初は「紀元節」を肯定しているナショナリストだったのに、拝金主義でドライな小泉博の泡田と議論するうちに、あっという間に共産主義者になってしまう。このあたりも、この時代の若者風刺が効いている。若者といえば、東大の苦学生でテーベ(結核)を拗らせている平田昭彦のシーンも印象的。
また、戦時中、政治家として、軍人として甘い汁を吸った上の世代も登場する。戦争犯罪でパージされたにも関わらず代議士に返り咲いてふんぞり返っている五津平太(菅井一郎)の太々しさ。一方、学がないけど腕っぷしと度胸で、軍隊でも相当部下をいじめてきたような、土建屋風の男・加東大介。彼はおそらく戦後、闇屋やあぶない商売で濡れ手に泡で、今では、儲かるからとボスに予備校の運営を任されている。
この三つの世代に加えて、苦労ばかりで良い目にはあったことがない、もう一つ前の世代として藤原釜足、野呂のかつての先輩で失業してハモニカの行商をしている山形勲が登場する。
といった男たちとは対照的に、この映画の女性たちは実にパワフルで、生命力に溢れている。銀行勤めのカン子は、毎晩、残業をして10時過ぎに家に帰ってくる。なぜ残業するのか?その理由も奮っている。彼女の同僚、英子(杉葉子)も相当チャッカリ屋で、実に溌剌としている。
そうした人間模様が展開されるなか、野呂は生徒・古橋に「ピクニックみたいなもの」と誘われてメーデーに参加する。これが昭和27(1952)年5月1日(木曜)に、皇居外苑で起きた「血のメーデー事件」に発展していく。この日の第23回メーデーとなった中央メーデーでは、ちょうどGHQによる占領が解除されて三日後。警察予備隊(のちの自衛隊)の「再軍備反対」と「人民広場(皇居前広場)」の開放を決議してのデモだった。学生やサラリーマンたちのデモだったが、日比谷公園で解散した一部のデモ隊が、全学連と左翼系青年団体員に先導されて、2500名がスクラムを組んで行進した。警察との小競り合いが続いて、それがやがて5,600名の警官隊と8,000名のデモ隊の衝突となり、死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。
市川崑は、プーサンをこの事件に居合わせることにした。実際のニュース映画に、新撮したしたシーンをインサートしているが、皇居前での撮影の許可は降りずに、撮影所近くの馬事公苑で撮影。迫力ある映像となった。このデモ参加したことが、運悪く、新聞の一面写真に乗ってしまった野呂は、予備校をクビになり失業者となってしまう。
というわけで、時事ネタというには、歴史的な事件、時代の大きな転換点にプーサンがいて、巻き込まれていく。という市川崑の狙いは、当時もさることながら、現在の眼線で見ると実に深い。後半の、野呂の再就職運動の切なさ、カン子の自殺未遂騒動などなど、ラストのワンショットまで、ぎっしりと市川崑の戯作精神が詰まった傑作!