『江戸っ子健ちゃん』(一九三七年五月一日・P.C.L.映画製作所・岡田敬)
昭和九(一九三四)年、エノケンこと榎本健一とその一座は、『青春酔虎傳』でP.C.L.ユニット出演、以降エノケン映画は、P.C.L.のドル箱となり、古川ロッパ一座によるユニット出演とともに、トーキーの喜劇映画のスタイルを確立。昭和十一(一九三六)年にはP.C.L.は吉本興業と提携、横山エンタツ・花菱アチャコの漫才映画、東京吉本専属の柳家金語楼の喜劇映画など「喜劇人の映画」をルーティーンで製作していた。
こうした喜劇映画は、小学生の子供たちにも人気で、特に「動きのエノケン」はメンコなどのキャラクターにも使用され、年少観客を獲得していた。そうした子供のファンのために企画されたのが、横山隆一の人気漫画の映画化『江戸っ子健ちゃん』だった。
昭和十一(一九三六)年一月二十五日、朝日新聞東京版で「江戸っ子健ちゃん」は連載開始。その第一四回目で、角帽をかぶった幼児「フクちゃん」が登場して、サラリーマンの息子でおじいちゃん子の健ちゃんと、隣家のフクちゃんをめぐる微苦笑のスケッチは、新聞読者の大人たちのみならず、子供たちの圧倒的な人気となった。
そこで企画されたのは、エノケンと一座の花形女優・花島喜世子の一粒種、榎本鍈一を「江戸っ子健ちゃん」役に起用して、エノケン一座で脇を固める映画化企画である。榎本鍈一は昭和六(一九三一)年生まれで、当時六歳。小学一年生の健ちゃんと同世代で適役だった。脚色は、エノケン映画の名伯楽で、エノケンの信が厚かった山本嘉次郎監督。キャスティングを進めるうちに「フクちゃん役をどうするか?」ということになり、ヤマカジ監督が思いついたのが、ユーモア作家として活躍していた中村正常の長女・メイ子だった。
昭和九(一九三四)年五月十三日生まれの中村メイコは、当時二歳。ようやく喋り始めたばかりだったが、抜群の記憶力で、父が読み聞かせをする童話をすぐに暗誦。その愛らしさに「フクちゃん役はこの子しかいない」とヤマカジ監督が、中村正常を説得。出演することとなった。
本作の後半、フクちゃんが、子供たちを前に「因幡の白兎」を語るシーンがあるが、二歳の子とは思えないほど達者である。天才子役・中村メイコは本作で誕生した。
子役ということでは、健ちゃんの同級生で、健ちゃんの父(如月寛多)の会社の社長令嬢・天羽あき子役で、吉本興業所属のベビー・タッパー(少女タップダンサー)のミミー宮嶋が出演。学芸会で「雀の学校」のタップを踏んで、父兄たちを驚かせるアトラクションがある。ミミー宮嶋は、吉本ショウで大人気だった少女スター。つまり本作はエノケン・ジュニア、中村正常の娘、そしてベビー・タッパーと三人の子役のスクリーンお目見えとなった。
ちなみに、翌昭和十三(一九三八)年、連載漫画「江戸っ子健ちゃん」は、フクちゃんメインの「フクちゃん部隊」に改題されることとなる。
演出は、前年一月、エンタツ・アチャコの『あきれた連中』(一九三六年一月十五日)で、大都映画からP.C.L.に移籍してきた岡田敬。以後、ロッパの『歌ふ弥次喜多』(三月二十六日)、エンタツ・アチャコの『これは失禮』(八月一日)、藤原釜足と岸井明の『おほべら棒』(十月一日)、そして『エノケンの江戸っ子三太』(十二月三十一日)と、東宝のドル箱喜劇映画を一手に担ってきた。
タイトルバックは、横山隆一のキャラクター・イラストで登場人物を紹介。ジャズ・ミュージシャンでもある谷口又士が担当した音楽は、レオポルド・モーツアルトの「おもちゃの交響曲(シンフォニー)・第一楽章」のアレンジ。後半、子供たちのコーラスで「赤とんぼ」となる。健ちゃん(榎本鍈一)、フクちゃん(中村メイコ)と近所の子供たちが歌いながら帰途につく。健ちゃんの住んでいる町の真ん中には、大きな空き地があり、そこで野球をしたり、かくれんぼをしたり。その前に木下セトモノ店、道路を挟んで今井自転車店がある。子供たちが遊ぶ空き地の前にセトモノ屋というのは不吉な予感しかしないが、ここが中盤の見せ場の舞台となる。
子供たちが歩くショットの手前には、出征兵士・●●寅三君の入営を祝う幟が翻っている。支那事変と呼ばれた日中戦争が始まったのがこの年の七月七日のこと。健ちゃんたちは、この空き地で勇ましく戦争ごっこをして遊ぶシーンが中盤にある。
さて、夕方の商店街は賑やかで、豆腐屋のラッパがなり、近所の主婦が天秤を担いだ豆腐屋を呼び止める。健ちゃんのお父さん(如月寛多)が会社から帰ってきて、お母さん(英百合子)に「健坊は?」「あら、お夕飯だっていうのに、どこ行ったんでしょう?」。それを聞いたお祖父さん(柳田貞一)は、隣のお花さん(清川虹子)に「ウチの健坊来てませんか?」と聞くも、健坊は来ていない。「あら、うちのフクちゃんもいないわ」。心配になったお祖父さん、街へと飛び出す。空き地の土管をのぞきこんだり、お祖父さん、どんどん心配になってくる。僕らの世代では赤塚不二夫の「おそ松くん」や吉沢やすみの「ど根性ガエル」でお馴染みの土管のある空き地の風景。道端には荷馬が繋がれていて、飼馬桶が置いてある。
この空き地を中心とした商店街、ロケーションではなく、撮影所に作られたオープンセットである。空き地の反対側には、お祖父さんの行きつけの碁会所があり、その普請を見てもいかにも映画のセットという感じである。
碁会所の娘で中学生のミーちゃん(高峰秀子)によれば、健坊とフクちゃんは、お昼頃にチンドン屋の後をついて行ってた、という。カットが変わってチンドン屋が美ち奴の「あゝそれなのに」を演奏しながら練り歩いている。太鼓を叩いている男の背中には「ミルクチョコレート」のハリボテ、そして「明治の菓子」と垂れ幕が腰のところでたなびき、女性が「明治の菓子」の幟を持っている。これもタイアップである。その後を、健ちゃんがフクちゃんの手を引いて歩いている。
次のカットでは、健ちゃん宅の夕餉の卓。お父さん、お母さん、健ちゃんが食事をしている。「今日は随分たくさん食べたわね」とお母さん。ところが「お祖父さん、どうなすったんでしょう?」「さっき、健坊を迎えに行ったきりだねぇ」とお父さん。結局、お祖父さんは、あのまま碁会所にハマってしまって、碁敵(小島洋々)と対局している、という漫画的なオチ、となる。
エノケンの師匠格の柳田貞一が、横山隆一の漫画そのままのメイクと扮装なのがおかしい。そしてエノケン一座の幹部俳優・如月寛多が、心優しきお父さん。P.C.L.時代から「映画の母」役を演じ続け、戦後も「社長シリーズ」で小林桂樹の母親役を、最終作『続・社長学ABC』まで演じることとなる英百合子が、お母さん役なので、安心して楽しめる。新聞連載漫画の映画化ということでは、戦後、東宝で江利チエミ主演で連作される「サザエさん」シリーズのルーツでもある。
ある日のこと、空き地で健ちゃんが涙を流している。慌てて「ご隠居さん、健ちゃんがイジメられてますよ」と、フクちゃんの阿母(乳母)・お花さん。それは一大事と、お祖父さん、杖を手に、空き地へ飛び出す。ところが、喧嘩に勝ったのは健ちゃんで、負けて泣いているのは、一回り大きな体格のセトモノ屋の倅。「け、健ちゃんがイジメたんだい」「なんだ、健坊が勝ったのか、それならヨシヨシ」と、一事が万事、お祖父ちゃんは健坊中心である。
そこへ、大きな柳行李を担いだ青年(柳谷寛)がやってくる。子供たちは「ルンペンだ」「乞食だ」「泥棒かもしれない」と囃し立てながら、青年を追いかける。彼は、健ちゃんの叔父の受験生・チカスケくんだった。漫画の設定では、大学受験に失敗、要らなくなった大学帽をフクちゃんがもらって、あの、着物にエプロン、角帽のフクちゃんスタイルが確立する。もちろん、この映画も「フクちゃん」エピソードゼロなので、そのシーンがちゃんと描かれている。
チカスケくん、健ちゃんの家に居候して受験勉強の追い込みを始めるが、健ちゃんとフクちゃんがうるさくて、勉強にならない。そこで、静かなところを探していると、フクちゃんの家は、お花さんとフクちゃんの二人暮らしで、不用心だから、心強いと、歓迎される。お花さんはまだ女ざかり。亭主に死に別れて、しばらく経っているので、チカスケくんに、ほんの少々だが色目を使う。この辺りは、大人の観客向け。
ちなみに映画ではその理由が明確に描かれていないが、フクちゃん=福山福一のお母さんは田舎で暮らしていて、フクちゃんは東京でお祖父さん(実は・叔父さん、お母さんの兄)と生活をしている。その設定は、漫画ではもう少し後に描かれるので、ここでは、大阪のお祖父さんの家にフクちゃんが引っ越していく、というその前段が描かれることになる。
さて、チカスケくん、フクちゃんの家でも勉強は手につかず、結局、碁会所の二階を世話してもらう。ところがその家の向かいには、年頃の娘・テルちゃん(堤眞佐子)がいつも窓辺でピアノを弾いている。もちろんチカスケくんはテルちゃんに一目惚れ。それゆえ、受験には大失敗。せっかく注文した角帽要らずとなり、結局はフクちゃんが被ることとなる。このシーンも微笑ましい。
チカスケくんには「サクラチル」の春となるが、健ちゃんにとっては念願の一年生。入学式の前夜、大張り切りの健ちゃん。真夜中に起きて「遅刻しちゃいけないから」とお祖父さんを起こして、制服に着替えてランドセルを背負って準備万端。お父さん、お母さんも起き出して、可愛い我が子の晴れ姿に夢中になる。時計を見たらまだ真夜中。で、結局、張り切りすぎて、一家全員寝坊。健ちゃんとお祖父さんは大遅刻となってしまう。
こうした漫画的な「オチのある話」が綴られてゆく。小学生となった健ちゃんが羨ましくてフクちゃん「僕も学校行きたい」と憧れの眼差し。ある日、健ちゃん、遅刻しちゃいけないと、朝の七時に登校すると、小使いさんもビックリ。健ちゃん、教室に行くとなんとフクちゃんが机に座って教科書を広げて「サイタサイタ サクラガサイタ」と一人でお勉強。これを二歳児の中村メイコちゃんがやるのだから、可愛くて仕方がない。
健ちゃんの担任となったのは、優しい玉川先生(嵯峨善兵)でテルちゃんの家に下宿していて、実は二人は相思相愛。何も知らぬは、浪人二年目のチカスケくんだけ。勉強机に座っていても、テルちゃんへのラブレターを綴っては、くしゃくしゃに丸めて、部屋の中は紙だらけ。碁会所の娘・ミーちゃん、健ちゃん、フクちゃんたちが、チカスケくんの部屋に上がり込んで、ラブレターの反古紙で飛行機を作って飛ばしっこをして遊んでいる。向かいのテルちゃんも参加して、豪快な紙飛行機の空中戦。そこへ帰ってきたチカスケくんも、張り切って参加するけど、テルちゃんが飛ばした飛行機を開いてビックリ。なんと自分の恥ずかしいラブレターだったとは!
ある日、空き地では、健ちゃん、セトモノ屋の倅・木下くんたちが、豪快な戦争ごっこをしている。それがだんだんエスカレートして、健ちゃんが投げた球が、セトモノ屋の店先に飛び込んで、商品を割ってしまう。これは大変と、健ちゃんのお祖父さんがお詫びに。そこで弁償金の封筒を、セトモノ屋の爺(エノケン)に渡す。ところが被害者なのに、エノケン、そんなことをしてもらっては、と最初は遠慮するも、お金を受け取る。しめた五百円も入っているとエノケン、これじゃ金額に見合わないと、自ら店のセトモノを叩き壊し始める。まだまだ、とどんどんエスカレート。最後に、大きなカメを二つぶつけてぶっ壊す。で、封筒を開けてみると、なんと五円札が一枚! エノケン、ギューっとなる。特別出演のエノケンが、息子のデビュー作のために張り切って、観客を笑わせてくれる。いつもは主演だけど、今回は場面喰い、これがなかなか面白い。
やがて季節は秋。季節の変わり目も童謡で表現しているのもいい。お父さんは、社命で満州の奥地への転勤が決まる。幼い健ちゃんを連れていくわけにはいかないと単身赴任を覚悟する。お祖父さん、健坊と会えなくなるなら「そんな会社やめてしまえ」と、これまた豪快。さて、いよいよ学芸会の前夜、お父さんは荷物をまとめて、旅立つ準備をしている。健ちゃんが目を覚ましたとき、どんな風に説明しましょう? お母さんも悩んでいる。お父さん、考え抜いた挙句に、「会社をやめる!」と宣言。東京に残ることに。もちろんお祖父さん「えらい!」と褒める。
これは、サリー・ベンソン原作、ジュディ・ガーランド主演『若草の頃』(一九四四年・MGM・ヴィンセント・ミネリ)のクライマックス。長年住んでいたセントルイスを離れがたく、ニューヨーク栄転を断る一家の父と同じ決断。仕事よりも家族を大事にする。当時の日本映画でこうした描写があったとは!
そして、学芸会当日。健ちゃんは一年生から三年生合同の劇「桃太郎」で主役を演じる。お祖父さん、お父さん、お母さんが息子の晴れ姿を見守るなか、健ちゃんは鬼の大将役の木下くんと本気の取っ組み合いを始める。息子の大暴れに声援を送るエノケン。大慌ての玉川先生。
続いては一年赤組・天羽あき子(ミミー宮嶋)の独唱「雀の学校」。観覧席では、天羽社長(三島雅夫)と奥さん(清川玉枝)が見守っている。最初は子供らしく独唱をしていたあき子だが、途中からお母さんに仕込まれたタップを踊り出す。天才ベビー・タッパーだけになかなかのスペクタクルである。「私が仕込みました」とご満悦のお母さん。しかし父兄たちはギョッとなり、校長先生(小島洋々)が大慌て、2コーラス目で、玉川先生が舞台へ上がって制止をする。
そこで天羽社長は、娘の学友の父親を単身赴任で満州転勤を命じたことが間違いだと気づいて、それを撤回。健ちゃんのお父さんは東京勤務のままとなる。やがてチカスケくんは、テルちゃんに恋人がいたことを知り失恋。 やがて、フクちゃんは大阪のお祖父さんのところへ引っ越すことになる。健ちゃんとの悲しい別れ。最後の最後まで二人で遊んでいる。これもなかなかいい。やがて車がスタート。健ちゃんはフクちゃんが欲しがっていたラッパをせん別に渡す。季節はめぐり、チカスケくん大願成就して、大学受験には見事合格。
子供たちが遊んでいた空き地に、新しく家を建て始める。遊び場なくなったとお祖父さんが嘆いているところに、お花さんとフクちゃんが再び戻ってくる。聞けば、フクちゃんが健ちゃんのいる東京を恋しがり、不憫なのでならばと、フクちゃんのお祖父さん(本当は叔父さん)が、この土地を購入して家を建てることに。全てが元の鞘に収まって、ハッピーエンドと相成る。
この映画が公開された昭和十二年五月は「江戸っ子健ちゃん」が始まって半年目、そろそろフクちゃん人気が高まっていた頃、この映画の中村メイコちゃんのフクちゃんも、その人気の後押しをしたことだろう。中村メイコは、本作を皮切りに東宝映画の名子役として、古川ロッパと『ロッパの駄々っ子父ちゃん』(一九四〇年・齋藤寅次郎)や『音楽大進軍』(一九四四年・渡辺邦男)、徳川夢声と『子寶夫婦』(一九四一年・齋藤寅次郎)、柳家金語楼と『楽しき哉、人生』(一九四四年・成瀬巳喜男)などで共演。エノケンとも『エノケンのワンワン大将』(一九四〇年・東宝・中川信夫)などで共演していくこととなる。
榎本鍈一は、翌年の正月映画『エノケンの猿飛佐助 どろんどろんの巻』(一九三八年一月七日・東宝・岡田敬)でエノケンの息子役を演じ、戦後は『初笑い底抜け旅日記』(一九五五年一月三日・東宝・青柳信雄)の若侍役で父・エノケンとダブル主演を果たす。しかし、その二年後、結核で病没、まだ二十六歳の若さだった。