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お雪さんのアリア『男はつらいよ 葛飾立志篇』(1975年12月27日・松竹・山田洋次)

 文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年7月22日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第十六作『男はつらいよ 葛飾立志篇』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)

 十六年前、旅先の山形県寒河江で、無一文になってしまったときに、山盛りの御飯と豚汁を差し出してくれた優しい女性、お雪の想い出を語る寅さん。そこに静かに流れるピアノの音色、山本直純さんによる「お雪のテーマ」が、寅さんのアリアに深い印象をもたらしてくれます。


 ある日、とらやに、修学旅行で東京にやってきた女子高生・最上順子(桜田淳子)が、寅さんを訪ねてきます。寅さんはあいにく旅の空。順子が「毎年お正月になると私の母に必ず手紙をくれるんです。そしてその中に、娘さんの学費の足しにって必ずお金が入っているんです」と話すと、おいちゃんもおばちゃんも怪訝そうな顔をします。

 フトコロも年中旅先の寅さんが、そんなことするわけないと。そこでさくらが、その金額を尋ねます。順子は「たいてい五百円ですけど。」ここで観客はドッと笑います。すかさずおばちゃんが「やっぱり寅ちゃんかねえ」とリアクション。

 これが「男はつらいよ」の笑いでもあります。寅さんの「五百円」は基本レートです。札入れにはいつも五百円。「釣りはいらねえよ」と差し出すのも「あめ玉の一つでも買ってやってくれ」と手渡すのも、岩倉具視が描かれている五百円札のイメージがあります。第十九作『寅次郎と殿様』で、寅さんと殿様(嵐寛寿郎)の縁を取り持つのも、宙に舞う五百円札でした。

 さて『葛飾立志篇』です。なんとその場に寅さんが帰ってきて、順子を見るなり「お雪さんだ!」と顔をパッと明るくします。寅さんにとって彼女は特別な女性でした。順子は「お父さんなの?」と目に涙をためて寅さんに聞きます。順子はもしかして、寅さんがまだ見ぬ父かもと思い、「とらや」を訪ねてきたのです。ここで例によって、すわ寅さんが順子の父親か? という疑惑の笑いへと発展していきます。この緩急も「男はつらいよ」を豊かにしてくれているのです。

 聞けば、彼女の母・お雪は、前年に亡くなったばかり。今は、周囲の人の親切に支えられて、一人で頑張って高校に通っている順子に、寅さん、さくら、おいちゃん、おばちゃんたちは精一杯のエールを送ります。そのお雪との経緯を、寅さんが茶の間で語る「寅のアリア」は絶品です。

 寅さんのアリア、そして山本直純さんの音楽で表現される、お雪さんと寅さんの十六年前のエピソード。横で聞いていたタコ社長が「観音様だよなあ、その人は」としみじみ言います。寅さんがなぜ、お雪さんに送金していたのかが明らかになるだけでなく、映像には一度も登場していない、お雪さんの姿が、ぼくらの心のスクリーンにありありと映し出されるのです。渥美清さんの話芸に託した、山田洋次監督の見事な演出で、そこにお雪の姿がありありと見えてくるのです。しかも桜田淳子さんに瓜二つで。

 映画は何もすべて描く必要はありません。台詞や仕草、そこで語られる会話に、登場人物の体験が、大切な何かと共に、観客の心のスクリーンに拡がるのです。

 山田洋次監督の語り口のうまさ。渥美清さんの巧みな話芸。作り手のまなざしにより、十六年前のお雪と寅さんの物語がぼくらの心に沁み入ってきます。山本直純さんの音楽は「順子のテーマ」「お雪のテーマ」を同じメロディのバリエーションでアレンジ。順子に母の面影が重なるような演出をされています。

 『葛飾立志篇』は、順子とお雪さん、二人の女性をめぐるエピソードから始まり、寅さんが、寒河江でお雪さんの墓参に立ち寄ったところで、和尚(大滝秀治)からお雪の哀しい物語を聞いてこう言います。「私も学問がないから、いままでつらいことやら、悲しい思いをどれだけしたかわかりません。ほんとうに私のような馬鹿な男はどうしようもないですよ。」和尚はこう答えます。「いやそれは違う。己れの愚かしさに気づいた人間は愚かとはいいません。あなたはもう利口な人だ。」ここで寅さんは「己れを知る」ために、学びのペンを持つことになり、いよいよ『葛飾立志篇』が動き出します。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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