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『南海の狼火』(1960年・山崎徳次郎)

「流れ者」シリーズ第三作!

 昭和35(1960)年、夏から秋にかけての小林旭主演作は充実のラインナップである。7月2日『赤い夕陽の渡り鳥』、7月29日『東京の暴れん坊』、そして9月3日には「流れ者」シリーズ第三作『南海の狼火』が封切られ、まさにマイトガイ黄金時代の頂点である。宣伝プレスには「潮の香りが故郷さ・・・歌うギターに流し射ち! 無敵の拳銃もニコリと笑う南の海のマイトガイ!」とコピーが踊っている。

 風光明媚な地方ロケ、浅丘ルリ子の慕情、そして宍戸錠演じるユニークなキャラクター! 宍戸錠は「渡り鳥」シリーズの好敵手はもちろん、赤木圭一郎との「拳銃無頼帖」シリーズの殺し屋役もエスカレートしており、ヒーローとの奇妙な連帯感と、観客の期待を軽々と超えてしまう役作りで、日活映画に欠かせない貴重な存在となっていた。

 本作でも、海女たちといがみ合うチンピラを一掃した後、いきなり「東京から着いたばかりなんだ。もてなしてくれよ!」と海女に襲いかかる。これが登場シーンである。もちろんそこへ小林旭=野村浩次が現れるというおなじみの展開。今回は破戒僧の坊主の政。数珠を片手にナムアミダブツ。ユニークな役作りでファンを喜ばせてくれる。

 舞台は、闘牛と和霊祭りに湧く四国宇和島。山崎徳次郎監督の演出もツボを得たもので、山崎巌脚本の虚構性をよりファンタジックに映像化している。キャバレー・パラダイスで坊主の政がひと暴れ。名乗りを上げると、オモチャのピストルを連打する野村浩次。「また邪魔しに現れやがったな」という政を軽くノシてしまう。アクション映画の中の喜劇性。次のシーンは夜の突堤で野村浩次が「さすらい」をしみじみ歌う場面となる。その叙情性。悪漢たちは野村を狙って襲いかかるが、唄が終わるまで待っているのだ。

 錠の喜劇性と旭の叙情性。二人のコンビネーションと連帯感が、観客の楽しみを倍加させてくれる。そこにヒロイン浅丘ルリ子の可憐さが加われば、プログラムピクチャーとしての条件は揃っている。悪役はもちろん金子信雄。ルリ子の貞操を狙う強欲の持ち主で、すぐにルリ子にのしかかろうとするのが、却ってユーモラスだ。

 修一役の中田博久は、後に東映へ移籍しテレビ「キャプテンウルトラ」で主役を演じることになるが、実は日活出身。父親は戦時中『マライの虎』(1943年・大映)でハリマオを演じた二枚目中田弘二。

 主題歌「さすらい」は、60年9月10日発売(作詞・西沢爽、補作曲・狛林正一)の哀愁あふれる名曲。戦時中、日本兵によって歌われた兵隊愛唱歌「ギハロの浜辺」を植内要が採譜したもの。映画がヒット曲を産み、ヒット曲が映画にフィードバックされる。歌う映画スターにとってそういう蜜月時代は必ずある。この「さすらい」は映画用のプレスコが先に行われたという。大瀧詠一氏の「小林旭読本」(キネマ旬報社刊)によると、当初「流れ者のブルース」と題名がつけられおり、旭の撮影スケジュールの関係でレコードの録音は映画版の後だという。

 「さすらい」は本作以降「流れ者」シリーズの主題歌として使われ、『渡り鳥北へ帰る』(62年)の挿入歌となり、同年にはサーカスを舞台にした『さすらい』が作られ、『遥かなる国の歌』(62年)ではアップテンポバージョンで歌われている。その後も『さすらいの賭博師』(64年)に始まる「賭博師」シリーズの主題歌として二作目まで歌われている。小林旭を代表する楽曲の一つとなった。その哀愁をたたえたメロディが、ルリ子と旭のほのかな関係の叙情性をより高めている。また、キャバレーでギター片手に歌う「ツーレロ節」は60年7月10日発売(作詞・西沢爽、作曲・遠藤実、編曲・狛林正一)されたアキラ節の名曲。

 事件が解決した後、定住者であるルリ子に、放浪者である野村浩次は「渡り鳥は一つところに住めない」と本音を吐露する。その翌日、祭り櫓で「宇和島音頭」を歌い、流れ者は去っていく。

 内田良平の第二の好敵手の登場以降の展開は、「流れ者」シリーズの定番だが、旭、錠、内田の三人が勢揃いするラストの楽しさは、そのまま第四作『大暴れ風来坊』(60年11月封切)の旭、錠、藤村有弘のファーストシーンの出会いへと継承されていく。

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