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 天才俳優・渥美清と、歌舞伎界のプリンス・五代目中村勘九郎(当時・のちの勘三郎)がコンビを組んだ、松竹創業80周年記念作品『友情』が公開されたのは、昭和50(1975)年11月29日のこと。

 OLの友部紀子(松坂慶子)と大学生・三浦宏(中村勘九郎)は、同棲中。父を亡くし仕送りのない宏は、紀子の給料と自分のわずかのアルバイトで過ごす日々に疑問を感じて、夏休みの間、ダム工事現場で住み込みとして働く。そこで知り合った、矢沢源太郎(渥美清)と意気投合、二人の奇妙な友情が始まる・・・。

 渥美清は、昭和44(1969)年にスタートした「男はつらいよ」も回を重ね、お盆公開の第15作『寅次郎相合い傘』(75年)に続いて、第16作『葛飾立志篇』(75年)の公開をひと月前に控えていた頃である。寅さんのイメージをまといながら、高度経済成長を労働者として支えながらも時代から取り残されてしまった男の悲喜こもごもは、まさに渥美清の真骨頂である。

 インテリの若者と、粗野な男の交流は「男はつらいよ」でもしばしば描かれている“インテリと寅さん”の組み合わせでもある。明日が見えない若者と、妻子と故郷を捨てた過去のある男の現在が、中村勘九郎と渥美清の自然な演技で紡ぎ出されてゆく。

 脚本・監督の宮崎晃は、『下町の太陽』(63年)から助監督として山田洋次監督に師事、『なつかしい風来坊』(66年)からシナリオを共作。「男はつらいよ」では第2作『続・男はつらいよ』(69年)から第6作『純情篇』(71年)にかけて、シリーズ初期の礎を築き、第11作『寅次郎忘れな草』(73年)にもシナリオに参加している。

 監督デビュー作となった、コント55号の坂上二郎主演の『泣いてたまるか』(71年)も渥美清の同名テレビドラマの最終回「男はつらい」(68年・TBS・山田洋次脚本)のリメイクだった。

 渥美清について宮崎監督から「毎回、テストのたびに相手の俳優を驚かすようなアドリブをする才能の持ち主」ゆえに、助監督としてはアフレコのことや相手役の俳優に気遣いをして大変だった、と伺ったことがある。

 一方の勘九郎は、幼い頃から梨園のプリンスとして、歌舞伎の舞台や映画、ラジオ、テレビドラマで活躍してきた。格式を重んじる歌舞伎の世界で育ってきた勘九郎が演じる、迷いながら現在を生きている宏の浮遊感は、“シラケ世代”と呼ばれた若者へのエールでもある。

 家族から遠く離れ、心ならずも放浪者となってしまった源さんが故郷に帰るシーンは、本作の白眉。加藤嘉、笠智衆らベテラン俳優の名演が堪能できる。特筆すべきはロケーションの美しさ。野村芳太郎監督の幾多の名作のキャメラを手がけきた川又昂が捉えた美しい瀬戸内海の光景に、1975年の日本が記録されている。日本映画を味わう楽しみの一つは、こうした“失われた時間”を体感することでもある。

2018年「江東シネマフェスティバル」への寄稿です。



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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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