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寅さんの交響曲(シンフォニー)〜『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』(1977年12月29日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年8月19日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第二〇作『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)

 2020年、中村雅俊さんに久しぶりにお目にかかりました。石原裕次郎シアターDVDマガジンの取材だったのですが、話は自然と『男はつらいよ』の方向へ(笑)そのとき、雅俊さんに第40作『寅次郎サラダ記念日』の早稲田大学の授業に寅さんが紛れ込んでしまうシーンの話をしました。

 三國一郎さん演じる教授と学生を前に、寅さんが第20作『寅次郎頑張れ!』で雅俊さんが演じた「ワット君こと島田良介」の「とらや爆発事件」について面白おかしく話します。そのとき、寅さんは「ワット君」の故郷を、第20作のロケ地「長崎県平戸島」ではなく「宮城県」といってます。雅俊さんの故郷が宮城県牡鹿郡女川町なので、それもありなのですが、映画の舞台とは違うので、違和感を感じる人もいると思います。

 かくいう僕も、ずっと「平戸島」なんだよなぁ、と映画を観るたびに思っていました。その話を雅俊さんにしたら、「実は、第20作でおれの故郷は、最初、女川町だったんです」と。打ち合わせのときに、助監督の朝間義隆さんが「良介の故郷として、山田監督は女川でロケをしたいと言ってるんだけど」と。それを聞いた雅俊さん、小さい町なので、知り合いに冷やかされるから、恥ずかしいと固辞したそうです。それで、やむなく平戸島となったわけです。

 雅俊さんは「今思えば、故郷でロケすればよかったなぁ」と、しみじみ話してくれました。

というわけで、今週も「みんなの寅さんfrom1969」から、第20作『寅次郎頑張れ!』の話、すすめてまいりましょう!

拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、第20 作『寅次郎頑張れ!』についての原稿から抜粋してご紹介します。

 渥美清さんの話芸がタップリ楽しめる、寅さんの独壇場ともいうべき独り語りを「男はつらいよ」撮影現場では「寅のアリア」と呼んでいました。アリアとはクラシックの楽曲、特にオペラで主人公が叙情的にその気持ちを吐露する、いわば最大の見せ場で、ソリストの独唱のことをいいます。

 「男はつらいよ」のソリストはもちろん寅さんです。寅さんの独り語りは、まるで落語や講談のように、その状況、感情や想いが、手に取る様に伝わってくる、まさしく「魔法のような時間」です。

 例えば第十五作『寅次郎相合い傘』(一九七五年)で、寅さんがリリー(浅丘ルリ子)を、キャバレーの楽屋口まで見送ったときに、その侘しさと猥雑さに切ない思いをします。出来る事なら歌手・リリー松岡に晴れ舞台を用意してあげたいという「夢」を、とらやに帰ってきて、さくらたちに語ります。

 そこで寅さんは、歌舞伎座や国際劇場のような大劇場で思う存分、リリーに唄わせたいという想いを、具体的な情景を交えて、滔々と語ります。われわれは、寅さんのリリーへの想い、優しい気持ちといった寅さんの「心根」に触れることで、感動します。

 第八作『寅次郎恋歌』(一九七一年)で、茶の間で話す「りんどうの花」のエピソードも、見事なアリアです。寅さんの情景描写には、そこに息づく人々の感情まで見てとれます。大抵「寅次郎のアリア」は茶の間で、さくらやおばちゃん、おいちゃん、博といった人々のリアクションを交えて展開されます。そういう意味では、『寅次郎頑張れ!』「寅のアリア」は今までとは少し趣きが違います。

 シリーズ第二十作を記念して作られた『寅次郎頑張れ!』は、賑やかな作品です。寅さんが、とらやに下宿していた長崎県平戸出身の青年・ワット君こと良介(中村雅俊)と、帝釈天参道入口の定食屋「ふるさと亭」の幸子(大竹しのぶ)の若いカップルのキューピッドを買って出ますが、いろいろあって良介は失恋。失意のうちに、平戸島に帰郷してしまいます。

 それを心配した寅さんが旅の途中で、なぐさめに立ち寄ったところ、良介には美人のお姉さん・藤子(藤村志保)がいて、例によって一目惚れ。藤子が女手一つで切り盛りしているお土産屋「おたち」に住み込んで手伝うことになります。やがて良介の失恋はカンチガイだったことが判り、良介は柴又へ。

 となると寅さんは藤子と二人暮らし。それを考えるだけで、寅さんは色めき立ってしまうのです。「ああ、明日の晩からお姉さんと二人きりか。なんだか参ったなぁ」と妄想たくましくします。この時のアリアは、渥美清さんの独壇場であり、至芸が堪能できます。

 山田洋次監督と朝間義隆さんのシナリオに「くすぐったいような喜びがこみあげてくる」とあるように、寅さんのその時の気持ちが思わず溢れ出てくるのが、本作の「寅のアリア」なのです。ここにはギャラリーはいません。寅さん独りだけ。その瞬間の感情の発露、たくましい妄想を、観客は垣間見ることが出来るのです。寅さんの、その時の心の中を窺い知ることが出来るアリアなのです。

 このシーンは、渥美清さんの出演作のなかでも、際立った面白さの一つです。ソリストの最高の見せ場です。

 アリアといえば、このシーンの後、とらやの宴席で、見事な歌声を披露してくれるのが、幸子の叔父で、秋田県人会柴又支部の「ふるさと亭」の主人です。唄うはシューベルトの歌曲集「冬の旅」より「菩提樹」。朗々とした見事な歌声に驚かれる方もおられると思いますが、実は、演じている築地文夫さんは、プロの声楽家です。山田監督のキャスティングの妙です。朴訥とした味わいの築地さんの演技と、素晴らしい歌が堪能できます。築地さんは、第三十五作『寅次郎恋愛塾』(1985年)で、平田満さんの秋田の父親として再び出演することになります。

 さて、この『寅次郎頑張れ!』に限らず「男はつらいよ」には、クラシック好きの山田監督だけあって、クラシック音楽、特に交響曲の構造によく似た構成となっています。

 様々な楽器が「共に響き合う」のが交響曲とするなら、様々なキャラクターが「共に響き合って」人生の旋律を奏でていくのが「男はつらいよ」であるともいえます。

 交響曲、シンフォニーとは、ギリシャ語の「シン(共に)」と「フォニー(響き)」が語源です。『寅次郎頑張れ!』は、寅さんの夢から柴又への帰郷が、ソナタ形式の第一楽章。良介と幸子のさわやかな恋が、歌謡形式の第二楽章。そして寅さんが、平戸で藤子に恋をする舞曲形式(メヌエット)の第三楽章。柴又に再び戻って、様々な人々が宴で、幸福をかみしめるロンド形式(輪舞)が第四楽章。やがて寅さんが静かに旅に出るところで、いつものようにエンドマークを迎えます。

 こうした交響曲のスタイルを確立したのが、古典派のフランツ・ヨーゼフ・ハイドンです。『寅次郎頑張れ!』の冒頭は「とらや」一家がお金持ちになったという夢のシーンから始まりますが、ここで奏でられるのが、交響曲の父・ハイドンの弦楽四重奏曲第六七番ニ長調「ひばり」というのも偶然ではないでしょう。

 また、山本直純さん作曲による、良介と幸子のテーマ音楽には「愛のワルツ」と名付けられています。中盤には「寅次郎のアリア」があり、終盤近くにはシューベルトの「冬の旅」が唄われます。このあたりの妙味が「男はつらいよ」シリーズの味わいでもあります。

「男はつらいよ」は、実は「寅さんの交響曲」です。意外かもしれませんが、寅さん流に言えば「キッチャ店でコーシー」を飲みながら、そんなことを考えるのも、映画を観る愉しみの一つなのです。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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