『愛の設計』(1939年10月20日・東宝・藤田潤一)
久しぶりに『愛の設計』(1939年10月20日・東宝・藤田潤一)をスクリーン投影。トップシーンは、夕方、労働から帰路につく人々が、尾竹橋を歩く。その後ろには千住火力発電所、つまり「お化け煙突」の雄姿が! ピカピカで晴れがましい。
尾竹橋は、この映画の五年前、昭和9年3月に関東大震災後の復興事業の一環として計画、架橋されたばかり。
舞台は下町。おそらく荒川区町屋あたり(この予想は見事にはずれるのだけど・笑)。ロケからセットに切り替わり、商店街から軒割長屋へと帰宅する労働者。東宝らしく、セットが、ディティール細かく丁寧に組まれている。
昔気質の父・内山庄吉(鬼頭善一郎)と母・おみち(水町庸子)、工場勤めの長男・松吉(佐藤直人)、銀座のデパートガールの次女・なつ子(若原春江)の4人暮らし。賑やかな団欒のひととき。
深夜、円タクで、婚約者で金持ちの御曹司・今宮幸雄(月田一郎)に送ってきてもらったのは、内山家の長女で、いまは銀座で女給をしているモダンガール・かつ子 (竹久千恵子)。彼女がヒロイン。
この夜、バツイチの幸雄に求婚され、それに応じることにしたかつ子を、下町の誰もが「玉の輿」と羨む。しかし、幸雄は持ち前の気の弱さで亡父の遺した「今宮貿易」の経営に失敗、破産寸前だった。かつ子は、すべて呑み込んでいて、そんな幸雄を支えることができたらと、本当の愛情で結婚を決意。
その本音を、妹・なつ子に告白するシーンがいい。デパート勤めが終わったなつ子とかつ子が待ち合わせするのが、銀座5丁目の森永キャンディストアのレストラン。
その日の朝、なつ子が出勤するシーンのロケーションがいい。有楽町駅に向かう省線、銀座に急足で向かう人々、同僚に挨拶するなつ子。昭和14年の銀座の朝に、タイムスリップした気分が味わえる。
やがて宵闇せまり、銀座4丁目から数寄屋橋方向、晴海通りのショットがインサートされる。画面の奥に朝日新聞東京本社、日劇のシルエット。これだけでワクワクする。森永キャンディストアはセットで、外景もスタジオに作り込んだセット。もちろんタイアップ。かつ子はなつ子に、家族へのお土産を買う。もちろん「森永のお菓子」。
なつ子は近所に住む幼馴染の工員・中想成一(佐伯秀男)に恋をしており、成一の母・おすゑ(英百合子)やなつ子の兄で成一の親友・松吉も二人が結ばれることを願っている。しかし成一は、かつてかつ子に惚れていて失恋。それにこだわっていて・・・
ある日、おすゑと成一が引っ越すことに。この引っ越しのシーンで、舞台となっているのが荒川区町屋ではなく、白金三光町であることが、玄関の表札で明らかになる。えー! 尾竹橋を渡った「煙突の見える場所」が、芝区白金三光町だったの? かつ子が目覚めるシーンでも窓の外には「おばけ煙突」があったのに?
さて、かつ子と幸雄の結婚は「女給上りに今宮家は釣り合わない」と息子を溺愛する母・よし子(清川玉枝)の猛反対を受ける。しかし、幸雄の妹・藤枝(宮野照子)と夫・近藤圭助(清川荘司)の口添えで、なんとか二人はゴールイン。結婚式は東京會舘でロケーション。ここで、今宮家の後見人的な叔父(進藤英太郎)が登場。落語のおじさんのように頼もしい。
しばらくして、なつ子と成一も結婚。その婚礼の夜に、松吉に召集令状が届く。松吉の出征を見送る、近所の人々。この駅のロケーションは、なんと昭和21年5月に廃止された東横線「並木橋駅」!貴重な映像にドキドキ。やがて電車は駅を離れ、人々が階段を降りると、並木橋の向こうに東急東横店が見える。この並木橋駅ロケは、「映画時層探検」的には重要な発見。
やがて父母に挨拶をして、かつ子と幸雄夫妻が歩き出す。そこで登場するのは、もちろん猿楽橋! ピカピカの親柱は、僕らにも慣れ親しんだあのカタチ。この猿楽橋は、番匠義彰監督『橋』(1960年)で笠智衆と岡田茉莉子が引っ越してきたアパートがある場所であり、『ニッポン無責任時代』(1962年)で重山規子がモンローウォークをした橋でもあり、『大冒険』(1965年)で植木等がワイヤーワークでジャンプしたのも「猿楽橋」の脇の道だった。
ということは、内山一家が住んでいる「下町」は、尾竹橋とおばけ煙突に程近いが、住所は「白金三光町」で、最寄駅は東横線「並木橋駅」ということになる。「映画の嘘」もここまで来ると天晴れ!そして、今宮家があるのは「田園調布」! かつ子が出てくる駅舎は、あのお馴染みの「田園調布駅」。放射線上の道路を歩いてくる義母・よし子とすれ違うシーン。僕が観た映画では、最も古い「田園調布駅」のシーンかもしれない。
よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。