とらや大爆発と若旦那奮戦記〜『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』(1979年8月4日・松竹・山田洋次)
文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ
第二十三作『男はつらいよ 翔んでる寅次郎」の「寅さんの夢」。医学博士・車寅次郎は、研究に没頭するあまり、なりふりかまわず、近所の子供からもからかわれるほどの変わり者。車博士が研究しているのは「便秘の特効薬」。人類が長い間苦しんできた悩みを解放しよよう!。何かに取り憑かれている姿は「アチャラカ喜劇」ではおなじみのキャラクターです。「寅さんの夢」の撮影は、倍賞千恵子さんも楽しみにされていて、リアルなさくらの芝居とはまた違う「夢」でのコスプレが本当に楽しかったと、いつも仰っています。
そして、車博士の研究がついに完成します。しかしそれは博士が予言しているように「キケン」が伴うものでした。喜びもつかの間、研究室は大爆発! 硝煙とともに二階が吹き飛んでしまいます。家が吹き飛ぶという展開は、まともに描けば悲劇になります。しかし、爆破した後、真っ黒になって髪の毛が坂だって、口から煙が出てくる。これぞ「アチャラカ喜劇」の味わいです。
悲劇と喜劇の違い。日常の破壊は悲劇です。しかし常識の破壊は喜劇になるのです。「そんなわけない」けど「なぜかこうなる」それがおかしいのです。実は「とらや大爆発」は二度目です。第二十作『寅次郎頑張れ!』では、二階で下宿をしている良介(中村雅俊)が、幸子(大竹しのぶ)に失恋したと思い込んで、自殺を図ります。襖や戸に目張りをして、ガス栓をひねります。ここまでは悲劇です。ところが末期のタバコに火をつけた瞬間に、とらやが大爆発! この瞬間、ガスが出ているのに、マッチで火をつけるなんて! 失恋青年には申し訳ないですが「バカだなぁ」と思った途端の爆発です。これは日常の破壊です。
第二十作の「とらや大爆発」のインパクト!。本編のなかで、ここまでの描写は空前絶後です。そのシーンをもう一度、この「夢」でリフレインしたことからも、相当、山田監督のお気に入りだったと思います。その後、良介は責任を感じて、故郷の長崎の平戸に帰ります。やはり良介にとっては悲劇だったのです。この悲喜こもごもは「男はつらいよ」の世界でもあります。
さて、第二十三作『翔んでる寅次郎』の「寅の夢」の「とらや大爆発」は、往年の斎藤寅次郎監督の「アチャラカ喜劇」の味わいです。一方では、あくまでも寅さんの「夢」ですから、確かに人類共通の悩みかもしれませんが、年中旅暮らしで不規則な食生活を過ごしている寅さんは、おそらく便秘がち。それが寅さんの夢に…。
「夢の由来」のおかしさは、車寅次郎という人を知れば知るほど観客にとっては楽しいものです。寅さんが「ベンピの薬…」とうなされながら、日下部医院の待合室のソファーでうとうとしていた寅さんが目覚めます。
「車さーん」と可愛らしい声は、大空小百合役でおなじみの岡本茉利さん扮する看護婦さん。案の定、寅さんは便秘で、お腹の薬を処方してもらい、その場で飲みます。これも日常の光景です。寅さんは、病院の表に出ますが、その途端「あれ? いけねえ、もう効いてきちゃった! すいませーん、便所かしてください」と病院に駆け込みます。日常の破壊が喜劇的な笑い、となります。
この医院の外景は、神奈川県伊勢原市の大山バス停前にある、以前の森林組合の事務所で撮影が行われました。
続くタイトルバックでは、いつものように、主題歌が流れるなか、いささかオーバーな動きで、ドタバタが展開されます。無声映画時代からの伝統を受け継ぐスラップスティック喜劇の話法なのです。ことほど左様に「男はつらいよ」シリーズは、あらゆる喜劇の要素が盛り込まれています。そして本編は、かつて井上ひさしさんが渥美清さんのことを「悲しみをおかしみで表現できる役者」と評したことがありましたが、まさしくその「天才俳優・渥美清」の世界が展開されていくのです。
今回のマドンナは、寅さんが北海道で出会う、マリッジ・ブルーの入江ひとみ(桃井かおり)。若い女性にとって「何が幸福なのか」をテーマに、結婚式場から花嫁が逃げ出して、とらやにやってくるという、逆説的なシチュエーションのなかに、明るい笑いとともに描いていきます。
そして『翔んでる寅次郎』には、コメディリリーフとして、湯原昌幸さん扮する、支笏湖畔にある温泉旅館・丸駒屋の若旦那が登場します。コメディリリーフとは、深刻な物語に登場して、緊張を和らげる滑稽な登場人物。シェイクスピアの悲劇やオペラにもそうした人物が登場しますが、喜劇である「男はつらいよ」に、しかも渥美清さんを前に、さらにおかしい人物というのは、演じる側も大変だったと思います。
ひとみの車がエンコして困っているところへ、若旦那はさっそうと現れて、鮮やかに修理の手配をします。その感謝の気持ちにつけ込んで、若旦那は自分の車でよからぬことをしようとします。が、ひとみは応じるフリをして、タイミングを見計らって逃げ出します。ひとみを追って車を降りた若旦那、ズボンをおろしたままなので、つまずいて転んでしまいます。それをロングショットで撮影して、観客の笑いを誘いますが、まるで、タイトルバックのようなスラップスティックな映像です。しかも若旦那、赤いパンツを履いているので、観客の笑いは頂点に達します。チャックを上げる時に大事なところを挟んでしまい、往生しているのです。そして、寅さんとひとみは、あろうことか、なんと若旦那の旅館にやってきます。
「部屋はない」と言われた寅さんとひとみ「お姉さん警察どこ?」と訊きます。いぶかる女中(谷よしの)に、ひとみ「署長に会って私、全部話す、今日あったこと」と若旦那にとって、怖いことを言います。
この場面の最初、若旦那は、事務所の中で、キャメラに背を向けています。昼間の事件で、チャックに挟んでしまった大事な部分に、薬を塗っているのです。そこへ、ご存知、谷よしのさん扮する女中さんがやってきて、その姿を見て「何やってんの?」と冷ややかに聞くところで、普段、若旦那が従業員からどう思われているかが一瞬にして分かってしまいます。
しかも寅さんたちを部屋に案内するとき、背中にビッショリと冷や汗をかいているのです。こうした細かい演出が「男はつらいよ」の笑いを支えているのです。さて、この若旦那、ひどい男ですが、どこか憎めない。出番はごくわずかなのですが、コメディアンとしての湯原昌幸さんが最高に輝いている一本です。
よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。