雲白く、遊子悲しむ『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』(1988年・松竹・山田洋次)
文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ
昭和四十四(一九六九)年にスタートして以来、いつしか国民映画と呼ばれるようになった「男はつらいよ」も、十九年で四十作目となりました。今回は俵万智さんのベストセラー短歌集「サラダ記念日」が原作です。「風の吹くまま、気の向くまま」と自由な旅暮らしを続けて来た寅さんが、信州は小諸で出会ったのが、美しい女医の原田真知子先生(三田佳子)でした。
今回は、映画が始まってほどなく、マドンナが登場します。前作『寅次郎物語』のマドンナ・高井隆子(秋吉久美子)との「出会いと別れ」がたった二日間だっただけに、久しぶりに寅さんとマドンナの物語が濃密に展開。真知子先生が抱える悩みや、過疎化、終末医療といった様々な問題を提示しながら物語が進んでいきます。
信州は小諸の駅前で知り合った、お婆さん・中込キクエ(鈴木光枝)に誘われるがまま、孤独なキクエの家で昔話を聞く寅さん。実はキクエは病気で、翌朝、かかりつけの小諸病院の医師・原田真知子が入院させるために訪れますが、キクエは「この家で死にたい」と拒みます。しかし、寅さんの説得でなんとか入院します。
真知子が寅さんにお礼にと、家に招待したときに、東京の早稲田大学に通う、真知子の姪・由紀(三田寛子)が遊びにきていて、楽しいひとときとなります。島崎藤村の千曲川旅情の歌の「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ」の話になり、真知子に「遊子って、寅さんみたいな人を言うのね」と言われ「とんでもねぇ、俺みたいな意気地なしが勇士だなんて。でも、爆弾三勇士とか真田十勇士ってのはガキの頃ずいぶん憧れました」と、「遊子」を「勇士」と勘違い。
真知子は、山で亡くなった夫に、寅さんの面差しがどこか似ていると好意を持ちます。東京の母(奈良岡朋子)に一人息子を預けて、長野で医師として忙しい日々を送っている真知子ですが、人生の曲がり角に立ち、様々な悩みを抱えています。キクエ婆さんの「この家で死にたい」という気持ちに共感しながら、一人暮らしの老人を放っておけない使命感、果たして医師に何が出来るのか?
寅さんは、寂しい老婆に、たった一晩だけど寄り添い、キクエは亡父との大事な想い出を語ります。入院を決意したキクエが、もう戻ってくることはない、想い出がいっぱいつまった家に別れを告げる場面、彼女と家族の長い人生が刻み込まれている家を、しみじみ眺め「これが、見納めだ」と両手を合わせ、家を拝み、涙を拭きます。
山田洋次監督は、この作品で「生と死」という大きなテーマに取り組んでいます。医学の進歩で長寿大国となった現在。独居老人の孤独。志を抱いて医大に進み、医療の道を歩んで来たマドンナは、自分では解決することが出来ない、大きな悩みを抱えています。そこへ「遊子」の寅さんが現れ、彼女が忘れかけていた何かを思い出し始めていきます。
同時に、真知子の姪で、早稲田大学で国文学、短歌を学んでいる由紀や、そのボーイフレンドとなる尾崎(尾美としのり)たちの、屈託のないキャンパスライフも描かれます。満男は高校三年生、これからの人生、進路について大いに悩んでいます。真知子と由紀、寅さんと満男、二つの世代が向き合う現実を、穏やかな笑いで包みながら描いていきます。
寅さんが、早大に由紀を訪ねて、西欧近代史の講義にまぎれ込んでしまう場面が傑作です。日本初のラジオパーソナリティで、エッセイストとしても活躍した三国一朗さんが大学教授に扮して、寅さんと絶妙のやりとりを繰り広げます。「ワットの蒸気機関」という話から、寅さんは第二十作『寅次郎頑張れ!』で二階に下宿した失恋青年・ワット君こと島田良介(中村雅俊)のエピソードを学生たちに披露します。「こいつについちゃ面白い話があるんだ。聞きたい?」と。寅さんは、どこでもマイペースです。
そして、この『寅次郎サラダ記念日』で印象的なのは、江戸川土手で満男から「大学に行くのは何のためかな?」と質問された寅さんが、明快に答える、この言葉です。
「人間長いこと生きてりゃいろんなことにぶつかるだろう、な。そんな時に俺みたいに勉強していない奴は、この振ったサイコロの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるよりしょうがない、な。ところが、勉強した奴は、自分の頭でキチンと筋道を立てて、はて、こういう時はどうしたらいいかな、と考えることが出来るんだ。だからみんな大学行くんじゃないか、だろ」
ここに、寅さんがこれまでの人生で経験してきたことの様々な思いが込められています。第十六作『葛飾立志篇』で、「人間は何のために勉強するのか?」という大命題に、受け売りですが「己を知るためよ」と明快に答えた寅さん。理屈っぽい相手に「手前、さしずめインテリだな」と、「人間は理屈じゃない」と言ってきた寅さんだからこそです。
キクエ婆さん危篤の知らせを受けて、寅さんと由紀が尾崎の車で小諸に向かいますが、残念ながら間に合いません。前半で、キクエ婆さんが別れを告げた真田町傍陽の中込家が、再び画面に出てくるのは、その葬儀のシーンです。あの晩、お婆さんと二人でお酒を酌み交わした茶の間で、寅さんが静かに佇んでいるショットの寂寥感。
やがて、キクエの死に、自分の無力さと限界を感じた真知子は、院長(すまけい)に、本年を漏らします。「しばらく仕事から離れて、自分を見つめてみたいんです。子どもとも一緒に暮らしたい」と。それを聞いた院長は激怒します。
「この病院はあなたを必要としている、それが何よりも大事なことで、あなたが抱えている問題などはたいしたことじゃない。子供と会いたければ呼び寄せればいい。悩み事があるのなら働きながら解決すればいい。そうやって苦しみながらですね、この土地で医者を続けていくことが、自分の人生だってことに、あなた、どうしてその確信が持てないんですか。」
院長は、真知子が抱えている悩みを承知の上で、明快にこう言うのです。寅さんが満男に「自分の頭でキチンと筋道を立てて、はて、こういう時はどうしたらいいかな、と考えることが出来るんだ」と言った言葉と、この院長の言葉が、呼応します。
しかも院長は現場で日々戦っている人です。理屈だけじゃなくて「行動の人」です。同時に、真知子先生に惚れていることもあるのですが。
この作品では、寅さんは明確に失恋するわけではありません。時が来て、また「遊子」は、旅に出るだけです。真知子先生の悩みは、寅さんによってゆっくりと融け始めて、院長先生のこの一言で、消え去った訳ではないでしょうが、行動することで、解消していくことが、示唆されます。この院長が実にいいです。これなら寅さんも納得の二枚目です。見た目はそうでもないですが。