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重喜劇と寅さんの背景 追悼・森崎東監督

文・佐藤利明 イラスト・近藤こうじ
 

 森崎東監督がお亡くなりになった。喜劇作家として「濃厚な庶民性」を全面にした、その作風はパワフルでいて繊細。山田洋次監督の『なつかしい風来坊』(1966年)や『吹けば飛ぶよな男だが』(1968年)の脚本を手掛け、テレビ「男はつらいよ」では、東盛作のペンネームでシナリオに参加、「フーテンの寅」の「愚かしきことの数々」を展開。寅さんのキャラクター作りに貢献。第1作『男はつらいよ』(1969年)のシナリオにも参加。デビュー作『喜劇女は度胸』(1969)年から、森崎ワールドともいうべき、独自の世界を展開した。

 ぼくは少年時代、森崎作品の過激な世界に魅了された。テレビで繰り返し放送される「新宿芸能社」シリーズの濃密さに惹かれた。この仕事をするようになり、とある映画本で森崎監督について書いた原稿を、監督が気に入ってくれて「コピーをして玄関に貼ってあるよ」と仰ってくれたのは本当に嬉しかった。

 『ラブ・レター』(1998年)の劇場用プログラムで、森崎監督にインタビューしたのがきっかけで、お付き合いが始まった。仕事では2008年、衛星劇場「私の寅さん」では、「男はつらいよ」との関わりについてロングインタビュー。さらには「日本映画監督列伝・森崎東」で2時間にわたって、幼い頃の映画体験から『ニワトリはハダシだ』(2004年)までの作品について、対談形式でインタビューをさせて頂いた。

 昨年末、上梓した「みんなの寅さfrom1969」(アルファベータブックス)では、森崎監督と「男はつらいよ」について、監督の証言をもとに詳述させて頂いている。追悼の意味をこめて、第3作『フーテンの寅』について「重喜劇と寅さんの背景」を一部紹介する。

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拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、第3作『男はつらいよ フーテンの寅』についての原稿から抜粋してご紹介します。

 「人類の進歩と調和」の日本万国博覧会が開催される昭和四十五(一九七〇)年一月十五日、前作から二ヶ月と短い間隔で、第三作『男はつらいよ フーテンの寅』が公開されました。第二作を撮り終えた山田洋次監督は、会社から「すぐに第三作を」と要請されますが、その演出に、テレビ版や第一作のシナリオを共作していた森崎東監督を推薦しました。

 ぼくは『フーテンの寅』のエネルギッシュな寅さんを見るたびに、山田監督と森崎監督が、これまで描いてきた世界が、寅さんに集約されていると思います。山田作品をシナリオで支えてきた森崎監督はまた、テレビ版「男はつらいよ」でも第六話から東盛作というペンネームで脚本を執筆。

 残念ながらVTRは残されていませんが、この回はマクナマラ(マーティ・キナート)というアメリカ青年が、寅さんと意気投合、とらやに下宿してさくら(長山藍子)に惚れてしまう、という物語でした。森崎監督が手掛けたのは第十回、第十二回、第十五回、第二十回の五話となります。
 
二〇〇八年、ぼくは衛星劇場の番組「私の寅さん」で、森崎監督に話を伺いました。テレビ版の寅さんと、その最終回について、こんな風に話してくれました。 

「何しろ、(渥美清さんは)光り輝くような演技とでもいいますかね。渥美さんは本当は結核を患ったこともあり、真から健康という訳ではなかったんですけども、この人以上に健康な人を知らない、という感じでしたね。だから、それが魅力だったんですけども、ハブに咬まれて死ぬというのは、よくも思いついたもんだなぁと。ぼくは全く参加していないんですけども。「どう思う?」と山田監督が、ぼくに聞いたときに、(周囲から)エライ反対だったんだということを話していましたが、ぼくは「コロッと死ぬなんてのは、面白いと思うけどなぁ」と応えました。(寅さんというのは)特異なキャラクターでしたから、そんな風に消さないと、消せないんじゃないかしら、という気はしますね」

 その森崎監督は、第一作『男はつらいよ』のシナリオに参加されています。そのとき、山田監督ともども「新しい感じで取り組んだ」ので「テレビ版をなぞろうという気は、二人ともなかった」そうです。第一作で、寅さんが博に言う台詞があります。

 「早え話がだ、俺が芋食って、お前のケツから屁が出るか!」この言葉は、ラジオでも話しましたが、寅さんの情に厚いが、決して他者とはまみえない、スタンスを表明した名台詞です。森崎監督によれば、これは「ぼくの伯母さんがちょろっと言った台詞」を覚えていて、シナリオに活かしたそうです。また寅さんのフレーズとして定着した「労働者諸君!」という言い回しも、森崎監督の義兄の口癖だったそうです。熊本県天草生まれの森崎監督いわく「そういう郷里の民衆性が、寅さんに乗り移っているみたいな気がする」

 「こういうフレーズはどうだろう」「これは?」と山田監督とシナリオを共作しながら話し合い、渥美さんが持っている天才俳優としての希有な才能が演じることにより、車寅次郎のキャラクターが出来上がっていったのです。

 そんな渥美さんが演じる寅さんの「非常に濃厚な庶民性」が、山田監督も自分も好きだったんではないか、というのが、森崎監督の分析です。ぼくもそう思います。

 その森崎東監督は、『男はつらいよ』第一作が公開されてほどなく、渥美清さん主演『喜劇 女は度胸』で監督デビューを果たします。この作品は「男はつらいよ」が愚兄賢妹ものだとしたら、トラックの運転手をしている粗野な渥美さん扮する兄貴と、マジメな堅物の労働者の河原崎健三さん扮する弟がおりなす愚兄賢弟ものです。羽田空港近くの広告ネオンサインの下に、清川虹子さんの母親と花沢徳衛さんの父親と四人で暮らしているのですが、渥美さん扮する勉吉のキャラクターがとにかくパワフルで面白いのです。山田監督も森崎監督も惚れ惚れしたという渥美さんの口跡の鮮やかさ、エネルギッシュな生命力に溢れたキャラクター造形は、感動的です。

 この『喜劇 女は度胸』が公開されてほどなく、シリーズ第三作『フーテンの寅』を撮ることになるわけです。森崎監督は自身のなかにある「香具師・車寅次郎」を徹底的に描こうと、渥美清さんと話をしながら、「旅先での寅さん」の物語を考えます。格差社会での一番底辺にいる寅さんを描こうとしたそうです。香具師の世界を描くなら、ちゃんと香具師の世界を描いてみようと。しかし、その森崎カラーを出す事は、山田洋次監督の世界から遠ざかっていくことでもあり、結果的に森崎監督は、山田監督と宮崎晃助監督、テレビの演出家・小林俊一さんのシナリオにより、テレビからのファン、映画で寅さんに親しんでいるファンが納得するようなかたちで『フーテンの寅』を撮ることになります。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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