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『旅役者』(1940年12月8日・東宝・成瀬巳喜男)

成瀬巳喜男監督研究。久しぶりに『旅役者』(1940年12月8日・東宝)をスクリーン投影。「芸道もの」であるが、1935(昭和10)年の「サーカス五人組」のようなユーモラスな旅一座コメディ。

原作はユーモア作家でのちに落語研究家としても活躍する宇井無愁の1939(昭和14)年の直木賞候補作「きつねと馬」。昭和15年には同作で第1回ユーモア賞を受賞している。「馬の脚」専門の旅役者が、肝心の馬の頭を勧進元に壊されて、大いにクサり、役者の意地から舞台を休演したために、舞台には曲馬団のホンモノの馬が出演することに… 脚色は成瀬巳喜男。

「後脚五年、前脚十年」馬の脚に命をかけているベテラン役者・市川俵六には、藤原鶏太(釜足改め)。その相棒で「後脚」歴二年の若手・中村仙太には柳谷寛。PCL、東宝でバイプレイヤーとして活躍してきた二人が主役。

藤原釜足改め藤原鶏太、「ウルトラQ」の「あけてくれ」でおなじみ柳谷寛



このドサ周りの一座、東京大歌舞伎・六代目菊五郎の触れ込みで、田舎の勧進元には大変な人気の一座である。菊五郎といえば、音羽屋・尾上菊五郎だが、こちらは中村菊五郎。つまりパチモン、インチキである。演じているのはアノネのオッサン、当時大人気のコメディアン・高勢實乗!
 
トップシーン。真夏の田舎町。子どもたちが、屋台のアイスクリームを食べていると、六代目菊五郎一座のお練りがやってくる。走り出す子どもたち。「サーカス五人組」の冒頭のジンタの街歩きと全く同じ演出。アイスクリームは、今の感覚では小さ過ぎるのだけど、当時はデフォルトのサイズだったんだろう。

人力車で、練り歩く一座の花形役者たち。先頭はもちろん座長・中村菊五郎。アノネのオッサン、ノーメイクで、あたりを睥睨するような目線に、インチキとはいえ東京の歌舞伎役者の風格を感じる。

すっぴんのアノネのオッサン!

高勢實乗は、1897(明治37)年に北海道庁函館区に生まれ、七歳で上京して初舞台。だからこの時、芸歴43年のベテラン。若い頃から名古屋を中心に「高勢實一座」の座長として活躍。1915(大正4)年、M・カシー商会『竜神の娘』で映画初出演、1919(大正8)年に日活向島撮影所と契約したのを皮切りに、国活角筈撮影所などを転々とするもいずれも長続きせずに、1921(大正10)年にはなんと「高勢映画研究所」を設立するも3ヶ月で解散。

というキャリアを見ても興味深い。関東大震災後は、東亜キネマに入社。さらには日活向島時代の役者仲間、衣笠貞之助の「衣笠映画連盟」に参加して、相馬一平の芸名で『狂った一頁』(1926)年に出演。その後、松竹下加茂撮影所に入るも林長二郎(のちの長谷川一夫)と折り合いがつかずに退社。で1928(昭和3)年に日活太秦撮影所に入社。次々に時代劇に出演するなか、片岡千恵蔵主演『國士無双』(1932年・伊丹万作)で演じたコミカルな伊勢伊勢守をきっかけに、山中貞雄の『丹下左膳余話・百万両の壺』(1935年)で珍妙なメイクの屑屋役が決め手となり、のちのアノネのオッサンへとエスカレートしていく。

怪優として名を馳せつつあった1938(昭和13)年に東宝へ移籍。長い鼻ひげ、八の字眉、漫画のような丸い目張りを入れた「オッサン」メイクを確立。エノケン、ロッパ、エンタツ・アチャコ、川田義雄の喜劇映画に連続出演。「アノネ、オッサン、わしゃかなわんよ」のフレーズで一世を風靡。出てくるだけで、観客は大笑い。子供たちは一斉に「ア〜ノネ」と真似をした。

高勢實乗

オッサン解説が長くなったが、この『旅役者』(12月8日)公開1ヶ月前には、東宝と中華電影公司の合作よる大作喜劇、エノケンの『孫悟空』(1940年11月6日・山本嘉次郎)で、エノケンと互角に張り合う奇怪団珍妙大王を怪演したばかり。そのアノネのオッサンが、白塗りの二枚目、インチキとはいえベテラン歌舞伎役者の素顔を演じる。もちろんノーメイク、ノー・アノネで! これは、当時の観客にとって、相当なインパクトがあったことだろう。誰もが知っている「アノネのオッサン」の、誰も知らなかった「役者の素顔」がスクリーンに大写しにされる。まさにベストキャスティングである。

というわけで、藤原鶏太、柳谷寛、高勢實乗の「脇役三人」が主演というのもいい。藤原釜足はP.C.L.第1作『ほろよひ人生』(1933年・木村荘十二)、サラリーマン喜劇の嚆矢となった『只野凡児 人生勉強』(1934年・同)などP.C.L.コメディのトップスターとして主演、岸井明と「じゃがだらコムビ」を組んで音楽喜劇に出演する傍ら、成瀬の『噂の娘』(1935年)『君と行く路』(1936年)などで老け役も演じ、この頃はバイプレイヤーとして活躍していた。

中村菊五郎が街中をお練りしている間、芝居小屋ではベテランの「馬の前脚」市川俵六(藤原鶏太)と、若手の「後脚」中村仙太(柳谷寛)は、今夜の演目「塩原多助出世鑑」のための馬の着ぐるみのメンテをしている。「氷でも飲みに行こうか」と俵六。二人で街へ。荒物屋が夏には「氷屋」も兼ねているのだ。昔は、こうしたサイドビジネス(というほどではないけど)一般的だった。

ここで頼むのが「かき氷とラムネ」。翌年の夏、成瀬の『秀子の車掌さん』(1941年・東宝)でバス会社の社長(勝見庸太郎)の好物としてリフレインされる。氷にラムネ。成瀬のお気に入りだったのだろう。試してみると美味しいし。

山根寿子

その氷屋の娘としてワンシーン登場するのが山根寿子。その可憐さに、仙太は思わず目をパチパチ。色目を使うのヴィジュアル化である。娘は慣れた手つきで氷をかく。「あんたたち芝居の人でしょ」「よくわかったね。どんなところでわかるんだ?」「どんなとこって…」とはにかむ。それが嬉しい俵六。

だけど娘は、旅一座の道具方と思い込んでいた。「道具方じゃないと、これでも役者だよ」意外な返事に、戸惑う娘。「どんな役をやるんですの?」
そこで、馬の脚であることを自慢する俵六。「馬をやるなんてのは、なかなか生やさしい芸じゃないんだよ。私はこう見えたってね、後脚を五年、前脚を十年やってきたんだ」と胸を張る。少し恥ずかしがる仙太。こうした何気ないスケッチが楽しい。山根寿子の出番は、これだけだけど、深い印象を残す名シーンである。

小屋の前には晴れがましく「東京大歌舞伎一座 大公演 塩原多助出世鑑 四幕」と演目が張り出されている。近郷近在の人々が大和座に集まり、満員御礼のなか、舞台の幕が上がる。座長・菊五郎が塩原多助。落語や芝居でお馴染みの「青の別れ」の名場面。手塩に育てた愛馬・青を引いて、花道を歩いてくる塩原多助。一座の花形・市村七右衛門(清川荘司)も登場する。ここで、アノネのオッサン、藤原鶏太、柳谷寛の至芸が味わえる。

「芸道もの」ではあるが、どちらかというと「アチャラカ喜劇」の味わい。高勢實乗の独特のエロキューションがおかしい。こうして「中村菊五郎一座」は旅から旅への地方周りを続けている。と、ここまでが前段で、いよいよ次の街で『旅役者』の物語が動き出す。

とある町の有力者・若狭屋(御橋公)と北進館の主人(深見泰三)が勧進元となって、東京の有名な歌舞伎役者「菊五郎一座」と契約、興行を打つので床屋・床甚(中村是好)に一枚乗らないかと持ちかける。床甚には町の連中が集まるので、金をかけて広告を打つより、よほど集客ができるから、である。

六代目菊五郎としか書いてない。インチキの常套。

しかし床甚は、芝居にはちょっとうるさい、面倒臭い親父で「中村菊五郎」がインチキだとすぐに見抜いてしまう。インチキでも収益が上がればいいと北進館と若狭屋は「中村菊五郎一座」を歓迎して、上演準備を始める。エノケン一座の幹部役者・中村是好がステレオタイプではない、ちょっとクセのある田舎のうるさ方を好演。どうしてもインチキであることを暴きたい床甚は、酔った勢いで、楽屋に乱入。あろうことか馬の着ぐるみの上で寝てしまい。馬の頭を潰してしまう。

さぁ困った。これでは初日の幕が上がらない。若狭屋は床甚に怒りを納めさせ、朝までに馬の首を修理することを、座長たちに約束させる。一方、俵六と仙太は、小料理屋の女・お光(清川虹子)とお咲(伊勢杉子)に、例によって「後脚五年、前脚十年」の馬の脚自慢、二人は翌日の舞台を見にくることに。

その夜、蒼白の床甚は、血相を変えて駆け込んだ提灯屋の親父(横山運平)に徹夜で「馬の首」の修復を依頼。ハリボテだから提灯屋なら直せるという安易な考えがとんでもないことになる。

翌朝、座長が俵六に、事情を説明して、自分や勧進元の顔を立てて「なんにも言わずに、今日は演じて欲しい」と頭を下げる。納得できないまま楽屋へ行った俵六は、愛馬の首が、まるでキツネのようになっていることに激怒。これが原作の題名「きつねと馬」の所以である。というわけで、こんなのでは芝居ができないとボイコット。その日は休演となってしまう。

ここで俵六が押し通した「馬の脚」役者の意地が、とんでもない事態を招いてしまう。「塩原多助出世鑑」が上演できないとなると、興行が危うくなる。他の出し物はどうやらなさそう(笑)そこで若狭屋が、前回公演した太平洋曲馬団から買い取った馬・龍巻号を、舞台に出してみてはと、座長に提案。その龍巻号が賢いので、俵六と仙太の代わりに出演させることになってしまう。

面白くないのは俵六と仙太。座長は、勧進元・若狭屋とのトラブルを避けるために、この土地では舞台を休んで欲しい。ついては宿を引き払って小屋で寝泊まりして欲しいと、二人に頭を下げる。

役者の馬よりも本物の馬。俵六はプライドを著しく傷つけられてヤケクソになる。この感覚、例えていうなら『ジュラシック・パーク』(1993年)で恐竜のストップモーションアニメを担当していたフィル・ティペットが、これから恐竜はCGとアニマトロニクスで表現するという方針転換で落胆したことに近いかも。

「本物の馬」より、俺たちの方が「本物の馬」であることが矜持の俵六は、舞台に曲馬団の龍巻号が出演して大ウケなのが納得できない。クサっているところに、小料理屋の女二人が舞台に出てなかったじゃないの、と追い討ちをかける。ならばと、仙太に楽屋から着ぐるみを、持ってこさせて、芝居小屋の前で馬となった俵六と仙太。馬の至芸をお光とお咲の前で披露する。彼女たちが感心するほど、俵六の馬は生き生きとする。ついには、馬小屋の曲馬団の馬を挑発して、馬になりきる。このシーン、馬が本当に驚いているリアクションがいい。

興奮した俵六は、馬の囲いを取り払ってしまい、龍巻号は逃げ出してしまう。それを追いかける俵六と仙太の芝居の馬。本物と偽物の競争となり、街中を駆け抜けていく。疾走する二頭の馬。なんともファンタジックなクライマックス! そしてそのまま「終」のエンドマークとなる。このラストシーンのなんとも言えない爽快さ。たかが馬の脚、されど…である。



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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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