『ひき逃げ』(1966年4月16日・東宝・成瀬巳喜男)
成瀬巳喜男監督研究。『女の中にいる他人』(1966年1月25日)の三ヶ月後の公開。前作はエドワード・アタイヤのミステリの翻案だったが、こちらは松山善三のオリジナル。交通戦争と呼ばれた1960年代、子供たちにとって、国道や街道を走るトラックや自動車は危険だった。まだ横断歩道や、横断信号も普及しておらず、新聞やテレビでは連日、自動車事故で亡くなった子供たちの痛ましい報道がされていた。
団地住まいだった僕が幼児の頃、団地内の道路はともかく、少し離れたお店に行く時など、決死の思いだった。特に日光街道を横断するときは命がけだった。横断歩道を子供が渡っていても、トラック運転手はそんなことお構いなしでぶっ飛ばしていた。おまけに、もたもたしていると「馬鹿野郎!」の怒号が飛んでくる。
そんな昭和40年代、成瀬が手掛けたのは、交通事故で最愛の息子を失ってしまった母親が、理不尽な判決に憤りを感じて、真犯人を探し出して、自分と同じ悲しみを味合わせようとする。松山善三のシナリオは初稿では「復讐」(仮題)で、決定稿では「魔のとき」だった。
戦後の成瀬作品のなかでも、かなり激しい展開である。高峰秀子が演じる母親は、幼い頃から苦労を重ねて、戦後、米兵相手の夜の女をしていた。その回想シーン、フィルムに紗をかけて「あの頃」を再現しているが、『浮雲』(1954年)から12年、ここでの高峰秀子のルックは変わらないのがすごい。
最初から最後まで、高峰秀子の演技に圧倒される。何をしてもうまくいかなかった敗戦後、国子(高峰秀子)は、焼け跡で出会った男、伴内隆一(小川安三)と結婚。男の子を授かる。病院に早々と野球道具を買ってくる隆一は、「大きくなったら野球選手にする」「いや拳闘がいいかな」と、ニコニコしている。ブルーカラーの隆一が子供に抱く夢が「野球選手かボクサー」というのがいかにも、この時代である。
このシーンがいい。夜の女まで身をやつしていた国子が、家族を得て、子供を授かり、幸福を噛み締めて、病院のベッドで涙を流す。
しかし、好人物の夫は早逝してしまい、国子は女手一つで5歳になった息子・武(小宮康弘)を育てている。横浜中華街の、今でいう街中華・楓林で懸命に働いている。一緒に働いているカタコトの日本語の初老の女(出雲八重子)と若い女(浦山珠夫)がいい。出番が少ないのだけど、苦労人のおばさんと、何にも考えていない若い娘。
国子には、幼い頃から共に苦労をしてきた弟・林弘二(黒沢年男)がいて、ヤクザの世界に片足を入れているようだが、さほどワルではない。1964年、第4期オール東宝ニュータレントとして入社、抜身のようなギラギラしたワイルドさで、第二の三船敏郎として、新たな男性スターで売り出し中。成瀬は前作『女の中にいる他人』にバーテン役として起用、続いて本作の重要なパートに抜擢した。
5歳の息子・武が、幼稚園をボイコットして、パチンコ屋で落ちている玉を拾って、遊んでいるところから始まる。武を捕まえて楓林に連れてきて…という滑り出し。いたずらっ子の聞かん坊だけど、国子の溺愛ぶりがよくわかる。
ある日、武は友達と遊んでいて、スポーツカーにひき殺されてしまう。運転していたのは、自動車メーカー・山野モーターズ重役・柿沼久七郎(小沢栄太郎)の妻・絹子(司葉子)。彼女は、若い恋人・小笠原進(中山仁)との情事の帰りだったために、進に迷惑をかけてはいけないと、ひき逃げをしてしまう。
清楚なイメージの司葉子が、不倫の人妻、というだけで、16歳の初見時はドキドキしたが、改めて見ていくと、絹子の優柔不断さ、その場しのぎの嘘が、状況をどんどん悪化させていく。しかも絹子には、被害者と同じ5歳の息子・健一(平田郁人)がいる。成瀬は、この二組の正反対の母と息子をシンメトリックに据えてドラマを展開していく。
次期社長を狙う久七郎は、妻が5歳の幼児をひき逃げしたことが露呈しては、自分の人生が破綻してしまうと判断。運転手・菅井清(佐田豊)に自首させることにする。黒澤明の『天国と地獄』(1962年)で、息子が誘拐されてしまう小市民的運転手を演じていた佐田豊が、そのイメージそのままに好演。捨て駒にされてならないと、自首する条件として終身雇用を久七郎に約束させる。敗戦後、戦地で抑留され、内地に戻ってきたら40を過ぎて、ようやく結婚をして、三人の子供に恵まれるも、末の子がまだ小学生なのに間もなく定年を迎える。その窮状を切々と訴える。しかし久七郎は、とにかく菅井を身代わりにしたい一心で、その話をまともに聞いていない。
このシーンの佐田豊と小沢栄太郎が実にいい。東宝映画で小市民を演じたら天下一の佐田豊といい、回想シーンのみだが国子の亡夫を演じた小川安三とともに、代表作の一つでもある。
で、司葉子である。高峰秀子とダブル主演とのことで、ご本人は相当のプレッシャーだったと伺ったことがある。絹子は、若い恋人・進との逢瀬の帰りだったので、そのことを夫には知られたくない。だけど、幼児を轢いてしまったことだけは告白する。その複雑な心理。小さな嘘の上塗り。ちょっと目線を逸らす芝居で、彼女の嘘を表現している。
本作はほぼ横浜でロケーションをしているが、絹子と進がデートをしているのは、銀座の名曲喫茶「らんぶる」である。成瀬の『妻』(1953年)でも、上原謙と丹阿弥谷津子の不倫カップルがランデブーをしていた。ここへ、柿沼家の女中・ふみ江(賀原夏子)からご主人が戻ってくるから自宅に帰るようにと電話が入る。絹子の不倫を、ふみ江は知っている。それが後半の伏線となる。
というわけで前半、テンポ良く、国子と絹子の置かれた状況が描かれていく。武が自動車事故に遭ったと、弘二から聞いて取り乱す国子。病院で息子の死を受け入れることができずに、そのまま倒れてしまい入院。弘二が見舞いにくるシーンと、武が産まれた病院のベットの回想シーンがリンク。切ないシーンである。
山野モーターズの顧問弁護士・今西(清水元)の老獪な弁護で、菅井の判決は執行猶予付き、3万円の罰金刑で全てが終わってしまう。傍聴していた国子は取り乱すが、どうにもならない。しかし、事故を目撃していたおばさん・兼松久子(浦辺粂子)が「運転していたのは女」との証言で、国子は真犯人を探すために行動を起こす。
というわけで、前作同様、ヒッチコック映画のようなサスペンスとしてもテンポよく楽しめる。もちろん成瀬巳喜男らしい心理描写やリアルな生活感も健在で、息子を失った国子の鬼気迫る表情、事故以来悪夢に苛まれる絹子の憔悴が、巧みに描かれていく。
中盤、名前を隠して柿沼家へ家政婦として潜入する国子が、絹子と息子・健一への復讐のチャンスを狙って、あれこれと妄想するインサートは、これまでの成瀬映画にはなかったもの。松山善三の脚本はサスペンスとして描かれていることもあり、観客にとって、二人の心理が分かりやすく描かれていく。
横浜ロケーションとしては、柿沼家の家政婦となった国子が健一を連れて買い物に行くシーンに登場する橋は打越橋。その下の山元町の道路を次々とクルマが疾走する。そこへ健一を落としたら?と国子が妄想する。打越橋は、横浜市中区打越26番地〜山手233番地にかかるアーチ橋で、関東大震災の復興事業で、1928(昭和3)年8月に架橋された。この橋から国子と健一が手を繋ぎながら歩く坂は、玉元町へ降りる道でもある。
健一は、あまり自分を構ってくれない母・絹子への反動もあり、国子の母性に甘えていく。それゆえ、国子の決意が鈍る。この辺りの心理の変化もいい。結局、この交通事故が、登場人物全員の人生を狂わせてしまい、取り戻すことできない、大きな破綻に向かってドラマは進んでいく。
後半、進が絹子に別れを告げるシーンは、横浜の三ツ沢競技場のスタンド入り口の階段近くでロケーション。横浜市神奈川区の三ツ沢公園にある1951(昭和26)年開場した日本陸連第1種競技場で、映画のロケーションにもしばしば使われている。加山雄三の『エレキの若大将』(1965年・岩内克己)のクライマックスの京南大学VS西北大学のアメフト試合はここでロケーション。
そしてラストシーンで、精神的に壊れてしまった国子が、道路を渡る子供達が事故に遭わないように、黄色い横断旗を持って、小学生や幼稚園児の手を引いて、必死に渡る通行量の多い道路は、中区山元町1丁目。中盤で、健一に殺意を抱いた国子が、本に夢中の健一を置き去りにして、事故に遭わせようとする場面も同じ寝具店と不動産屋の前でロケ。本編には都合三回登場する。
この道路の通行量の激しさ、ドライバーのマナーの悪さには辟易するが、考えてみたら自分の子供の頃は、どこもかしこも、こんな感じだった。特に東京五輪後、日本万国博覧会あたりまでは、児童よりもクルマ優先だった。冒頭にも書いたが「交通戦争」と称されたこの時代のクレイジーさを、改めて思い出させてくれる。
そういえば、この映画の翌年に放映された「ウルトラマン」第20話「恐怖のルート87」(1967年)は、交通事故で失われた幼い生命がテーマのエピソードだった。本作の5年後になるが、「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」第23話「交通事故怪獣クルマニクラス!!」、第24話「危うし!!クルマニクラス」(1971年)でも、交通事故で意識不明となった少年のクルマを憎むエネルギーが増幅され怪獣となる。それほど交通事故は、子供たち、そしてその母親たちにとっては切実な「今、そこにある危機」でもあった。