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『エノケンの近藤勇』(1935年・山本嘉次郎)
エノケンも次回作は再び山本にという意向も強く、8月下旬から9月一杯舞台を休演して映画のスケジュールを調整。こうしてエノケン=ヤマカジ・コンビの次回作は『エノケンの近藤勇』と決定。
『近藤勇』は、『青春酔虎伝』でもふんだんに使われていたジャズソングを盛り込みながら、音楽場面がさらなる充実をみせている。エノケン映画の音楽は、紙共輔、栗原重一という強力なスタッフはもちろん。「譜面がわかる」とエノケンが全幅の信頼を寄せていた山本と、その助監督であり抜群のセンスの持ち主であった伏水修の功績も大きい。
黒澤明監督の回想によると、山本嘉次郎の音楽映画を継ぐべき人は伏水修だったという。伏水は戦時中の1942年、黒澤明脚色の『青春の気流』を最後に急逝。残念なことに一本もエノケン映画を撮ることはなかった。黒澤の盟友でありヤマカジ門下生の谷口千吉監督も、かつて筆者に伏水修の音楽的センスの良さについて話してくれたことがある。
井崎博之氏は、ヤマカジさん同様かそれ以上にエノケンは伏水修を「もっと頼りにしていた人であった。それは伏水修が、音楽に堪能だっただけでなく、ピアノを弾き、自分も作曲出来る人だったからだという」(「エノケンと呼ばれた男」講談社刊・文庫判)。エノケンは井崎氏に「ミュージカル映画というものは、先ず“音楽”そして“歌”ありき。それから“芝居”ありき、さ。だから音楽を知らなければ監督はつとまらない。こんな映画監督は日本にはいなかったものね。伏水修が生きていたらば、彼ならやっただろう」(前掲書)と語ったという。
さて『近藤勇』である。P.C.Lとしては初のエノケン時代劇となったこの作品。随所に音楽的な実験が試みられている。まずジャズソング。時代劇にジャズを取り入れるモダンな感覚は、舞台では当然の「お約束」だったが、映画では前例がないこと。
近藤勇と坂本龍馬の二役を演じたエノケンが、祇園の茶屋で宴会中。二村定一の桂小五郎に「何か新しい歌、時の歌を」と勧められて歌うのが「ララバイ・インブルー」。歌詞に「ニグロの歌、子守歌」とジャズのマインドが折り込まれた歌が流れるモダンさ。エノケン時代劇の真骨頂である。
そして映像と音楽の融合という部分では、タンゴを使った剣の試合のシーン。すり足が、リズム・ステップとなっていく音楽的快感。抑揚のついたエノケンの喋りが歌のように聞こえてくる。
音楽的遊びは、稚児とエノケンが遊ぶシーンの「蛙の夜回り」にも見られる。音楽に合わせて、カエル飛びをして「♪朝まで夜通し〜」と歌って踊っているところに、乱入してくる如月寛多の田代叉八。一緒になって「ガッコゲッコ。ピョン!」とやると、エノケンが「なんじゃい! いい年をして」と突っ込む。
暗殺団が夜陰に乗じて行進するシーンは、「♪殺してしまえ」とオペレッタ風に歌いながらリズミカルに歩く。時々ソプラノやアルトのパートがソロをとるおかしさ。そこに、当時の子供たちが熱狂したという高下駄スタイルのエノケンが現われ、またしてもコミックな殺陣となる。
漫画映画作家の大藤信郎による漫画のお月さまが、チャンバラ・シーンに目を覆って、あたりが真っ暗になる。すべてが終わって暗殺団を倒したエノケンに月明かりが差す。カッコよく去ろうとするエノケン。高下駄の鼻緒が切れて、チンバ歩行での退場となる。
こうして主要シーンごとに、音楽が効果的に使われている。花島喜世子の加納惣三郎! と宏川光子の雛菊によるラブ・シーンは、宝塚もかくやの男装の麗人とヒロインによる浄瑠璃スタイルをとる。
そしてクライマックスの池田屋騒動。新撰組が池田屋の扉を叩く音がリズムとなって、ラベルのボレロの音楽が流れる。入り口でうなずく池田屋主人・柳田貞一。ボレロのリズムに合わせて、台のものを手渡しで二階に運ぶ女中たち。
クラリネットの主旋律とボレロのリズムは、藩士たちの使う扇の動きとシンクロし、階段を上がる主人の動きともピッタリはまっている。観客はこれから起こる騒動が、どんな映画的笑いに満ちているかと期待感をつのらせる。
それまでの動きすべてがサイレント映画のように処理されている。主人が不審者のあることを耳打ちし、緊張感が走る座敷。一瞬止まる音楽。藩士が窓の外を見やると、下には屋台のそば屋がいる。そこに流れるチャルメラの音。さきほどのクラリネットと呼応している。「ご安心めされ、各々方。ワンタン屋でござったよ!」 どっと笑う一同。
「緊張と緩和」という、サスペンスの常道だが、ユーモラスな音楽的処理で、この場の「緊張と緩和」を描写している。
続く、近藤勇ら新撰組と藩士のチャンバラ・シーンは、なんとラテンのジャズソング「ピーナッツ・ベンダー」が使われている。『エノケンの近藤勇』におけるチャンバラ・シーンは、これまでもタンゴを使ったダンス風の動きや、アニメを使っての省略と、さまざまな手が凝らされている。
ここでは、祭り太鼓のリズムに合わせて池田屋に入ってくる新撰組が描かれ、先程の暗殺団の一人がそろばんで新撰組の入場者をカウントしているというギャグ。そしてリズムに乗って階段を駈け上がっていく新撰組たち。とリズミカルに処理されている。
やがて祭り風のリズムに、「ピーナッツ・ベンダー」のイントロがかぶさっていよいよチャンバラとなる。高下駄スタイルのエノケンが右に左に動きながら、相手を切り倒す。切られた相手もリズムに合わせて倒れる。小気味よいチャンバラ・ダンスは、最後の一人を斬って鮮やかに終わる。
『近藤勇』は、見た目のモダニズムではなく、音楽を巧みに取り入れたモダンなチャンバラ・コメディ映画というジャンルを確立。エノケンとヤマカジが目指したハリウッド・ミュージカル・コメディの楽しさに溢れながら、ドメスティックなチャンバラ喜劇の大衆性、そしてジャズソングやミュージカル・シーンではない、音楽とシーンの融合に成功した。
これぞニッポン・オペレッタ映画の楽しさであり、時代劇はエノケン映画においても重要なファクターとなる。余談だが、昭和30年代に一世を風靡したコメディ番組「てなもんや三度笠」に連なる「なんでもあり」のマゲモノ・コメディは、『エノケンの近藤勇』から始まったと見ていいだろう。
続くエノケン映画第四作のメガホンも山本嘉次郎が撮っている。昭和10年の12月に舞台を休演して撮影に望んだのが、タイトルにもあるように「エノケン十八番」の当たり狂言『どんぐり頓兵衛』(36年1月31日公開)だった。年末興行を休演しての映画撮影には、エノケンたちの映画に対するなみなみならぬ思いが感じられる。
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![佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/23177575/profile_8618a9f831e46256519e037e972f1794.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)