『貸間あり』(1959年・川島雄三)
川島雄三の東宝時代の代表作の一つ。昭和34(1959)年に、関西に撮影所がある東宝傍系の宝塚映画で作られた、川島にとっては東宝での四作目で『グラマ島の誘惑』(59)に続く作品。原作は「駅前旅館」の井伏鱒二。東宝時代の川島のキャメラアイとなった、名手・岡崎宏三が撮影を手掛けた。
大阪のとある町。陶芸家のユミ子(淡島千景)は、何でも屋である与田五郎(フランキー堺)にある仕事を依頼するために、彼の住む風変わりな青柳アパート屋敷を訪れる。与田五郎は、語学堪能、小説の代筆、論文の代作など、なんでも器用にこなす才人。アパートではこんにゃくを製造し、キャベツ巻に関しては右に出るものがいないオーソリティでもある。ユミ子と五郎は相思相愛。しかし、五郎のピュアな魂は時として、ユミ子を傷つけてしまう。五郎は、したたかな万年浪人・江藤実(小沢昭一)の口車にノセられ、替え玉受験を余儀なくされたり。アパートに住む人々も多種多彩、奇人変人揃いだが憎めない好人物ばかり。
『幕末太陽伝』でハツラツ、そして軽妙な動きを見せたフランキー堺と、川島雄三コンビによる、スラップスティック感覚あふれる傑作コメディ。風変わりな登場人物の造形による、オフビートな川島コメディの真骨頂。助監督をつとめた藤本義一がシナリオ作りに参加。その顛末は「川島雄三、サヨナラだけが人生だ」(河出書房新社)に詳しい。
脇を固める人物もユニーク。江戸っ子で、五郎の軍隊時代の上官で、アパート屋敷で、五郎の手ほどきを受けて、コンニャクやキャベツ巻を作っている洋さんこと谷洋吉(桂小金治)はその筆頭。何かにつけて「貸間あり」札を作る。その札を下げるのが生き甲斐という人物で、名台詞「サヨナラだけが人生だ」は、この『貸間あり』のなかで洋さんが放つ。ラストの立ちションシーンでは、小金治は、本番ギリギリまでトイレを我慢させられたとか。キビキビとした動き、さわやかな口跡で、いつまでも青春の炎を燃やす純情な五郎と、名コンビぶりを発揮。
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