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第八作『寅次郎恋歌』の背景 『男はつらいよ 寅次郎恋歌』(1971年12月29日・松竹大船・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年5月20日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第八作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)


 一九七〇年代はじめ「男はつらいよ」を上映している映画館は、すごい熱気に包まれていました。立錐の余地もない劇場内のドアが閉まりきらず、通路には人が溢れ、寅さんの一挙手一投足に歓声があがっていました。小学生だったぼくは、一緒に来ていた父から離れ、その人の波を掻き分けて、少しでもスクリーンが見えるポジションを確保するために懸命でした。寅さん、おいちゃん、タコ社長の喧嘩のシーンでは、観客の笑い声とともに、映画館が映画の中に入り込んでしまう、そんな感じでした。

 この第八作『寅次郎恋歌』は、山田監督が「逆さにしても鼻血も出ない」と苦しみながら、第六作『純情篇』第七作『奮闘篇』と作り続けてきたシリーズの大きな転機となった作品です。上映時間一時間五十三分は、それまで最長です。以前にもこのコラムで書きましたが、この作品は東京では洋画ロードショー劇場の丸の内ピカデリーで先行ロードショーされた初の「男はつらいよ」です。

 斜陽の映画界で、公開すれば大ヒットの「男はつらいよ」は、松竹にとってもドル箱。前年の昭和四十五(一九七〇)年暮れには、新宿松竹では『男はつらいよ』『続・男はつらいよ』『フーテンの寅』の三本立てのオールナイト興業が行われ、サラリーマン、学生、水商売の女性で劇場が溢れかえっていたと、劇場関係者から伺いました。

 昭和四十四年には二本、昭和四十五年には三本とハイペースで作られてきたのも、こうした寅さんファンの期待に応えるためでした。

 『寅次郎恋歌』が作られた昭和四十六年も、一月十五日に『純情篇』、四月二十八日に『奮闘篇』、そして十二月二十九日の『寅次郎恋歌』は三本目の新作となります。しかも、松竹系の映画館では「寅さんまつり」と題して、『新 男はつらいよ』『フーテンの寅』『望郷篇』の三本立てが、オールナイトではなく通常興業で行われていました。 映画館には「寅さん」を楽しもうというファンで溢れていました。ぼくの小学校低学年の頃の話です。

 さらにブームに拍車をかけたのが、シリーズのテレビ放映です。『寅次郎恋歌』公開に先立って、昭和四十六年秋、東京12チャンネル(現・テレビ東京)では、日本の喜劇映画を毎週放送する喜劇映画枠が、日曜日のゴールデンタイムで始まりました。ぼくはこの枠で、森繁久彌、フランキー堺、伴淳三郎さんの『喜劇 駅前旅館』(一九五八年)や、渥美清さん主演、瀬川昌治監督の『喜劇 急行列車』(一九六七年)などの喜劇映画の洗礼を受けました。その枠で、鳴り物入りで放送されたのが『男はつらいよ』と『続・男はつらいよ』でした。小学校二年生だったぼくは、業界紙の編集をしていた父のテープレコーダーを借りて、テレビの前で、その音声を録音しました。ラインをつないで録音するという知恵もなく、家族になるべく喋らないように頼んで、放送を固唾をのんで観ていました。

 後で知ったことですが、このとき、東京12チャンネルが、「男はつらいよ」によって巻き起こった喜劇映画ブームのなか、『フーテンの寅さん誕生』という『寅次郎恋歌』のメイキング映画を製作していたのです。DVDボックスに特典収録されているので、ご覧になった方も多いと思いますが、『寅次郎恋歌』の柴又ロケ、大船撮影所での「とらや」のセット撮影、備中高梁でのロケーションなどのメイキング映像に、渥美清さんと山田監督の対談、池内淳子さん、倍賞千恵子さん、前田吟さん、森川信さん、三崎千恵子さんのインタビューで構成されています。

 巻頭の大空小百合(岡本茉利さん)の坂東鶴八郎一座との出会いとなった【とある海岸の田舎町。ある芝居小屋】の撮影が行われた神奈川県三浦町のロケーションなどの珍しい映像が記録されています。大船でのセット撮影での、寅さんが帰ってきたシーンのリハーサルを観ていると、どんな風にシーンが固まっていったのかが、よくわかります。高梁ロケでは、宿泊先の油屋旅館での本読み風景が記録されていて、博のお母さんのお葬式の後の、墓所での「はい、泣いて」のシーンの出演者による本読みが記録されているのです。

 この『フーテンの寅さん誕生』の製作が松竹と東京12チャンネルです。おそらくは公開前に、テレビ放映されたのでしょう。まだメイキングという概念がなかった頃ですので、もしかしたら日本映画初のメイキングかもしれません。

 ともあれ、このころから「男はつらいよ」シリーズがテレビでも楽しめるようになり、さらにファンが増えていきました。フジテレビの「ゴールデン洋画劇場」日本テレビの「水曜ロードショー」NET(のちにテレビ朝日)の「日曜洋画劇場」TBSの「月曜ロードショー」などの洋画劇場枠では、当初は日本映画は滅多に放送されていなかったのですが、丸の内ピカデリーで『寅次郎恋歌』がロードショーされ、洋画劇場でのロードショーが通例化されていくうちに、特別枠として「男はつらいよ」を放送するようになりました。

 一九七〇年代半ばから一九九〇年代はじめにかけて、春と秋の改変期になると、洋画劇場の枠で「男はつらいよ」シリーズを、各局回り持ちで放送することが定着しました。ぼくは、必ずその放送を録音していました。

 やがて一九八〇年代はじめになると家庭用のビデオデッキが普及しはじめ、かなり高額だったのですが、冬休みにアルバイトをして、お金を貯めて、ビデオデッキを購入して、初めて録画したのが、「日曜洋画劇場」でオンエアされた第十作『寅次郎夢枕』でした。

 基本的に、局が変わっても、製作順にオンエアされていたので、第八作『寅次郎恋歌』は、ビデオソフトが出るまでは、一九七〇年代末にテレビ東京で放送された二時間半枠を録音したものを繰り返し聞いて、作品を思い出していました。

 そのカセットを再生するときに、テキストにしていたのが、立風書房から刊行されていた「男はつらいよ」「立風寅さん文庫」(シナリオ集)、そしてキネマ旬報に年二回掲載されるシナリオでした。音を聞きながらシナリオを読む。山田洋次監督と監督助手の朝間義隆さんが紡ぎ出した物語、寅さんの言葉、一つ一つを耳で聞き、文字で掬いとることで、ぼくのなかで「男はつらいよ」の世界が広がっていきました。

 その後、映画について原稿を書くことが生業となり、文化放送で「ラジオで聴く男はつらいよの世界」として「みんなの寅さん」の構成作家となり、パーソナリティをつとめたのも、少年時代から「音で楽しむ男はつらいよの世界」を味わってきたことが大きく影響しています。映画を音で聞いてイマジネーションを湧かせて、想像し再現する。毎回ご紹介している「寅さん名場面!」が好評なのも、リスナーひとりひとりの心のスクリーンに、それぞれの「男はつらいよ」体験が投影されているからだと思います。

 さて第八作『寅次郎恋歌』には、これから続くシリーズの、さまざまな「始まり」があります。寅さん流に言えば「ものの始まりが一ならば」です。寅さんと旅役者・坂東鶴八郎一座の座長(吉田義夫)と一座の花形女優・大空小百合の出会いが描かれています。

 山田洋次監督の『馬鹿まるだし』(一九六四年)での怪力男騒動は、坂東鶴五郎一座でしたが、鶴八郎は、もしかしたら弟子筋かもしれません。それはさておき、坂東鶴八郎一座は、第八作からしばらくして第十八作『寅次郎純情詩集』に登場しますが、実はその間にフジテレビのドラマにも登場しています。

 山田洋次監督脚本、小林俊一ディレクター演出、ということはテレビ「男はつらいよ」を生み出した二人です。昭和四十九(一九七四)年十月七日放送の「ふたりは夫婦」第一話「食客(いそうろう)」という一話完結のドラマです。

 結婚二年目を迎えた吉永小百合さんと小坂一也さんの若夫婦のもとへ、渥美清さん扮する伯父さんがふらりと現れ食客(いそうろう)を決め込んでします。この伯父さん、親戚(三崎千恵子、太宰久雄)たちのもとに現れては迷惑ばかりかけている、鼻つまみ者。甥の小坂さんは迷惑顔ですが、その妻の小百合さんは伯父さんになにかと親切にします。視聴者的には、歌子と寅さんの楽しい日々が設定を変えて続いているようにも見えます。

 この伯父さん、昔は旅役者に憧れて放浪していたこともあり、今は放送作家になっているのですが、あるとき、バッタリ、昔なじみの旅役者の座長(吉田義夫)とその孫娘で一座の花形女優の大空ひばり(岡本茉利)を連れてきます。伯父さんは小百合さんに「オレの女房ということにしてくれ」と頼み、二人はにわか夫婦になります。

 そこで吉永小百合さんと岡本茉利さんの夢の共演となります。ファンにとっては、大空小百合と吉永小百合、二人の「小百合」の共演はたまりません。さすがにドラマでは、大空ひばりという役名でしたが。このドラマ、フジテレビに残っていれば、ぜひ、観るチャンスを作って頂きたいと思います。ナレーションは森繁久彌さんでした。

 第八作には、源ちゃんこと佐藤蛾次郎さん、「続・みんなの寅さん」の放送でも話してくれましたが、交通事故で入院されて出演されていません。源ちゃんは全四十八作のうち、この作品だけ出ていないのです。山田洋次監督と朝間義隆さんによるシナリオの準備稿から「幻の源ちゃん登場シーン」をご紹介します。

#65山門裏
 源公、見るからに悪そうな少年を二人前にして寅の前をして見ている。
源公「またお遭いしましたね… お笑い下さいまし、この馬鹿な寅は、こないだお逢いしてよりずーっとあなたのことを、おしたい申しておりました… お貴さん…」
 と振り返ると寅が学を従えて立っている。源公、逃げるに逃げられず真蒼になる。
寅「よう、源ちゃんよ、一寸きな」
 と残忍な笑顔をうかべる。

#66「ローク」
もう夕方である。客はいない。仕事の合間の一段落を、スタンドの客席に腰を下ろして一息ついている貴子。その表情に疲労の色が濃い。すぐ近くの寺の鐘がゴーンゴーンと懐しい音を響かせ始める。

#67 鐘楼
 夕焼け空を背景に鐘が鳴っている。しかし、よく見ると鐘をついているのは寅である。そして鐘の下から源公の脚が出てバタバタ逃げ出そうともがいている。それを蹴とばしておどかしては物凄い形相で力一杯鐘をつく寅。鐘の中で悲鳴をあげ泣いている源公。学と友達二人がびっくりして見上げている。

 源ちゃんと寅さんの幻のシーン。満員の観客の抱腹絶倒の笑い声が想像されます。寅さんが鐘楼に登るのは、後にも先にもこのシーンだけですから。「続・みんなの寅さん」で、蛾次郎さんが仰っていた「悪魔的存在」の源ちゃん、想像するだけで、おかしいです。


この続きは、拙著「みんなの寅さんfrom1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。



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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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