『あした来る人』(1955年)
川島映画の男と女たち
日活製作再開一周年記念映画として、『あした来る人』は昭和30(1955)年5月29日に封切られた。前作『愛のお荷物』からわずか二ヶ月後というハイペースな公開だった。川島雄三が日活に残した映画はおよそ二年間に9本。いずれも佳作揃いで、松竹のプログラムピクチャー時代を経て、この作家が円熟の境地に達しつつあったことが、作品のクオリティからも推察される。
さて『あした来る人』は、産児制限をめぐる狂騒曲的な喜劇『愛のお荷物』とは全くタイプの異なる文芸ドラマ。原作は井上靖が、朝日新聞に昭和29(1954)年3月27日から11月3日にかけて連載した新聞小説。
登山に夢中の夫・克平に不満を抱いている妻・八千代が、魚の研究に熱中している青年・曾根と出合い、夫にはない男性的魅力を感じる。一方の克平は、美貌の洋裁家・杏子との不倫に苦悩する。それぞれが、それぞれの形で「昨日の人」である梶大介の庇護を受け、「あした」を探している。戦後10年、若者たちが自分たちのアイデンティティを探し、苦悩し、自由に生きる道を選ぶ。「あした来る人」である若者たちと、「昨日の人」の老実業家との交流は、井上靖らしい人間洞察の深さと軽妙な文体で、数多くの読者に支持された。
その映画化にあたり、ヒロイン八千代にキャスティングされたのは、宝塚出身の戦前からの大スター、月丘夢路。戦後は松竹と契約し、清楚な魅力をふりまき、変わらぬ美貌でスクリーンを艶やかに彩っていた女優である。その日活入社第一作として、鳴り物入りで迎えられたのが『あした来る人』であった。井上靖原作、川島雄三作品のヒロインとしては松竹時代の『昨日と明日の間』(1954年)に続いてのものとなる。月丘の回想によると、ヒロイン八千代について井上靖は「書いているうちに、また月丘さんみたいな人が出て来ちゃったの」と話したという。倦怠期を迎えた人妻が、夫への不満を、他の男性への思慕に向ける。『昨日と明日の間』でのヒロインも、夫がありながら鶴田浩二に惹かれてしまう人妻を演じていた。当時の流行語で言うと「よろめき妻」ということになる。
その八千代の父・梶大介に扮したのは、再開日活で軽妙な喜劇から重厚なドラマまで幅広く演じていた山村聰。井上靖原作の社会派ドラマ『黒い潮』(54年)では、メガホンをとっており、監督としても高い評価を受けていた。また川島雄三とは前作『愛のお荷物』で組んだばかりだが、前作のカリカチュアされた政治家とは一変。今回は自らの裁量で会社を切り盛りしてきた老実業家の公的な部分と、家庭での父親ぶり、そして若い女性のパトロンという三つの面を好演。家では風呂の釜炊きから、食事の調理まで、実に旺盛に生活を楽しんでいる。一方では人生の先輩として、悩める四人の若者たちを、さまざまな形でサポートする。特に、第二ヒロインである新珠三千代扮する杏子とのプラトニックなパトロン関係は、セックスだけではない男女の愛情のあり方が提示されている。
川島映画の男性たちは、何かに熱中するあまり、その行動が時には奇行として他人の眼に映ることもしばしば。この『あした来る人』で、三橋達也が扮している克平は、山登りに熱中するあまり、妻を顧みない。子犬をいとおしそうに抱き、カラコルム山脈制覇の夢を語り、その実現のためには会社を辞めることもいとわない。そんな克平もまた、義父である梶大介を、山登りのための大事なパトロンとして頼りにしている。
八千代が心惹かれるソニヤンこと、曾根(三國連太郎)もまたカジカの研究に熱中している。冒頭、八千代の紹介で「カジカの研究書」出版費用を出して貰うために、大介を訪ねるシーン。相手かまわず、カジカについて熱く語り出すショットに、八千代と出会った汽車のシーンがカットバックされる。その編集のテンポの良さ。同時に、曾根のカジカへの情熱が観客にストレートに伝わってくる。三國連太郎自身「釣りバカ日誌」のスーさんというかハマちゃんの原型のようなお魚の研究家を演じた時のエピソードを、筆者に話してくれたことがある。
何かに取り憑かれている男性という点では、克平と曾根のタイプは良く似ている。この二人のキャラクターは、川島喜劇にしばしば登場する奇妙な男たちのリアルな原型ともいえる。その男たちの仲間もまた、まるで子供のようである。克平の山の仲間であるドクトル三沢(小沢昭一)、アルさん(高原駿雄)。曾根の研究仲間である三村(金子信雄)。彼らは、自分が熱中している対象がある限り、女性や家庭といった煩わしいものから解放されているようである。
さて、克平と惹かれ合うことになる杏子は、銀座のブティックを梶大介に任されている。もちろん当時はブティックという言葉はなく、モダンな洋装店を切り盛りし生計を立てている。そういう意味では、パトロンの庇護を受けてはいるが、自立する女性でもある。その清楚な魅力は、八千代を演じる月丘夢路の成熟したおとなの女性と好対照をなす。
川島映画のヒロインは、八千代のような肉感的な「おとなの女性」と、しっかり者の「清楚な女性」に大きく大別され、その二つのタイプの女性の生き方が一つの作品のなかで提示されることが多い。例えば『幕末太陽伝』(1957年)でのおそめ(左幸子)や、こはる(南田洋子)は、女郎という「おとなの女性」であり、おひさ(芦川いづみ)はしっかり者の「清楚な女性」である。奔放な女性が発散する性的なエネルギーと、堅実で清楚な女性が持つ強さとしたたかさ。飯沢匡作の喜劇『グラマ島の誘惑』(1959年・東京映画=東宝)では、南海の孤島で慰安婦たちと、報道班として戦地に赴いた職業婦人の対立を描きつつ、桂小金治の中佐にベッタリの年増娼婦・たつ(轟夕起子)と、清楚な戦争未亡人・とみ子(八千草薫)の対比が描かれる。前者は、食と性という欲望を満たすために生きる女性であり、後者は夫の遺骨を守りつつ現地の男性ウルメル(三橋達也)との恋愛感情を優先させるという進歩的な女性でもある。「肉体」か「精神」か? 川島映画のヒロインたちのありようは、川島の女性感のある側面を象徴しているのかもしれない。
『幕末太陽傳』のおひさは、女郎として座敷に上がるより、さほど好きでもない若旦那(梅野泰靖)に「お嫁さんして」と迫る。彼女はすでに精神的に自立しているのである。このキャラクターは、『人も歩けば』(60年・東京映画=東宝)の清子(小林千登勢)などに継承されていく。
『あした来る人』の少年のような男性たちと、二人の異なるヒロインたち。四人の男女をめぐるドラマを見守る立場の老実業家もまた、杏子から「好きな男性ができた」と告白され、男性としてうろたえる。
菊島隆三の脚本は、井上の原作を踏襲しつつ、それぞれのキャラクターの魅力を映画的に拡げている。松竹撮影部時代から川島とは交流のあった、名手・高村倉太郎によるキャメラ。「信用ある日活映画」のビジュアルを作り上げた中村公彦の美術。日活における川島組のスタッフが、実に素晴らしい仕事ぶりを見せてくれる。松竹時代、職業監督としてプログラムピクチャーを黙々と作り続けて来た川島雄三だったが、日活に移籍し、充分な予算と充実のスタッフを得て、一作一作丁寧に、多彩な作品群を作り上げ、作家の時代を迎えることとなる。本作の現場でもチーフ助監督、今村昌平がパワフルに現場をサポート。
川島組は、続く都会派風俗ドラマ『銀座二十四帖』(9月16日公開)のための準備に入ることになる。
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