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エンタツ・アチャコの『水戸黄門漫遊記』(1938年・齋藤寅次郎)前篇

 昭和11(1936)年、『あきれた連中』(伏水修・岡田敬)に始まる、エンタツ・アチャコ映画は吉本興業の映画界進出の先鞭をつけ、大阪の笑芸「しゃべくり漫才」を、映画を通して全国区の笑いにした。しかも東宝映画の前身であるP.C.L.映画のモダンな都会的センスと、大阪弁のマッチングにより、1936年型の最新の笑いとして、津々浦々までその人気は広がっていった。
 
 座付き作家の秋田實による、横山エンタツの持つ究極のボケとも言うべき「ワンダーな笑い」を生かしたシチュエーションが次々と生まれ、『僕は誰だ』(1937年)の「もう一人の自分との出会い」による「アイデンティティの危機」というハイブロウなテーマにまでエスカレートしていた。仕方のないことだが『心臓が強い』(1937年)の大谷俊夫、『僕は誰だ』の岡田敬と、P.C.L.の監督による演出は、エンタツ・アチャコの持つ「モダンな笑い」を映画的に活かすことができず、作品はマンネリというか、どんどんレベルダウンしてきた。

 エノケン映画における山本嘉次郎のような名伯楽がいれば、もっと面白くないのに・・・とつい思ってしまうが、神様はいた! 昭和13(1938)年、その救世主が現れた。松竹蒲田でデビューを果たし、松竹大船にかけて、すでに90本以上の喜劇映画を撮り続けて「喜劇の神様」と呼ばれた斎藤寅次郎監督が移籍。この年『エノケンの法界坊』(6月21日)を大成功させた。

 人気コメディアンの持ち味を最大限に活かしつつ、寅次郎喜劇は「映画的に面白い」ヴィジュアル・ギャグを次々と考案。エノケンの笑いに、斎藤寅次郎のナンセンスな笑いが融合して、喜劇映画の面白さが倍増していった。

 その斎藤寅次郎がエンタツ・アチャコ映画に参加したのが『水戸黄門漫遊記』である。エンタツ・アチャコの『僕は誰だ』(1937年9月14日)からおよそ一年、漫才映画ではないエンタツ・アチャコをメインにした大作喜劇映画となった。前篇『東海道の巻』(8月11日・73分)、後篇『日本晴れの巻』(9月18日・72分)からなる147分の大作である。前年の同じ時期に、やはり前後篇大作で大ヒットした『エノケンのちゃっきり金太』(1937年7月11日・8月1日)同様の時代劇の「道中もの」である。

 脚本はこれまでの秋田實に変わって、日活多摩川で『のぞかれた花嫁』(1935年・大谷俊夫)や『ジャズ忠臣蔵』(1937年・伊賀山正徳)などのコメディを得意としてきた小国英雄。やはり日活出身の山本嘉次郎監督の人脈で、昭和13年1月20日公開、岡譲二主演『鉄腕都市』(渡辺邦男)で東宝に移籍したばかり。

 斎藤寅次郎が仕掛けたのは「エンタツ・アチャコの漫才」を映画に取り入れるのではなく「漫才で浸透しているエンタツ・アチャコのおかしさ」をヴィジュアルに置き換えること。二人を弥次喜多のようなコンビにして、東海道を西へ西へ旅する間に、様々な喜劇的状況に放り込んで、そのリアクションを様々なかたちでヴィジュアル化することだった。

 しかもオールスター。「横山エンタツ 花菱アチャコ主演」「柳家金語楼 特別出演」「徳川夢声 高勢實乗 助演」とトップタイトルに出てくる。漫才のエンタツ・アチャコに、「兵隊落語」で一斉を風靡、タレント噺家の祖として東京吉本所属で大人気の金語楼。そして東宝映画で俳優としても活躍していた活動弁士出身の漫談家の徳川夢声と、主役クラスを並べている。さらに「アノネのオッサン」として、この後、東宝映画の最終兵器となる高瀬實乗を大々的にフィーチャー。本作では二役で、かなり作り込んだキャラクターで笑わせてくれる。総集篇を観る限りだが、この映画の爆笑シーンは、ほとんどエンタツとアノネのオッサンの絡みとなっている。

水戸黄門光圀公(徳川夢声)
佐々木助三郎(深見泰三)
渥美格之丞(大崎時一郎)
藤尾重兵エ(藤尾純)
犬賢者(森野鍛治哉)
田丸傳三郎・山賊の頭(高勢實乘)

おつゆ(江戸川蘭子)
お銀(渋谷正代)
信乃(山根寿子)
女中(若原春江)
腰元(江島瑠美)

大工辰五郎(横山エンタツ)
大工阿茶吉(花菱アチャコ)
講釈師梧山(柳家金語楼)

 助監督にあたる製作主任には、若き日の市川崑と小田基義。撮影スタジオは東宝映画京都撮影所。音楽はエノケン映画の栗原重一。『エノケンの法界坊』に続いて、その音楽センスを斎藤寅次郎に買われての続投である。なので歌や音楽が効果的にギャグに生かされている。

 トップシーン。時はあたかも犬公方・徳川綱吉の世。大名行列が進むなか、籠から降りた犬賢者(森野鍛治哉)が、茶店の「酒」を「お犬さまが所望している」と腰元に持ってこさせ、犬に飲ませるフリして、グビグビと飲み始めて上機嫌。森野鍛治哉は「ムーランルージュ新宿座」のトップコメディアンで、P.C.L.映画に引き抜かれて、P.C.L.初期の『純情の都』(1933年)や京都のJ.O.スタヂオ製作の『恋の舗道』(1934年)などに続々と出演していた、いわば映画のコメディアン。酔った犬賢者が気づくと、お犬様はどこかへ逃げてしまって大騒ぎとなる。

 それをじっと見ていた黄門様(徳川夢声)は、「生類憐みの令」に嘆き、なんとしても「上様に進言して改めて諌言を申し上げ、庶民の苦しみを救わないと」と、堂々たる黄門様ぶりを見せてくれる。

一方、大工の辰五郎(横山エンタツ)と阿茶古(花菱アチャコ)が、左右からカンナを引きながら後ろに下がってきて、尻と尻がぶつかって。

アチャコ「何をしとるんやホンマに」
エンタツ「なんや」
アチャコ「ケツ直せ、ケツ」
エンタツ「これか? これは治されへんのや」
アチャコ「直されへんって、どこを削ってるんや? そんなところを削る奴があるか。もっと他のところを削れ」
エンタツ(梯子を削り始める)
アチャコ「そら、梯子やがな」
エンタツ(アチャコの腕を削り始める)
アチャコ「そら、手やがな。手、削ってどないするんや」
エンタツ(カンナをどこかにしまおうとする仕草。アチャコの懐に入れようとする)
アチャコ「自分で片付けい、頼りないやっちゃな、ホンマに」

冒頭のエンタツ・アチャコの初登場シーン。これまでの映画では、二人が左右からやってきて正面でぶつかって、いきなり「漫才」となるスタイルだった。それを逆手にとって、大工の二人が、それぞれ後ろ向きに材木をカンナで引いていて、尻と尻とがぶつかる。アチャコのツッコミは「しゃべくり漫才」なのだが、カンナを持ったエンタツは、挙動不審なアクションでボケてゆく。まぁ、漫才の進化でもあるのだけど、エンタツの持つ奇妙なおかしさが炸裂して、とにかくおかしい。

アチャコ「飯の時間やな。ま、オレ都合があって飯食えん」
エンタツ「飯くえんの?耳悪いの?」
アチャコ「なに?」
エンタツ「耳悪い?」 
アチャコ「それやったらメシ食えんやないか」

この「耳悪いの?」は、昭和9(1934)年、エンタツ・アチャコが人気絶頂の時、アチャコが中耳炎にかかり入院して、コンビは一旦解消となった。だから「それやったらメシ食えんやないか」と。いきなり自虐的な楽屋落ちを投入してくる(説明しないと、なんのこっちゃだかわからないが・笑)

 で、アチャコが飯をエンタツと食べられないのには理由があって

アチャコ「女房を貰うた」
エンタツ「何人貰うた?」
アチャコ「60・・・な、ナニ?」
エンタツ「何人貰うた?」
アチャコ「何人貰うたって、女房は一人やないけ」

 というわけで恋女房・おつゆ(江戸川蘭子)が持ってきたお弁当を仲睦まじく食べるアチャコ。デレデレするアチャコ。そこでいきなりおつゆが「あなたなしでは」(作詞・佐伯孝夫 作曲・佐々木俊一 歌・能勢妙子)を歌い出す。江戸川蘭子は、S K Dのトップスターで昭和11年に退団。コロムビアの歌手として活訳しながら東宝映画に出演していた。

 その「あなたなしでは」の歌に合わせて、大いにクサっているエンタツが、のこぎりでリズミカルに材木を切っている。アチャコ夫婦のデレデレに呆れ果て、その姿を眺めているうちに、間違って大黒柱にのこぎりを入れ始めるエンタツ。弁当を使いながら、恋女房の歌声にうっとりするアチャコ。そこへ、くだんのお犬様がやってきて、弁当を食べ始め、アチャコが追い払おうとすると、ノコで切られた大黒柱にぶつかり、盛大な屋台崩しとなり、建前中の屋敷は、豪快に崩れ去る。

 まるでバスター・キートンのサイレント喜劇のような大仕掛けのヴィジュアル・ギャグ。エンタツが間違えて大黒柱にのこぎりを入れるボケの壮大なオチとして、斎藤寅次郎はこれまでにないスケールの屋台崩しを用意したのである。このシーンは、何度観てもおかしい。

 しかも、お犬様は、崩れた材木の下で、まるで短編漫画映画のように「ぺっちゃんこ」となる。これも寅次郎の好きな「視覚ギャグ」である。

というわけで、エンタツ・アチャコは江戸にいられなくなり、旅支度をして深夜の日本橋へ。
「弥次喜多もの」のパターンである。そうこの映画は「水戸黄門」と「弥次喜多」のエッセンスで構成されている。その旅立ちまでのアチャコの長屋での一悶着も、エンタツ・アチャコの話芸を活かして、手際良く展開される。映画のリズムに、エンタツ・アチャコのリズムが乗って小気味が良い。

 日本橋では、「宵待草」のメロディーが流れるなか、おつゆの「あなた」の声で、アチャコは逆戻り。そのたびにエンタツが待たされるので、その場にしゃがむ。それがどんどんエスカレート。エンタツは伸びたり縮んだり。夕方の旅立ちが深夜となり、「あなた」「あなた」で朝方になってしまう。この極端さ!

エンタツ「だいたい、お前が悪いんやで。いつまでもグズグズグズグズしてるさかいに、お互いに長屋を立つ時は、お天道様が高かった。それがいっぺん下に落ちて、また上がりかけれるやないか。ええ加減にしとけ。おい(中略)。行こと思たら『あなた』。貴方も此方も日向もあるかい! そんなことするから、身体が上がったり、下がったり、下がったり、上がったり、しわくちゃだらけやないか!どないする?」

と、珍しくツッコミ始める。そこで、おつゆの歌声「♪橋を渡れば 旅の空 別れ別れの 月の影 ところ変われば 心も変わる 貴方のことが 気に掛かる〜」と、淡谷のり子の「別れのブルース」の替え歌が流れる。エンタツ・アチャコの話芸に、流行歌の替え歌。斎藤寅次郎の「映画を面白くするため」のあの手この手が、リズミカルに展開されて、ここから『水戸黄門漫遊記』の物語が動き出す。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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