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生きてりゃ、いいこときっとある『男はつらいよ 寅次郎物語』(1987年・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2024年1月13日(土)BSテレビ東京「土曜は寅さん!」で第39作「男はつらいよ 寅次郎物語」放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、ご紹介します。

 後期「男はつらいよ」シリーズのなかで、車寅次郎という人物の生い立ちから、その心情にまで寄り添ったという点でも、第三十九作『寅次郎物語』は、ぼくも大好きな作品です。

 公開された昭和六十二(一九八七)年は、バブル経済まっただ中、毎日が躁状態という感じで、今思えば不思議な時代でした。イケイケのお姐ちゃんたちが街を闊歩し、六本木や麻布にはブランドを身につけ、高級外車を乗り回す。バブル紳士と淑女が溢れていました。ともすれば「寅さん=ダサい」なんて乱暴なことを言われてしまうような、そんな時代の「男はつらいよ」です。

 マドンナには、一九七〇年代「シラケ世代」の象徴として、数多くの映画やドラマに出演していた秋吉久美子さん。それまで寅さんに抱いていたイメージは、子供の頃に観た「泣いてたまるか」やテレビ版「男はつらいよ」「やんちゃな下町のお兄さん」で、自分がマドンナになるという意識はなかったそうです。ご自身「イケイケだった」という一九八〇年代後半、秋吉さんが「男はつらいよ」の現場を通して、何を感じたかは、二〇一三年四月の「みんなの寅さん」で語って頂きました。

  秋吉さんが演じたのは、化粧品会社の美容部員として、奈良県エリアをルートセールスしている高井隆子という女性。軽自動車に沢山の化粧品を積み込んで、旅から旅の暮らしをしています。そういう意味では寅さんと同じ渡世人です。彼女が、おそらくは自分のことをあまり思ってくれていないであろう恋人と、一夜を過ごそうとした奈良県吉野の旅館・八木屋翠山荘に寅さんが一緒に母親を探している秀吉少年がやってきます。恋人が都合で来れなくなり「もうどうにでもなれ」と思っていたときに、隣室に泊まっていた寅さんと一緒の秀吉が高熱を出して大騒ぎとなります。

 寅さんが医者を呼びに行こうと慌てていると、隣室の隆子が「大丈夫、私が看てるからお父さん、早う行きなさい」と、看病を引き受けます。ここでは、支配人の長吉(笹野高史)と隆子、寅さんに加えて、ベテラン・松村達雄さんが老医・菊田医師の役で登場。二代目おいちゃんを演じた松村さんは、こうしたインテリが似合います。この旅館のシーンは、非常事態ですが、喜劇的状況でもあり、芸達者の抜群の間(ま)が楽しめます。

 細かいギャグがちりばめられ、練り上げられた名場面です。この後、寅さん部屋から出ていくときに、隆子が「おとうさん、帳場に寄ってタオル何枚か、届けるように言うて」と声をかけると、寅さんが「よし、かあさん頼むぞ」と答えます。ここで、隆子が寅さんを「とうさん」、寅さんが隆子を「かあさん」と呼ぶことになります。

 不幸な身の上の秀吉の病気を、縁もゆかりもない人たちが懸命に看病することで、つながりが出来る名場面です。ここから寅さん、秀吉、隆子は、まるで家族のような関係となります。ひとときの疑似家族が、隆子の心の屈託、親を失った秀吉、そして孤独な寅さんの心の隙間を埋めていきます。

 家族と縁遠い三人が、 家族のように子供の病気という問題を乗り越えようと懸命になります。『寅次郎物語』のメイン・ストーリーは、寅さんの友だちだったテキ屋の遺児・秀吉の母親探しの旅です。その旅の途中で、行きずりで出会った隆子というマドンナが、寅さんと秀吉との出会いによって、癒されていく いわば再生の物語です。山田洋次監督は、デビュー作『二階の他人』(一九六一年)から『東京家族』(二〇一三年)など一貫して、「幸福について」をテーマに、さまざまな「家族のかたち」を描いてきました。

 それは『寅次郎物語』にも通底しています。隆子は寅さんとともに必死の看病をして、その甲斐あって秀吉は回復をします。朝、喉が渇いたと秀吉に起こされた隆子が「良かった、がんばったねえ、坊や」と声をかけます。隆子の心が浄化されていったような爽やかなシーンです。翌日、寅さんと隆子が金峯山寺でお礼参りをします。

 隆子はここで初めて名乗ります。寅さんも、隆子もお互いの名前を知らずに「とうさん」「かあさん」と呼び合って、緊急事態のなか、お互いの本質的な部分で触れ合って、お互いを知りました。名前や地位よりも大切な、お互いの人間としての本質です。そのうえで、隆子がこのセリフを言うのです。こういう時の寅さんは、まずは相手の話を聞きます。絶対に頭ごなしに否定をしたり、適当な受け答えをしません。まずは「うんうん」と聞いてあげるのです。寅さんは「人の幸せを願うことが、自分の幸せ」なのだと、以前にもこのコラムで書き、番組でお話をしましたが、まさにこのシーンがそれです。

 その夜、隆子は寅さんと秀吉の部屋にやってきて、寅さんとお酒をのみながらの、冒頭に引用したシーンとなります。寅さんが「俺も女断ちして待ってるよ」と冗談まじりに言うと、二人は顔を見合わせてクスクス笑います。ところが、笑っている隆子の目から、突然、涙が溢れ出してきます。

 隆子は「私、祖末にしてしまったのねえ、大事な人生なのに」とそれまでの自分を悔やみます。そのとき、寅さんは優しく、隆子に寄り添うようにこう言います。

 寅さんは「大丈夫だよ。まだ若いんだから、これからいい事がいくらだってあるさ」と優しく声をかけます。これが「男はつらいよ」の本質であり、車寅次郎の「相手を思う」性質なのです。ぼくらが「男はつらいよ」を観て、いいなぁと思うのは、こうした心が浄化されていくようなセリフや、状況、気持ちに触れるからなのです。

 この映画のラスト近く、秀吉のことをとらやに報告した後、寅さんはまた旅に出ます。そのときに、見送りに来た満男は、「人間は、なんのために生きてんのかなあ?」と質問します。

そこで寅さん。「あぁ、生まれてきてよかったなあ、っていうことが何べんかあるじゃねえか。そのために人間生きてんじゃねえのか?」

 隆子と寅さん、秀吉は、ほんの二晩の疑似家族でしたが、それぞれの心の隙間を補完し合って、かけがえのない時間を過ごします。それは、寅さんの交流で、隆子の心が再生をしていくプロセスでもあります。そのとき隆子が感じた「生きていることの喜び」を、今度は寅さんが言葉で満男に伝えます。このリレーションは実に素晴らしいです。「人間って何のために生きているんだろう。」誰もが思い悩むことに、寅さんは明快に、誰もが納得する答えを出してくれるのです。

 この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。



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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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