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お兄ちゃんと一緒にね 『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975年8月2日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年7月15日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第十五作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)

さくらとリリー。寅さんを想う二人の女性が、ひさしぶりに再会、帝釈天参道を歩きながらことばを交わします。さくらに「これからどこに行くの?」と聞かれ、リリーは「これから東北、北海道」と答えます。「ひょっとしたらどこかで寅さんに会えるかもしれないわねえ」とリリーは優しく微笑みます。

 浅丘ルリ子さん扮する放浪の歌姫、リリー松岡は、マドンナのなかでも特別な存在です。第十一作『寅次郎忘れな草』のラスト、リリーは結婚をして、千葉県松戸市の京成五香駅近くに「清寿司」を開業、さくらは新婚のリリーを訪ねます。その時のさくらは、リリーのことを想って「良かった」という気持ちと、リリーを心配しながら上野駅で別れた兄・寅次郎に想いを馳せ、胸中複雑でした。さくらはいつも寅さんを想っているのです。

 車寅次郎の人生で、最も大切な女性を三人挙げるとするなら、妹さくら、育ての母親、そしてリリーだと思います。父・平造からは「不肖の息子」と、理不尽な扱いを受けた少年時代。優しく寅次郎少年を包み込んでくれたのは、育ての母親・光子でした。この光子という名前は、映画には登場しませんが、山田洋次監督が「けっこう毛だらけ(悪童 小説 寅次郎の告白)」ではじめて、その名を明らかにしてくれました。寅さんが憧れる、清楚で優しく、それでいて芯が強いマドンナには、この育ての母の面影があるのかもしれません。もちろん、さくらの中にも、その面影をみていることでしょう。

 では、寅さんにとって、リリーという女性は、どういう存在なのでしょうか? ぼくは、子供の頃、『寅次郎忘れな草』のリリーと寅さんに漠然とした大人の関係をみていました。誰も立ち入ることができない二人の世界がある。そんな感じです

 そしてそれから二年、定住者となっていた筈のリリーが、再び放浪の暮らしをしていることを、柴又に報告にやって来るところから『寅次郎相合い傘』がはじまります。前作で、リリーの幼い頃の話、水商売をしている母(利根はる恵)との確執が描かれています。思えば、その母親との不愉快な出来事がきっかけで、その夜、リリーはキャバレーで嫌な思いをして、その気持ちを払拭したくて、酔った勢いで、寅さんを訪ねてきます。

 放浪者同志、旅先ならここで、男と女の関係になるのかもしれませんが、この時、寅さんはとらやで家族に気を使う身でもあり、リリーのストレートな気持ちを受け止めることができず、これが二人の別れとなってしまいます。

 そして『寅次郎相合い傘』です。ぼくらは、リリーの心の傷を癒してくれるのは、寅さんしかいないと、どこか思っているので、結婚に失敗したリリーが、柴又を訪ねるファーストシーンに、ホッとします。二人で参道を歩くシーンを見ていると、それは、さくらも同じであることが、わかります。だから、リリーが「そのうちまた来るわね」と言ったときに、さくらは「お兄ちゃんと一緒にね」と声をかけます。これは、さくらの本音でもあります。

 『寅次郎相合い傘』を、屈指の傑作たらしめているのは、この「さくらの本音」と観客の想いがリンクして、この物語が、その想いの実現に向け、さくらの気持ちに寄り添って展開していくからだと、思うようになりました。

 寅さんは、リリーの「燃えるような恋がしたい」という情熱を受け止めることは出来ませんが、リリーの寂しさを理解して「うんうん」と傍にいることが出来るのです。旅の行きずりで出会った二人ですが、リリーにとって寅さんは「行きずりの男」ではなく、寅さんにとってもまた同じです。

 しばらくして、函館港の屋台のラーメン屋で、寅さんはリリーと再会。寅さんの同伴者である、兵藤謙次郎(船越英二)と三人で楽しい旅を続けます。しかし、小樽で謙次郎の初恋の人(岩崎加根子)との再会をめぐって、リリーは男のセンチメンタリズムを認められないと大げんか。またしても寅さんと別れてしまいます。

 しかし、それは恋人や夫婦のささいな諍いと同質であることは、ぼくらも織り込み済みです。例によって、寅さんは「後悔と反省」の想いで柴又へ。そこへリリーが訪ねてきて、楽しい日々となります。

 ある夜、寅さんはリリーをキャバレーの楽屋口まで見送り、その侘しさに悲しい気持ちになって家族に話す「寅のアリア」の素晴しさ。リリーのために大劇場でリサイタルを開いてやりたいと話す寅さんの思いが、それまでのマドンナに対する「憧憬」とはまた違う、「人を愛する気持ち」であることが、作品の温度を高めているのです。

 それから巻き起こる「メロン騒動」も、とらやの茶の間の日常に、リリーが家族の一員として機能しているからこそ、寅さんに寄り添っているからこその名場面となります。「たかがメロン」で子供のように拗ねる寅さんに、「甘ったれるのもいい加減にしやがれって言うんだ」とタンカを切り、家族の誰もが溜飲を下げます。リリーが寅さんと一緒になって、柴又で同居しても、こんな日々が続くんだろうな、と思ったりします。

 この「メロン騒動」について、ぼくの妻は初めてビデオで観た時にあまりにもリアルで「身につまされる」と、喜劇の笑いとして受け止めかねていました。どこの家庭にもある、言い争い、家族喧嘩。自分を勘定に入れてもらえなかった寅さんのつらさ。「わけを聞こうじゃないか」と嫌味たっぷりの寅さん。確かに身につまされます。

 ところがスクリーンであらためて見直した妻は、初めて喜劇の爆笑シーンとして受け止めることが出来たそうです。大勢でスクリーンで観る体験で客観性が生まれたようです。

 家族に甘えて、余計なことを言ってしまう寅さんを、ピシャリといなすリリー。修羅場を生きてきた彼女は、まるで女房のように寅さんの「甘え」を叱ります。だからこそ「お兄ちゃんにはリリーさんしかいない」とさくらは思っているのです。

 『寅次郎相合い傘』を観ているぼくらの気持ちは、さくらの「お兄ちゃんと一緒にね」の気持ちとリンクしていきます。とある日曜日、江戸川堤で、満男を遊ばせているさくらと博の会話に、リリーと寅さんのことを思う、さくらたちの幸福感が溢れています。

 情熱に溢れた「燃えるような恋」でなくても、その人らしく過ごせる日常にこそ「幸せがある」と、身を以て知っているさくら夫婦は、寅さんとリリーの結婚をここで真剣に願うのです。その幸福な気持ちのまま、さくらはリリーに思いを伝えます。「お兄ちゃんの奥さんになってくれたらどんなにすてきだろうな」と。

  ここが『寅次郎相合い傘』のハイライトでもあり、松竹大船の伝統を踏まえた名場面となりました。実は、小津安二郎監督の名作『麦秋』(一九五一年)で、自分の息子(二本柳寛)が秋田へ転勤することになり、旧知の紀子(原節子)に、息子と一緒になって欲しいと、本音をぶつける母親(杉村春子)のシーンへの、限りないオマージュでもあるのです。

 何気なく思っている相手こそ、ベストパートナーかもしれない。杉村春子さんが演じた、ヒロインの近所にすむおばさんの、余計な一言で、行き遅れていた紀子が結婚を決意する。『寅次郎相合い傘』のクライマックスが『麦秋』と同じ話法で展開されていくのです。

 第一作『男はつらいよ』の御前様(笠智衆)と娘・冬子(光本幸子)の奈良旅行は、小津監督の『晩春』(一九四九年)のリフレインでもあり、冬子の許嫁は小津映画のプロデューサー山内静夫さんが演じていました。山田監督はシナリオを手掛けた『釣りバカ日誌15/ハマちゃんに明日はない』(二〇〇四年)でも、この『麦秋』の間接プロポーズを巧みに引用し、作品に滋味をもたらしていました。

 その後、山田監督は新派の舞台で「麦秋」を演出、平成二十四(二〇一二)年正月には「東京物語」の舞台を演出、小津安二郎監督と松竹大船の伝統を、山田監督流にリ・アレンジして、新たな感動をもたらしてくれました。平成二十五(二〇一三)年一月には、『東京物語』(一九五三年)をモチーフにした『東京家族』を発表。山田洋次監督がなぜ小津安二郎監督の世界をモチーフに現代の家族を描くのか? その遥かなる前段の一つとして『寅次郎相合い傘』を楽しむのも一興です。「メロン騒動」『麦秋』「ショートケーキ騒動」。いずれも家族のささやかな幸せを描いた名場面です。小津安二郎監督と山田洋次監督。二人の作家が作り上げてきた、松竹大船の伝統を味わうのも、映画を観る楽しみであります。

 さて、さくらの間接プロポーズの顛末は皆さんご存知の通り。二階で寅さんは、さくらに、こんな事を言います。「言ってみりゃ、あいつも俺と同じで渡り鳥よ。腹へらしてさ、羽根を怪我してさ、しばらくこの家で休んでただけよ」

 寅さんとリリーのお互いを想い合う気持ちは、さくらや博、そしてわれわれ観客も立ち入ることのできない二人の世界でもあります。「放浪者と定住者」をテーマに展開してきた「男はつらいよ」の本質がここにあります。二人は渡世人同士、お互いの心に寄り添うことができるのです。定住者であるさくらも、ぼくらも、二人の幸せを願うことしか出来ません。

 何より嬉しいのは、第二十五作『寅次郎ハイビスカスの花』第四十八作『寅次郎紅の花』で、二人の渡り鳥の物語が、この後も紡ぎ出されて、「寅とリリー」四部作というかたちに昇華されていくことです。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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