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日活映画の素晴らしき世界

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日活映画の魅力をまとめました!
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#宍戸錠

『現代悪党仁義』(1965年2月3日・日活・中平康)デジタルライナーノーツ

デジタルライナーノーツ 解説・佐藤利明(娯楽映画研究家) 【痛快!犯罪アクション・コメデ…

二谷英明のクールで知的なダンディズム

 二谷英明といえば、「マイティ・ジャック」(68年CX)の隊長・当八郎や、「特捜最前線」(77…

『流血の抗争』(1971年・日活・長谷部安春)

 日活がロマンポルノへと路線を変更し、一般映画の製作を休止することになる1971 (昭和46)年…

『硝子のジョニー 野獣のように見えて』(1962年・日活・蔵原惟繕)

無垢な魂と人間の孤独・・・ ひたすら求めるジョニーの面影 芦川いづみのベスト・オブ・ベス…

宍戸錠映画祭と、錠さんのこと〜佐藤利明の娯楽映画研究所【こちら阿佐ヶ谷ネオ書房】

盟友・切通理作さん店主の「阿佐ヶ谷ネオ書房」からお送りするYouTube番組「佐藤利明の娯楽映…

宍戸錠さん追悼企画「宍戸錠映画祭」開催決定!

 オレか?オレは生まれながらの殺し屋さ。ちょっと流離の旅に出てくることにしたよ! エー…

『危いことなら銭になる』(1962年・中平康)

 エースの錠こと宍戸錠は、小林旭の「渡り鳥」「流れ者」、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズの好敵手役で、コミカルなテイストも適度に交えて、圧倒的な存在感をみせていた。昭和36(1961)年はじめ、そうした作品での活躍が観客に受けて、全国の映画館主たちの要望もあり、石原裕次郎・小林旭・赤木圭一郎・和田浩治の“日活ダイヤモンドライン”参加が内定していた。ところが裕次郎のスキーによる骨折事故、赤木圭一郎の夭折が重なり、そのタイミングで公開された錠の初主演作『ろくでなし稼業』(3月1

長谷部安春の日活ニューアクション時代

 長谷部安春監督のデビュー作は、小林旭のスパイ活劇『俺にさわると危ないぜ』(1966年2月12…

『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』(1963年・鈴木清順)

 日活ダイヤモンドライン第四の男として『ろくでなし稼業』(1961年・齋藤武市)でコミックアク…

『野獣の青春』(1963年・鈴木清順)

 “ダイヤモンドライン第五の男”として1961(昭和36)年から、コミック・アクションで独特の…

日活と娯楽映画の時代 1933〜1971年

戦前、時代劇黄金時代 1912年〜1941年  日活は今から100年前、1912年9月10日に創業した日…

『肉体の門』(1964年・鈴木清順)

 田村泰次郎原作「肉体の門」は、戦後間もなくセンセーショナルな話題と共にベストセラーとな…

『殺しの烙印』(1967年・鈴木清順)

 1956(昭和31)年、『港の乾杯 勝利をわが手に』で、監督デビューした鈴木清順監督。映画黄…

『大草原の渡り鳥』(1960年・齋藤武市)

 昭和35(1960)年、日活はダイヤモンドラインのスター主演作をローテーションで毎月製作していた。前年の秋『ギターを持った渡り鳥』で颯爽と銀幕に登場した小林旭の滝伸次は、『口笛が流れる港町』(1月)、『渡り鳥いつまた帰る』(4月)、『赤い夕陽の渡り鳥』(6月)とほぼ三ヶ月に一本のハイ・ペースで銀幕に登場。マイトガイ・アキラはその合間にもう一つの「流れ者」シリーズ(山崎徳次郎監督)にも出演。宍戸錠の好敵手との決着のつかない闘いが、毎月のように繰り広げられていた。  「渡り鳥